アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

984回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」㊴

2023-03-03 09:57:33 | 日記

第2章 後醍醐天皇

 

①         時代背景 両統迭立までの経緯

 

第88代「後嵯峨天皇」 |20人の天皇で読み解く日本史 | Discover ...

 

後醍醐天皇の登場までの鎌倉時代は前章と重複するが、承久の変以降の皇統の変遷から見る。後鳥羽上皇の御謀反(倒幕計画)の失敗で、当然鎌倉幕府は皇位の継承に関して神経質になった。後鳥羽上皇は隠岐へ遠島となり、皇子である土御門、順徳の両上皇も島流しとなる。ただ、お二人の皇子の立ち位置はかなり違ったものだった。積極的に倒幕計画を推進した弟順徳(佐渡へ遠島)に対して、兄土御門は終始関りがない。それでも土御門は自ら遠島を申し出て土佐に流され、その後阿波に移されている。

さて、変の後の天皇を誰にするかは、慎重に検討された。まず、順徳の皇子ですでに即位していた仲恭天皇は廃止(九条廃帝・承久廃帝とも言う)し、高倉天皇の血統にまでさかのぼりその孫にあたる後堀河天皇を即位させた。ところが、その皇子である次の四条天皇が早世した。再び後継問題が浮上する。承久の変の記憶がまだ残る幕府は、順徳ではなくせめて土御門の血統ならば許せるとし、後嵯峨天皇の即位と決まった。

この後嵯峨天皇が2系統の南北朝時代の原因である「両統迭立」のきっかけをつくる。個々の天皇の経緯は別項に書くが、天皇の継承も長子相続が原則とは言え、時には、兄より弟、本妻の子より後妻の子の方が可愛いのは庶民も天皇も同じである。特に年老いてからの愛妾に「最後の一滴?」で出来た子は別格だろう。その様なことが皇室ではとんでもない抗争を生む。後嵯峨天皇の後は、長兄の後深草(持明院統)、そして弟の亀山(大覚寺統)とつなぎ、それぞれの血統から交互に東宮(皇太子)を選んでいった。持明院統(大覚寺統)の天皇なら大覚寺統(持明院統)から東宮を決める。ただ、ややこしいのは天皇の実父が上皇として院政を行う。これを「治天の君」という。上皇であっても子が天皇でなければただの上皇であり、実際は「治天の君」が実権を持つので、両統迭立が単純に1回ずつ交互に行かないところがややこしい。


983回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」㊳

2023-03-03 09:57:33 | 日記

次回は、以降それぞれのケースで問題点など整理すると、

皇室の構成図 - 宮内庁

  • 男系男子

日本の国体を維持するために考えた大原則である。唯一血統を即位の条件にし神秘性を保ってきた。男系とは父親を遡ると天皇に辿り着くとする。ならば、さかのぼるのは何代目まで許すのか?継体天皇は応神天皇の6世の子孫である。時代を経て江戸時代後期の光格天皇は東山天皇の4世である。このあたりが限界である。親子でなければ、あとはほとんどが親の親(つまりは孫)か、親の兄弟(叔父・めい)の関係性がほとんどである。

悠仁親王殿下が御健康に成人いただきご結婚後、無事男子をももうけることを望むが、年齢的に男系男子を残すことの出来るは殿下一人であることを考えるとあらゆる事態を想定せねばならない。ただ、現在でも戦後臣籍降下した3世・4世の元皇族男子はいらっしゃる。しかし、それら旧宮家の御子息たちはすでに長く庶民生活を経験し、自らの価値観もお持ちでいらっしゃる。従って、皇室にお戻りいただくにしても慎重な議論が必要である。因みに自らが皇室ご出身の竹田恒泰氏の著書には様々な打開策が紹介されているのでいずれ紹介する。

  • 男系女子

ここは愛子天皇待望論を考えながら議論する。男系女子の天皇は歴史上8名10代の例がある。特に奈良時代に多く、推古天皇持統天皇などは天皇のお后であった。あとは天皇の内親王が次世代へのつなぎとして即位している。平安以降は長くその例がなく、江戸時代になってお二人いらっしゃる。

まず、初の女性天皇である推古天皇は配偶者(敏達天皇)も父親(欽明天皇)も天皇である。皇極天皇(重祚して斉明天皇)は男系女子だが舒明天皇のお后で、持統天皇は父が天智天皇でさらに天武天皇のお后である。元明天皇は天智天皇の子で、そのお子が元正天皇であり父は天武と持統の子である。孝謙天皇(重祚し称徳天皇)は聖武天皇の子である。時代は下って江戸時代、明正天皇は後水尾天皇と徳川和子の内親王だ。歴史上最後の女性天皇の後桜町天皇は桜町天皇の内親王である。このように男系女子だけではなく皇后のケースや中には血族内の結婚などで血を守って来た。女性天皇を赤字を書いたがご理解いただけるだろうか。

大事なのは皇后でない限り原則お子様はいらっしゃらない事だ。さらに多くは配偶者も持たない。神秘性の強い皇室行事には「穢れ」は禁忌であり生理や出産は避けねばならなかったと思われる。現在でも御所内では穢れを避けることを厳格に守っている。そのような中、もし愛子さまが女性天皇になったとしてもその結婚については相当な議論になるだろう。婚姻の自由が求められる現代では自由恋愛が原則だが、お相手を軽々に決める訳には行かない。民間人と結婚したらそのお子様に皇位継承権を認めるかどうかの議論もしておかねばならない。男子ならば女系男子、女性ならば女系女子である。

  • 女系男子

すでに述べたように愛子さまが天皇になった場合の男のお子様が女系男子である。佳子さま眞子さまの男子のお子様を女系男子と言うかどうかは微妙だが、ここは天皇に繋がらないとしたい。

  • 女系女子

すでに述べたように愛子さまが天皇になった場合の女子のお子様が女系女子である。

日本の女帝は決して「つなぎ」ではなかった | 特集 | 東洋経済 ...

まとめ

ここまででご理解いただきたいのは、男系男子以外を皇位継承者に認めるとかなり幅広になること、女系まで広げると国民全員の子孫が天皇の系統になるかも知れないと言う事だ。

小室圭氏のように皇室の女性と結婚して天皇の父となるかも知れない。留学などで外国人と結婚する宮様が出てきたら米系や中国系の天皇家になるかも知れないのである。そのような皇室に象徴天皇として崇敬の念を持ち得るか。

さらに、女性天皇も可能とした場合、悠仁親王殿下の皇位継承順位をどうするかという悩ましい問題もある。愛子さまを優先すれば秋篠宮皇嗣殿下の継承権を廃止することになりかねない。天皇家と秋篠宮家との争い(令和の壬申の乱?)に発展するかも知れない。

このように簡単に女性天皇と言うと様々な解決すべき問題があることを是非理解頂きたい。男系男子を2000年間守って来た意義はあだやおろそかに出来ないのである。