アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

番外の番外 のおまけ

2018-04-02 14:48:11 | 日記

 

京都の朝風呂。白山湯の巻き。

桜が満開だった。

昨日は、東京からの知人を案内した。前夜から京都に入った時は早朝の東寺、西本願寺など、宗教上の御勤めに出かける。本日は、朝から東寺は既に賑わっていた。一方、西本願寺は、いつも通りの静けさの中で読経が行われて、その後、お剃刀の儀式が行われていた。帰り道、京都での楽しみは、朝風呂だ。京都は銭湯が結構残っていて情緒的な街中の温泉がいっぱいある。錦市場にある錦湯は、老舗の銭湯だ。さまに歴史的建造物の中に厳かにお邪魔する思いだ。

今日の朝風呂は、六条通の白山湯。

近代的なビル風ではあるが、昔ながらの街並みに突如その姿を現す。六条通の新町あたりにある。東西の通りでは、三条、四条、五条そして七条通りも含めそれぞれ特徴ある通りであるが、六条通りは極端に印象の薄い通りである。烏丸通から西へ堀川通までは自動車の通行も出来ない細い露地になってしまう。堀川通以西は、西本願寺の関係で通りは消滅している。

白山湯は、自動車なら軽四で行くことにしたい。

右が男湯。下駄箱の番号、一番、三番、一六番とお決まりのジャイアンツの有名選手の背番号を探すような子供じみたことはしない。勿論、村山の11番や掛布の31番も無視する。ただ、先ほどの番号に加え、巨人の永久欠番は絶対に使いたくないので、しばらく入場できない事もある。(まあ、ええ)

500円で少しおつりがある。番台は昔から憧れの職業の一つだった。子供の頃に、番台の向こうにチラッと近所のおネイサンの全裸の陰毛が目に入り、お陰で興奮が冷めるまでズボンが脱げず苦労した記憶がある。(まだまだ勃起力が旺盛の頃だ)

最近では、番台はなく入り口で払う仕組みだ。(情緒がない)

京都の銭湯の脱衣場は、ロッカーの籠を取り出して使う。決して直接ロッカーに衣服を入れるのではない。理由はロッカー前が混むことと、何と各ロッカー内は奥半分が板がなくイケイケになっている。子供が侵入しても助けられる為か?(まさか?)

籠に脱衣して改めてロッカーに入れる。さて、京都でも銭湯のお湯は熱い。隅にある比較的ぬるいジャグジーに身を沈める。そして全体風景を眺めると、面白い光景が広がる。

一方の片隅のサウナから出て来て、水風呂に飛び込むおじさん。数秒潜ったままで水から飛び出すと熱い湯船に移ってまた飛び込む。湯が飛び散るが周囲の人たちも承知のようで知らぬ顔だ。その湯船は飛び切り熱く、筆者は数分もいられない。そこに修行のように肩まで浸かるおじさん、顔はゆでだこ状態だ。表情には苦悩が漂う。太古の昔の空海はこのように修行したであろうと思わせる。洗面台では、丁寧に髭を剃っているご老人一人。丁寧に丁寧に、髭一本一本剃っているかのように見える。鏡に顔を寄せてうっとりしている。

ここまで湯につかって数分が過ぎた。突然、無人と思っていた隣のジャグジーの表面に、顔を真っ赤にしたおじさんが飛び出して来た。なに?ジャグジーの泡の為見えなかったが、水面下に潜っていたのだ、しかし少なくとも数分は水面下にいたはずだ。超人的肺活能力だ。しばらく息を整えて再び静かに水面下に入って行った。やはりジャグジーは無人にしか見えない。あれれ、再びサウナから先ほどのおじさんが出て来た。やっぱり一目散に水風呂に・・・。しかし、先客が使っている。どうするかと見ていたら頭から飛び込むものの水しぶきは上げず静かな入水だ。オリンピックの高飛び込みのように勢いはあるのにしぶきは上げない。得点9.5は取れる。そして熱湯風呂に直行する。修行僧は依然として熱湯風呂で微動だにしない。歯を食いしばる表情から生存はしているようだ。さらに髭剃りおやじは、なおかみそりを片手に熱心に髭を剃っている。どう考えても髭はもうないだろう。つるつるの肌に一身腐乱にかみそりを当てている。

