アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

895 新シリーズ 令和に巡る京の神社  ⑧ 梅宮大社

2022-01-22 09:54:13 | 日記

第9番 梅宮大社

 

京都市右京区梅津フケノ川町30

主祭神 酒解神

ご利益 酒造業・安産・子宝

同じ右京の方面に鎮座する。嵐山の地に近いが観光地の地域(人寄り場所)でもない。

さて、神社とは、伊勢神宮を頂点にして厳格に格付けされている。伊勢神宮は別格なので単に「神宮」と呼ばれる。その他は神宮、大社、神社、社などに分かれているが、どうもそれには余り意味はなく。まずは、「一代一度大神宝奉献」と言う天皇の御世が交代した時に特別に宝物を奉納する50社を定めている。京都では賀茂社や石清水八幡宮など6社ある。また、一国の一宮から三宮までを定める。例えば山城国一之宮は「賀茂社」、丹波国は「出雲大神宮」などだ。さらに、平安京を守る特別な22社を定めて、その中でさらに上七社、中七社、下七社と順位付けしている。計21社になるが上賀茂・下鴨になるのか?因みに、上7社とは、伊勢神宮のほかは、石清水八幡宮 賀茂神社 松尾大社 平野神社 伏見稲荷大社 春日大社と、多くが京都にある。大社や神宮や神社と呼び方は成り立ちや規模によるが、社格は別にあるという事か。

こちら梅宮大社は大社である。祭神の酒解神は梅宮大社特有の神である。「サカトケ」の字義は「辟解」として悪霊を祓う神か「堺解」として境界に居て悪霊を鎮める神か所説ある。ただ、このあたり地下水脈が豊かで酒の製造に適していることから言葉のしゃれで酒造の神様になったと想像する。「雨やみ」を「眼病み」と解釈するようなもので、信仰の深さと庶民の柔軟さを感じる。

またげ石

また、平安時代の橘氏との関係は明確で、県犬養橘三千代(藤原不比等の母)が創建し、檀林皇后(橘嘉智子)によって現在地に遷祀されたものである。嵯峨天皇の皇后である橘嘉智子など橘氏は他に橘諸兄、橘逸勢(三筆の一人)など偉大な人物を持つ。日本の姓は、「源平藤橘」(源氏・平家・藤原・橘)と言うが「橘」はその一つだ。冷泉や近衛などは藤原氏、足利も徳川も源氏流のどれかに入る。唯一四つの姓に入らないのが「豊臣」である。(ただし秀吉、秀次、秀頼で完全に絶滅したので後継流派はない。)

 

また、檀林皇后が跨いだところ子宝に恵まれたとされる「またげ石」があり、女性が跨げば子宝・安産の御利益があるとされる。

境内には、神苑である池や梅園など回遊式庭園があり季節ごとに草花の眺めを楽しめる。また、近くの桂川をはさんで嵐山や桂離宮にも近く散策にも適した地域である。

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893  新シリーズ 令和に巡る京の神社  ⑦ 木島坐天照御魂神社

2022-01-20 10:20:17 | 日記

第7番 木島坐天照御魂神社(このしまにましますあまてらすみたまじんじゃ)

   通称 蚕の社

 

右京区太秦森ケ東町50番地

天之御中主神 大国魂神  穂々出見命  鵜茅葺不合命  瓊々杵尊

ご利益 学業向上・業容拡大

京都には3大〇〇と、言う名所が多い。例えば、京の3大祭りと言えば「葵祭・祇園祭・時代祭」である。一方、京の3大奇祭となると「鞍馬の火祭・広隆寺の牛祭・今宮神社のやすらい祭」。他に、京都3大念仏狂言は、「壬生・千本えんま堂・嵯峨(清凉寺)」、京の3棚は、「醍醐棚(醍醐寺三宝院)・霞棚(修学院離宮)・桂棚(桂離宮)」こちらは天下の三大名棚と言う。そして、こちら木嶋坐天照御魂神社には京の3珍鳥居の一つがある。あと二つは、京都御苑内の「厳島神社の唐破風鳥居」と、北野神社摂社の「伴氏社の蓮社石鳥居」だが、こちらの珍しい鳥居は境内奥の神泉である「元糺の池」にある。

