84番 安祥寺
京都市山科区御陵平林町22
山号 吉祥山
宗派 高野山真言宗
開基 藤原順子・恵運
別称 高野堂
本尊 十一面観音
京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。
安祥寺は毘沙門堂の隣にある。毘沙門堂は元々この地にあった安祥寺の敷地を譲られたものであるので、毘沙門堂敷地内から行けるかも知れない。筆者は普段拝観していないので、日をかえて特別拝観の日にうかがった。山科駅の西側の参道斜面を登り山門に至る。
安祥寺は、醍醐寺の上醍醐・下醍醐と同様に上安祥寺・下安祥寺に分かれて発足した。筆者は上醍醐にも行ったがハイヒールでは行けない。安祥寺も山岳修行の場としての上寺の方が広大な敷地と伽藍を有し大いに栄えていた。創建は平安初期、文徳天皇母の藤原順子(じゅんし)の発願によるものとなっているが、すでに上寺が存在していて順子によって下寺が建立されたと考えられる。もちろん上寺・下寺とは後日言われるようになったのだが・・・・。しかし平安後期にはすでに荒廃し応仁の乱で焼失し完全に廃寺となった。江戸時代になって残った宝物をもとに再建するが、上寺は再建されず幕府の命令により寺領の多くを毘沙門堂に譲った。明治初期までは多宝塔があったが火事で焼け、現在は、本堂・地蔵堂・大師堂のみで建造物を囲む境内は残念ながら整備されていず往年の勢いは感じない。
ただ、解説によると焼けた多宝塔内にあった木像五智如来像(現在は京都国立博物館所蔵)は安祥寺創建時の作品で今年国宝指定の予定との事、また東寺の塔頭観智院所蔵の五大虚空蔵菩薩像は元安祥寺にあったもので唐からの招来仏である事を聞いた。このように安祥寺は現在の佇まいからは想像できないが、歴史上大変重要な寺院であったのだ。普段は非公開寺で、今回拝見した本尊十一面観音立像も初めての公開だった。山門横の事務所には長蛇の列、令和の御朱印を頂く行列だった。滅多に入れない寺院の令和元年の御朱印は貴重なのだ。
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