「男根」の画像検索結果

修行僧が湯から出るのと、かみそりおやじが剃り終えるのとどちらが先か、考えていると隣のジャグジー潜水男が再び顔を出した。個人的にはこの男の能力に一番リスペクトを感じる。その時、目の前を前も隠さず堂々と股間を誇示しながら入って来た青年。確かに恐れ入る。平常時でこの勢いは驚嘆に値する。そのままでも挿入できそうな立派な「モノ」は隠してもタオルをつき上げそうだ。洗面所の座椅子に座っても先端部がタイルに接している。(熱い湯が流れて飛び上がっていた。)

「修行僧」の画像検索結果

そして三度目、サウナ男が飛び出て来た。修行僧も依然頑張る。髭剃りおやじは今や剃っているのか何をしているのか分からない。ジャグジー潜水男も繰り返し頑張る。

そこまで見ていて筆者がのぼせてしまった。その後の記憶が定かではない。(涙)

「銭湯」の画像検索結果

京都の朝風呂は強者揃いだった。


329 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 後醍醐天皇 倒幕へ

2018-04-02 10:21:58 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

 

96代 後醍醐天皇 建武の親政

「後醍醐」の画像検索結果

後醍醐天皇の業績に対する評価は、大きく分かれるところだろう。明治維新後、特に太平洋戦争に向かう「皇国史観」の機運高まる時代には、英雄楠木正成、逆賊足利尊氏の歴史観のもと、後醍醐天皇の功績への客観的評価はあやふやにされたようだ。

因みに、昭和初期「尊氏」の名前を出すだけで糾弾された国会議員がいたくらいだ。尊氏はタブーだったのだ。

前回書いたように、持明院統との契約や父後宇多天皇から言われた二条天皇の皇子への譲位の強制など、自らの理想である天皇親政を実現する為には、倒幕して現在の秩序を一旦壊すしかなかったのだ。残念ながら自らの地位保全がきっかけであった訳だ。

そして、正中の変を企てる。

知識の乏しい筆者には、「鹿ケ谷の陰謀」と「正中の変」が、妙にオーバーラップして仕方がないのだ。

平家物語と太平記の対比で眺めると、類似点が多い。

 

鹿ケ谷の陰謀

正中の変

対立

清盛VS後白河上皇

幕府(六波羅探題)VS後醍醐天皇

会合

東山鹿ケ谷山麓での無礼講

無礼講

密告

多田行綱が清盛に密告

土岐頼春が新妻(父が六波羅)に漏洩

処分者

僧俊寛・僧西光・藤原成親・

平資行・平康頼など

日野資朝 斬首・日野俊基 謹慎

土岐頼貞・多治見国長 自害

陰謀説

熊野詣中の清盛の陰謀説

太平記の作者の脚色?

その後

以仁王・源三位頼政の乱へ

その後義経の登場

元弘の変を経て楠木正成の登場

足利尊氏の裏切りへ

このように、見ると話しの展開が平家物語と似ていませんか?

「後醍醐」の画像検索結果尊氏?

いずれも後世の作によるもので、より劇的により時の権力者におもねる脚色になりがちだ。しかも太平記の作者は、平家物語を当然意識していたことは間違いない。

足利尊氏と新田義貞の関係は、源頼朝と木曽義仲に求めただろうし、楠正成の天才的戦略は義経にそのイメージを求めたと言わざるを得ない。

「後醍醐」の画像検索結果南朝の活動ルート

さて、後醍醐天皇の倒幕運動は、元弘の変でも密告(吉田定房)によって露見し。笠置山での本格挙兵となる。そこから隠岐への島流し、脱出、建武の親政、尊氏の裏切りと時代はめまぐるしく動く。この辺りは、筆者が書くには知見が及ばない。

次回は、筆者得意の後醍醐天皇の生殖力を見る。