アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

892 新シリーズ 令和に巡る京の神社 ⑥ 六孫王神社

2022-01-18 08:32:21 | 日記

第6番 六孫王神社 

 

京都府京都市南区壬生通八条角

祭神 源経基(六孫王)

ご利益 社業繁昌 学業向上

京都の寺社には鉄道や幹線道路にその敷地を譲ることも多い。すでにこのシリーズで綾戸国中神社のように敷地内を東海道新幹線が通る場合もあった。こちらも新幹線が横を通る。京都駅から新大阪に向かう時左手方向に東寺の五重塔が見えるが、その手前下に六孫王神社がある。境内からは高架下から見上げるようになり不遜な感じがする。

六孫王とは、清和天皇の6男の貞純親王のお子の愛称で、名を経基といい臣籍降下し源氏を名乗った。(清和源氏の祖)文武両道に優れ鎮守府将軍に任ぜられる一方、拾遺和歌集には二首の恋歌を残している。創建はその子の源氏2代目の満仲公である。因みに、8代を経て源頼朝に至る。

境内は桜の頃にはさぞ美しいであろうと思われる。真冬に訪れたので、まだ、つぼみの固い枝を長めながら歩む。途中、神泉池(八条池?)を超えるアーチ状の太鼓橋を渡り本殿の前に至る。神社建築と言うより古刹(古寺)を思わせるたたずまいである。明治以前神仏混交の時代には源実朝の妻、本覚尼が亡夫の菩提を弔うために創建した「大通寺」と敷地を同じくしていた。その為かも知れない。明治初期の廃仏稀釈は日本史の負の歴史であるが、ここで詳しく語ることはしない。

弁財天

本殿右手には、弁財天が篤く祀られている。傍らには、満仲公ゆかりの「誕生井」があり清水が湧き出る。なお、こちらの弁天さんには不思議な話が伝わる。以下に紹介する。

「弁天の同情」作者不詳。

京都の大通寺(六孫王)には、弁天堂があります。花垣梅秀(ばいしゅう)という青年学者兼詩人がやってきます。そこで一枚の色紙を拾います。女文字の見事な手蹟でした。「しるしあれと いわいぞそむる 玉箒(たまほうき) とる手ばかりの ちぎれなれども」と書かれていました。藤原俊成の歌でした。

 梅秀は、その字を書いた乙女に恋焦がれます。七日、弁天堂に通います。満願の七日目には、終夜堂に閉じこもりました。願いは通じました、老人と稚児が現れたのです。そして、老人と稚児は、乙女を呼び寄せます。さらに、乙女自身が梅秀の妻になるためにやって来たと話したのです。

 ふたりは暮らし始めます。初めてふたりが会ったのは秋でしたが、いつしか冬の季節になっていました。梅秀が京のはずれを歩いていると、屋敷の中に招じ入れられます。屋敷の主は、丁寧に娘の嫁になるように懇願します。妻がいるとも言えず、娘に会ってみると、妻と瓜二つでした。

 弁天堂で出会った乙女は、この娘の魂魄だったのです。もちろん、梅秀は娘と再度結婚します・・・・。

京都の古い話にはこのように不思議な話が多い。

南に歩けばすぐ東寺に至る。