アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

631 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  84番  安祥寺

2019-06-10 11:10:41 | 日記

84番 安祥寺

 

京都市山科区御陵平林町22

山号  吉祥山

宗派  高野山真言宗

開基  藤原順子・恵運

別称  高野堂

本尊  十一面観音

 

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

安祥寺は毘沙門堂の隣にある。毘沙門堂は元々この地にあった安祥寺の敷地を譲られたものであるので、毘沙門堂敷地内から行けるかも知れない。筆者は普段拝観していないので、日をかえて特別拝観の日にうかがった。山科駅の西側の参道斜面を登り山門に至る。

安祥寺は、醍醐寺の上醍醐・下醍醐と同様に上安祥寺・下安祥寺に分かれて発足した。筆者は上醍醐にも行ったがハイヒールでは行けない。安祥寺も山岳修行の場としての上寺の方が広大な敷地と伽藍を有し大いに栄えていた。創建は平安初期、文徳天皇母の藤原順子(じゅんし)の発願によるものとなっているが、すでに上寺が存在していて順子によって下寺が建立されたと考えられる。もちろん上寺・下寺とは後日言われるようになったのだが・・・・。しかし平安後期にはすでに荒廃し応仁の乱で焼失し完全に廃寺となった。江戸時代になって残った宝物をもとに再建するが、上寺は再建されず幕府の命令により寺領の多くを毘沙門堂に譲った。明治初期までは多宝塔があったが火事で焼け、現在は、本堂・地蔵堂・大師堂のみで建造物を囲む境内は残念ながら整備されていず往年の勢いは感じない。

ただ、解説によると焼けた多宝塔内にあった木像五智如来像(現在は京都国立博物館所蔵)は安祥寺創建時の作品で今年国宝指定の予定との事、また東寺の塔頭観智院所蔵の五大虚空蔵菩薩像は元安祥寺にあったもので唐からの招来仏である事を聞いた。このように安祥寺は現在の佇まいからは想像できないが、歴史上大変重要な寺院であったのだ。普段は非公開寺で、今回拝見した本尊十一面観音立像も初めての公開だった。山門横の事務所には長蛇の列、令和の御朱印を頂く行列だった。滅多に入れない寺院の令和元年の御朱印は貴重なのだ。


番外  長く生きていると、面白くない事が多い。

2019-06-10 11:10:41 | 日記

長く生きていると、面白くない事が多い。

可愛い幼児を犠牲にするな!


幼児虐待、無差別殺人事件は特に気が滅入る。少子化の一方でこの様な事件をどう考えるか?

児童相談所などが批判されているが、彼ら公務員で転勤族に期待は出来ない。社会の修羅場は仕事上見ていても企業戦士の様に実体験はしていない。モンスターな人間には全く無力のようだ。問題の本質は、教育問題なのだ。

何故それをもっと議論しないのか。「人を殺してはならない、年寄りは大切にしなさい、他人に迷惑をかけてはならない、そして、働かねばならない。」何故、この様な当たり前の事をちゃんと教えて来なかったのか。日本の地域性や居住区域の問題もあるが、公立学校の現場がますます荒れているらしい。モンスターな親達が様々なクレームをつける。ひ弱な先生方では対応出来ない。更に荒れる。

結果、富裕層は私学に子供をやる。そして、今や普通の家庭でも、共働きなど無理してでも私学を目指す。子育て問題が経済問題なのはここにある。子供を作っても相当な教育資金をつぎ込まないと真っ当な教育環境は確保できないのだ。元々裕福な人達はすでに対応済である。ややこしい地域には関わらない様にする。高レベルな国立・私立難関校の子供たちは親がその道を歩んだ親なのだ。結果、公立学校にはますますリテラシーの低い人達が集まる。先生たちも教育の質より「無事」に送り出す事が主な目的となる。格差社会の究極の状態になりつつある。貧乏人は絶対に出世できない現実が待っている。このような中で、女性一人に3人は産めと言われれば反発されるのも当たり前だ。たった一人の子供に一点豪華主義に金をつぎ込んで行くのも大変なのだ。

公立学校で道徳教育など、できるはずもない。その様な中から、極めて希だが幼児殺人が発生する。金持ちでも、殺人事件はある。しかしあえて言えば、その様な教育退廃が主な原因だ。当たり前の常識を当たり前に教える事をお願いしたい。

大切な子供たちに貧富の差があってはならない。誰でもが平等に生まれて来るのだ。いずれ格差は襲って来るが幼児に犠牲者が出てはならない。(涙)至急提案したい。教師の民間交流を一層進めてもらいたい。民間企業の優秀社員を高給で教師に着かせて欲しい。企業での経験がない人に教員免許を与えないで欲しい。

暴論でしょうか?筆者自身も立ちあがりたい。


630 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  83番  毘沙門堂

2019-06-10 08:48:36 | 日記

83番 毘沙門堂

 

京都市山科区安朱稲荷山町18

山号  護法山

宗派  天台宗

開基  行基

本尊  毘沙門天

正式名 護法山安国院出雲寺

 本堂

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

山科方面にも見たいお寺は多い。東海道本線山科駅から東の道を線路をまたぎ北方向にだらだらと上り坂を15分ほど歩く。1km程だが上り坂が徐々に急坂になるので足にはこたえる。毘沙門堂は、天台宗5箇室門跡寺院の一つだが、もとは相国寺の北にあった出雲寺に、平氏ゆかりの平等寺・尊重寺・護法寺の3寺院が合併したものである。平等寺は太秦に、尊重寺は上京五辻に、護法寺は伏見にあった。出雲寺は奈良時代に行基の開基によるもので、現在の上御霊神社のあたりで、出雲路という名にその痕跡が残る。その後、応仁の戦乱で焼失し江戸時代になり幕府より近隣の安祥寺の寺域を賜ったものである。なお、後西天皇皇子、公弁内親王がここで受戒し門跡寺院となってから、毘沙門堂と言うようになった。

毘沙門天は秘仏であるが、本堂は唐破風の門など朱色が目立つ全体に派手で京都の門跡寺院には珍しい佇まいである。近年修復され一層見事な色彩になっている。境内は自由に散策できるが、入館料を払えば「晩翠園」という名園や、寝殿の特殊技法による襖絵など見学できる。いつでもゆっくり見れるが、桜・紅葉の季節が特に良い。