アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

339 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 なぜ?藤原氏は天皇にならなかった?

2018-04-14 08:08:18 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

箸休め コラム

「藤原鎌足」の画像検索結果中臣(藤原)鎌足

藤原家は、なぜ、天皇にならなかったか?よくある質問だ。

平清盛、源頼朝、足利義満、織田信長、豊臣秀吉など皇位を狙ってもおかしくない英雄は、あまたいる。弓削道鏡や平将門などあからさまに皇位を狙った人は、不幸な死に方をしているという事になっている。

筆者には答えるほどの知見はないが、「旧家の本家と分家」の関係に例えればどうか。本家が衰退し分家が如何に栄えても、本家は本家、分家は分家だ。本家の当主を「天皇」と思えばいい、分家は財力や権力をどんなに大きくしても、天皇ではなく、「将軍」とか「大臣」という地位で政治を牛耳れば本質的な欲求を満たすことが出来る。法事や祝い事の時に、本家の「天皇」を担いでいれば良いのだ。ただ、日本の皇室は、純粋に国民の幸福を祈る使命を守っているので、担いでいるという表現は当たらないが、形式的な権力構造は「本家」の皇族を頂点にしている。本家も、自分に近い親戚を重用するより、優秀な分家の人材を使う方が乗っ取られる危険性が少ない。藤原家は、忠実な分家として発展した。

「天照」の画像検索結果アマテラスと天児屋命

藤原家は、中臣鎌足を祖とするが、その祖先は神話の「天児屋命」であり天照大神に仕える。天の岩戸の伝説や、天孫降臨の際にも伴っていて、皇室に最初に仕えた「神」の子孫であるとなっている。従って、藤原家は、神になるのでなく「皇室(神)に使えること」に決めたのである。その事で存続の意義を見出したのである。一方、源氏も平家も、桓武平氏、清和源氏などと、皇室の分家である事がはっきりしている。いくら勢力をつけても「分家」は「分家」なのだ。

「将門」の画像検索結果逆賊?将門

源平藤橘(源氏、平家、藤原、橘)の4氏しか日本には姓はない。足利は源氏の宗家、北条は平家の分家、一条とか冷泉、近衛とかすべてが藤原氏である。唯一、歴史に別の姓をもうけたのが、豊臣家なのだ。彼は、征夷大将軍は源氏しかなれない、関白や摂政には藤原氏しかなれない事を知ると、最初は近衛氏を名乗る。しかし、人臣を極めて天皇になる代わりに「豊臣秀吉」を名乗った。残念ながら豊臣は、秀次、秀頼の3名しか名乗れなかった。

このように、日本人の誰もが皇室である「本家」の「分家」なのだ。本家に血統の近しい人から順番に男子男系でつないできたのだ。

従って、我々に天皇の使命は来ない。ご安心あれ・・・・・。

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