生きてるだけで丸儲け!
⑱ 南都雄二・ミヤコ蝶々
漫才コンビに、いつから「名前」が付いたのか?ダウンタウンか、ナインティーナインあたりか?それまでは、やすし・きよし、いとし・こいし、とそれぞれの名前で呼んでいた。本日紹介の「南都雄二・ みやこ蝶々」などは、ちゃんと二人の名前を呼んでいた。つまり漫才コンビは、人と人のコンビであった。1人ならば、ゆうじさん、蝶々さんだ。そこにオール阪神・巨人が登場していよいよ人の名前ではなくなる。阪神さん・巨人さんと呼ぶことになる。それ以前には、コメディナンバー1というのもあった。坂田としおは、一躍アホの代表者となった。それでも人の名前を尊重していた。今はどうか?今回M1で一躍時代の人となった「ミルクボーイ」それぞれ二人の名前を言えますか?「かまいたち」誰と誰?「ジャルジャル」「ぷぱぺ」?もはや何なのか?普通名詞ですらない。本当の一流になる為には、松本って「ダウンタウン」だったのよ、というくらい個人名で有名にならなければならない。岡村って、ナイナイよね。って。そこで元祖漫才であったビックネーム登場だ。
このコンビ、「蝶々雄二の夫婦善哉(みょうとぜんざい)」という番組の印象が強い。現在の、桂文枝の「新婚さんいらっしゃーい」の原点である。夫婦を招いて、馴れ初めや私生活などを聞き出す。ただそれだけだが、司会者の絶妙の問いかけに素人が思わずしゃべりすぎて・・・・。と、言う趣向だ。夫婦善哉は比較的熟年の夫婦が、苦労話することの方が多かったように思う。それが、鳳啓介・京歌子に継がれ、現在の「新婚さん・・。」に繋がっている。南都雄二とミヤコ蝶々の離婚が明らかとなり番組が成り立たなくなったと記憶している。夫婦漫才師が離婚しながらそれを公表せず、そのまま夫婦のように振舞うことはよくあった。正司敏江・玲児などは、分かれた元夫婦をネタにしていたが少ない例である。鳳啓介・京唄子も離婚して漫才はやめて、舞台へと活躍の場を移した。
南都雄二は初婚で、蝶々と結婚する(蝶々は柳枝という芝居の座長と結婚していた。)が、ルックスの良さと金回りがよくなり「北の帝王」と言われくらいの遊び人だった。因みに。「南の帝王」は藤田まこと、そして「東西南北」 藤山寛美という事らしい。昔の芸人は遊び(女遊び)も一流だった。フライデーや文春の無い時代は良かった。週刊誌が芸人文化を壊したのだ。蝶々の弟子から拾ってもらったので、一人では特に話芸の無い南都雄二は、その後特に売れることなく飲酒が原因の糖尿病で亡くなった。
ミヤコ蝶々は、誰もが知る関西芸能史の巨頭である。文化勲章までもらった大物で、尊敬する芸人は多い。二人の漫才のスタイルは、主に蝶々がしゃべり、雄二が突っ込むだけの単調なものだったと記憶する。それでも南都雄二死去後、漫才大賞の特別賞や殿堂入りを果たしている。これもみな蝶々の功績と言っても過言ではない。因みに、南都雄二という芸名は、無学の蝶々が、いつも台本を見て、「これ なんという字?」と、聞くので秋田実氏が、そんなら「南都雄二(なんというじ)」と命名したもの。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます