アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

199 アチャコの京都日誌 金胎寺 ② 付録 イノシシの復讐

2017-11-08 18:52:41 | 日記

昨日、希望の党の共同代表選挙立候補者の話をニュースで聞いた。

憲法改正は反対だという候補者がいた。

「言うたらあかんやろ?」小池一派に入ったのだから、そしてそれによって当選したのだろう?

希望の党は分裂する。100%そうなる。

 さて、

金胎寺は、平安以前の創建らしい。行者の修行道場として発展したので、創建ははっきりしない。

役行者が創建したと記録にあるらしいが、聖武天皇の時代に平城京の鬼門の守りに整備されたのが始まりだとか。

歴史の表舞台に登場するのは、太平記で後醍醐天皇が笠置に落ちる時立ち寄った事だ。

当時は、東塔・西塔のある大伽藍だったようだ。しかしこのような峻嶮な場所に輿に乗っているとは言え、

時の天皇が、本当に立ち寄ったのだろうか、しかもその後、もっと奥の笠置山に向かったのだ。

倒幕の執念はどれほどのものだったか。まさに執念としか言いようがない。

一番の見どころは、多宝塔(重文)1298年に創建された事がはっきりしていて、府内最古だ。

五重塔なら醍醐寺の塔が最古で、951年という事で、建造物としても最古を誇る。

因みに、三重塔は、この近くの浄瑠璃寺の三重塔(国宝)が古い。

1178年なのだが、洛中から移築されたと言う記録があるので、実はもっと古い。

金胎寺は、宝篋印塔も古く1300年の創建でこれも重文だ。

境内全体を行場も含めまわるのは、2時間ほどかかると立て看板に書いてあるのを見て、

今度はちゃんと準備して誰かを誘って来ようと思う。

本尊の木造弥勒菩薩は、醍醐寺の博物館に寄託された。

柴燈大護摩が、毎年5月に行われる。中央の壇に護摩が焚かれる。

大師堂は、昭和の創建。

色づき始めた紅葉の中、まさに孤高の塔だ。観光客を拒絶するような威厳を感じた。

行者堂(痛みが進んでいる。)

改めて、修行に来なくてはならない。


さて、帰ろうとして、先ほどの仕留めたイノシシを担いで行く。

意外に重い。すると先ほどの子イノシシ達が果敢に襲って来た。

子供に用事はない。杖であしらうが、彼らも親の敵と思うのだろうか、一生懸命だ。仕方ない、

しし鍋の共に、子供も頂くか?一網打尽に網ですくおうと何か適当な網を探すが見当たらない。

中でも大きな子イノシシが、私の足首に噛みついた。痛い!もう一匹が片方の足に噛みつく。

たまらず尻もちをついたが最後、数匹の子イノシシが私の体に一斉にのしかかり食い散らす。

目をやられ、腹を食いちぎられ、意識が遠ざかる。どうせ死ぬなら、ボタン鍋食べたかった。

「イノシシ」の画像検索結果「イノシシ」の画像検索結果

私もここまでか?

妄想が止まりません。