次回は、以降それぞれのケースで問題点など整理すると、
日本の国体を維持するために考えた大原則である。唯一血統を即位の条件にし神秘性を保ってきた。男系とは父親を遡ると天皇に辿り着くとする。ならば、さかのぼるのは何代目まで許すのか?継体天皇は応神天皇の6世の子孫である。時代を経て江戸時代後期の光格天皇は東山天皇の4世である。このあたりが限界である。親子でなければ、あとはほとんどが親の親(つまりは孫)か、親の兄弟(叔父・めい)の関係性がほとんどである。
悠仁親王殿下が御健康に成人いただきご結婚後、無事男子をももうけることを望むが、年齢的に男系男子を残すことの出来るは殿下一人であることを考えるとあらゆる事態を想定せねばならない。ただ、現在でも戦後臣籍降下した3世・4世の元皇族男子はいらっしゃる。しかし、それら旧宮家の御子息たちはすでに長く庶民生活を経験し、自らの価値観もお持ちでいらっしゃる。従って、皇室にお戻りいただくにしても慎重な議論が必要である。因みに自らが皇室ご出身の竹田恒泰氏の著書には様々な打開策が紹介されているのでいずれ紹介する。
ここは愛子天皇待望論を考えながら議論する。男系女子の天皇は歴史上8名10代の例がある。特に奈良時代に多く、推古天皇や持統天皇などは天皇のお后であった。あとは天皇の内親王が次世代へのつなぎとして即位している。平安以降は長くその例がなく、江戸時代になってお二人いらっしゃる。
まず、初の女性天皇である推古天皇は配偶者(敏達天皇)も父親(欽明天皇)も天皇である。皇極天皇(重祚して斉明天皇)は男系女子だが舒明天皇のお后で、持統天皇は父が天智天皇でさらに天武天皇のお后である。元明天皇は天智天皇の子で、そのお子が元正天皇であり父は天武と持統の子である。孝謙天皇(重祚し称徳天皇)は聖武天皇の子である。時代は下って江戸時代、明正天皇は後水尾天皇と徳川和子の内親王だ。歴史上最後の女性天皇の後桜町天皇は桜町天皇の内親王である。このように男系女子だけではなく皇后のケースや中には血族内の結婚などで血を守って来た。女性天皇を赤字を書いたがご理解いただけるだろうか。
大事なのは皇后でない限り原則お子様はいらっしゃらない事だ。さらに多くは配偶者も持たない。神秘性の強い皇室行事には「穢れ」は禁忌であり生理や出産は避けねばならなかったと思われる。現在でも御所内では穢れを避けることを厳格に守っている。そのような中、もし愛子さまが女性天皇になったとしてもその結婚については相当な議論になるだろう。婚姻の自由が求められる現代では自由恋愛が原則だが、お相手を軽々に決める訳には行かない。民間人と結婚したらそのお子様に皇位継承権を認めるかどうかの議論もしておかねばならない。男子ならば女系男子、女性ならば女系女子である。
すでに述べたように愛子さまが天皇になった場合の男のお子様が女系男子である。佳子さま眞子さまの男子のお子様を女系男子と言うかどうかは微妙だが、ここは天皇に繋がらないとしたい。
すでに述べたように愛子さまが天皇になった場合の女子のお子様が女系女子である。
まとめ
ここまででご理解いただきたいのは、男系男子以外を皇位継承者に認めるとかなり幅広になること、女系まで広げると国民全員の子孫が天皇の系統になるかも知れないと言う事だ。
小室圭氏のように皇室の女性と結婚して天皇の父となるかも知れない。留学などで外国人と結婚する宮様が出てきたら米系や中国系の天皇家になるかも知れないのである。そのような皇室に象徴天皇として崇敬の念を持ち得るか。
さらに、女性天皇も可能とした場合、悠仁親王殿下の皇位継承順位をどうするかという悩ましい問題もある。愛子さまを優先すれば秋篠宮皇嗣殿下の継承権を廃止することになりかねない。天皇家と秋篠宮家との争い(令和の壬申の乱?)に発展するかも知れない。
このように簡単に女性天皇と言うと様々な解決すべき問題があることを是非理解頂きたい。男系男子を2000年間守って来た意義はあだやおろそかに出来ないのである。