京都の朝風呂。白山湯の巻き。
桜が満開だった。
昨日は、東京からの知人を案内した。前夜から京都に入った時は早朝の東寺、西本願寺など、宗教上の御勤めに出かける。本日は、朝から東寺は既に賑わっていた。一方、西本願寺は、いつも通りの静けさの中で読経が行われて、その後、お剃刀の儀式が行われていた。帰り道、京都での楽しみは、朝風呂だ。京都は銭湯が結構残っていて情緒的な街中の温泉がいっぱいある。錦市場にある錦湯は、老舗の銭湯だ。さまに歴史的建造物の中に厳かにお邪魔する思いだ。
今日の朝風呂は、六条通の白山湯。
近代的なビル風ではあるが、昔ながらの街並みに突如その姿を現す。六条通の新町あたりにある。東西の通りでは、三条、四条、五条そして七条通りも含めそれぞれ特徴ある通りであるが、六条通りは極端に印象の薄い通りである。烏丸通から西へ堀川通までは自動車の通行も出来ない細い露地になってしまう。堀川通以西は、西本願寺の関係で通りは消滅している。
白山湯は、自動車なら軽四で行くことにしたい。
右が男湯。下駄箱の番号、一番、三番、一六番とお決まりのジャイアンツの有名選手の背番号を探すような子供じみたことはしない。勿論、村山の11番や掛布の31番も無視する。ただ、先ほどの番号に加え、巨人の永久欠番は絶対に使いたくないので、しばらく入場できない事もある。(まあ、ええ)
500円で少しおつりがある。番台は昔から憧れの職業の一つだった。子供の頃に、番台の向こうにチラッと近所のおネイサンの全裸の陰毛が目に入り、お陰で興奮が冷めるまでズボンが脱げず苦労した記憶がある。(まだまだ勃起力が旺盛の頃だ)
最近では、番台はなく入り口で払う仕組みだ。(情緒がない)
京都の銭湯の脱衣場は、ロッカーの籠を取り出して使う。決して直接ロッカーに衣服を入れるのではない。理由はロッカー前が混むことと、何と各ロッカー内は奥半分が板がなくイケイケになっている。子供が侵入しても助けられる為か?(まさか?)
籠に脱衣して改めてロッカーに入れる。さて、京都でも銭湯のお湯は熱い。隅にある比較的ぬるいジャグジーに身を沈める。そして全体風景を眺めると、面白い光景が広がる。
一方の片隅のサウナから出て来て、水風呂に飛び込むおじさん。数秒潜ったままで水から飛び出すと熱い湯船に移ってまた飛び込む。湯が飛び散るが周囲の人たちも承知のようで知らぬ顔だ。その湯船は飛び切り熱く、筆者は数分もいられない。そこに修行のように肩まで浸かるおじさん、顔はゆでだこ状態だ。表情には苦悩が漂う。太古の昔の空海はこのように修行したであろうと思わせる。洗面台では、丁寧に髭を剃っているご老人一人。丁寧に丁寧に、髭一本一本剃っているかのように見える。鏡に顔を寄せてうっとりしている。
ここまで湯につかって数分が過ぎた。突然、無人と思っていた隣のジャグジーの表面に、顔を真っ赤にしたおじさんが飛び出して来た。なに?ジャグジーの泡の為見えなかったが、水面下に潜っていたのだ、しかし少なくとも数分は水面下にいたはずだ。超人的肺活能力だ。しばらく息を整えて再び静かに水面下に入って行った。やはりジャグジーは無人にしか見えない。あれれ、再びサウナから先ほどのおじさんが出て来た。やっぱり一目散に水風呂に・・・。しかし、先客が使っている。どうするかと見ていたら頭から飛び込むものの水しぶきは上げず静かな入水だ。オリンピックの高飛び込みのように勢いはあるのにしぶきは上げない。得点9.5は取れる。そして熱湯風呂に直行する。修行僧は依然として熱湯風呂で微動だにしない。歯を食いしばる表情から生存はしているようだ。さらに髭剃りおやじは、なおかみそりを片手に熱心に髭を剃っている。どう考えても髭はもうないだろう。つるつるの肌に一身腐乱にかみそりを当てている。
修行僧が湯から出るのと、かみそりおやじが剃り終えるのとどちらが先か、考えていると隣のジャグジー潜水男が再び顔を出した。個人的にはこの男の能力に一番リスペクトを感じる。その時、目の前を前も隠さず堂々と股間を誇示しながら入って来た青年。確かに恐れ入る。平常時でこの勢いは驚嘆に値する。そのままでも挿入できそうな立派な「モノ」は隠してもタオルをつき上げそうだ。洗面所の座椅子に座っても先端部がタイルに接している。(熱い湯が流れて飛び上がっていた。)
そして三度目、サウナ男が飛び出て来た。修行僧も依然頑張る。髭剃りおやじは今や剃っているのか何をしているのか分からない。ジャグジー潜水男も繰り返し頑張る。
そこまで見ていて筆者がのぼせてしまった。その後の記憶が定かではない。(涙)
京都の朝風呂は強者揃いだった。