なんと柱が3本ある。由来は不明だが三角のそれぞれの辺の示す方向が秦氏の重要地である松尾山や稲荷山の方向を示しているらしい。(所説あります。)現在は枯れているが手前の池の水が鳥居の周辺まで満たされていて、「禊の池」だったようだ。土用の丑の日には、下賀茂神社同様の御手洗祭(足つけ神事)が行われる。こちらを「元糺の池」、周辺を「元糺の森」と言うからは下賀茂神社よりも歴史は古いという事だ。

境内は、右京の太秦にあり、広隆寺の真東である。また摂社に養蚕神社があることから秦氏との関係性は間違いない。従って、京都市内でも最古の神社の1つに位置づけられる。現在境内は京都の歴史上重要な遺跡であるとして京都市指定史跡に指定されている。

正面鳥居は神明鳥居で白木が真新しい。舞殿の奥の本殿の東側には蚕養神社がある。その為「蚕の社」と通称される。主祭神よりも摂社が通称名となることから秦氏の影響の大きさが分かる。太秦(うずまさ)の語源が、うずたかく積まれた絹製品を表わすとも言われる。確かに、太秦の太も秦も「うず」とも「まさ」とも読めない。必ず、広隆寺は合わせて訪ねたい。京都の歴史は渡来人の活躍抜きには語れないのだ。韓国や中国ともっと仲良く出来ないものか?

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892 新シリーズ 令和に巡る京の神社 ⑥ 六孫王神社

2022-01-18 08:32:21 | 日記

第6番 六孫王神社 

 

京都府京都市南区壬生通八条角

祭神 源経基(六孫王)

ご利益 社業繁昌 学業向上

京都の寺社には鉄道や幹線道路にその敷地を譲ることも多い。すでにこのシリーズで綾戸国中神社のように敷地内を東海道新幹線が通る場合もあった。こちらも新幹線が横を通る。京都駅から新大阪に向かう時左手方向に東寺の五重塔が見えるが、その手前下に六孫王神社がある。境内からは高架下から見上げるようになり不遜な感じがする。

六孫王とは、清和天皇の6男の貞純親王のお子の愛称で、名を経基といい臣籍降下し源氏を名乗った。(清和源氏の祖)文武両道に優れ鎮守府将軍に任ぜられる一方、拾遺和歌集には二首の恋歌を残している。創建はその子の源氏2代目の満仲公である。因みに、8代を経て源頼朝に至る。

境内は桜の頃にはさぞ美しいであろうと思われる。真冬に訪れたので、まだ、つぼみの固い枝を長めながら歩む。途中、神泉池(八条池?)を超えるアーチ状の太鼓橋を渡り本殿の前に至る。神社建築と言うより古刹(古寺)を思わせるたたずまいである。明治以前神仏混交の時代には源実朝の妻、本覚尼が亡夫の菩提を弔うために創建した「大通寺」と敷地を同じくしていた。その為かも知れない。明治初期の廃仏稀釈は日本史の負の歴史であるが、ここで詳しく語ることはしない。

弁財天

本殿右手には、弁財天が篤く祀られている。傍らには、満仲公ゆかりの「誕生井」があり清水が湧き出る。なお、こちらの弁天さんには不思議な話が伝わる。以下に紹介する。

「弁天の同情」作者不詳。

京都の大通寺(六孫王)には、弁天堂があります。花垣梅秀(ばいしゅう)という青年学者兼詩人がやってきます。そこで一枚の色紙を拾います。女文字の見事な手蹟でした。「しるしあれと いわいぞそむる 玉箒(たまほうき) とる手ばかりの ちぎれなれども」と書かれていました。藤原俊成の歌でした。

 梅秀は、その字を書いた乙女に恋焦がれます。七日、弁天堂に通います。満願の七日目には、終夜堂に閉じこもりました。願いは通じました、老人と稚児が現れたのです。そして、老人と稚児は、乙女を呼び寄せます。さらに、乙女自身が梅秀の妻になるためにやって来たと話したのです。

 ふたりは暮らし始めます。初めてふたりが会ったのは秋でしたが、いつしか冬の季節になっていました。梅秀が京のはずれを歩いていると、屋敷の中に招じ入れられます。屋敷の主は、丁寧に娘の嫁になるように懇願します。妻がいるとも言えず、娘に会ってみると、妻と瓜二つでした。

 弁天堂で出会った乙女は、この娘の魂魄だったのです。もちろん、梅秀は娘と再度結婚します・・・・。

京都の古い話にはこのように不思議な話が多い。

南に歩けばすぐ東寺に至る。

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892 新シリーズ 令和に巡る京の神社 ⑤ 綾戸国中神社

2022-01-17 08:58:16 | 日記

第5番 綾戸国中神社

 

京都市南区久世上久世町446

綾戸神社  大綾津日神・大直日神・神直日神

國中神社  素盞嗚尊

京都中心から桂方面へ、久世橋を渡り新幹線の高架をくぐる手前にある神社が、京都三大祭りの一つ「祇園祭」の重要神社であることは余り知られていない。こちら綾戸国中神社の御祭神である素盞嗚尊は荒魂であり、一方八坂神社の素盞嗚尊は和魂である。つまり八坂神社から神輿で市中にお出ましただく為には両御魂の合体が必須条件なのだ。「國中社は素盞鳴尊の荒御魂なり。八坂郷祗園社は素盞鳴尊の和御魂なり。依って一体にして二神,二神にして一体で神秘の極みなり。」さらに「若し此の駒故なくしてお滞りあるときは,必ず疫病流行し人々大いに悩む。」と古文書にある。祇園祭りはその久世駒形稚児の到着がなければ始まらないのである。7月13日に長刀鉾稚児社参と同日に行われる。

拝殿

相当霊力の強い神社であるが、幹線道路が真ん前に走り車がひっきりなしに行きかう。普段はお参りする人もなく住宅地にひっそりと鎮まっている。敷地の一部が新幹線をはさんでいるようで荒ぶる神が安らかなのか気になるが、応仁の乱・禁門の変(蛤御門の変)以降、京都は大きな空襲や震災もなく、古都の風情を残していることを思えば怒っておられないように思うしかない。

 

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891 新シリーズ 令和に巡る京の神社 ④ 吉祥院天満宮

2022-01-15 09:31:51 | 日記

第4番 吉祥院天満宮

京都市南区吉祥院政所町3

主祭神    菅原道真

ご利益 学業向上

菅原道真公くらいの最上位クラスの神様になれば生誕の地も一か所ではない。菅原院天満宮同様の有力な場所がここだ。菅原院天満宮には産湯の井戸があったが、何せここには、胞衣塚があるのだから嘘ではない。文子天満宮は乳母の多治比文子に神のお告げがあったのだから本当だろうし、北野天満宮はそのお告げに従って祀られた。

こちら吉祥院天満宮は菅原氏始祖である曽祖父までさかのぼる。土師古人と言う、次の祖父の代から菅原姓に改名。清公、是善、道真と続く。古人が遣唐使になった時、帰り(行きと言う説も)の嵐の中、吉祥天女に導かれ助かった。その後、菅原家では代々吉祥天女を篤く祀ったのである。道真没後すぐに修行僧の霊夢により朱雀天皇の勅願で北野に先立ちここに天満宮が創建された。こちらこそが天神さんの第1番と言うのだ。

934年創建と言うから、没後31年。文子天満宮も北野天満宮も947年創建。なお、菅原天満宮は邸宅跡なので神社としての創建ははっきりしない。

境内は広々とし付属幼稚園の運動場に隣接したグラウンドのような開放感がある。本殿前には、道真公のキャラクターが鎮座?していて威厳よりも親しみを感じる。他に、金の撫で牛や愛らしい牛のキャラクターを展示するなど成り立ちが怨霊信仰とは思えない子供の学業意欲をそそる?趣向が満載だ。

一方、「硯の水・鑑の井」など道真公の学業修行始めを象徴するゆかりの遺跡もあり歴史も感じる。肝心の「胞衣塚」は境内南端にあった。また、入口鳥居のすぐわきには、「道真公生誕の地」の石碑。横には「公産湯の井戸」との表示。天神さんともなれば産湯は一回だけではないか。

西大路9条と国道10条の間の幹線道路が行きかう近くであり道真公も今は安らかではないと想像する。

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