金曜日にアマゾンから届いた「虚無への供物」の題材の一つが洞爺丸の沈没でした。
1954,9,26、台風15号の接近に伴い荒れ始めた津軽海峡。函館市内で断続的に発生した停電により可動橋も動かなくなり洞爺丸に移乗予定の米車両の搬入も進まず、15:10運航の中止を決定したその2分後、可動橋が動き出し作業は再開。(運命の2分)
風速は15:時19,4m、17時17,3m、18時13,7mと弱まり、17時ごろの函館は土砂降りの後瞬間風も収まり晴れ間も見えたことから台風の目と判断、中心気圧は気象台発表より低かったものの台風の速度から航海可能と確信した船長。18:30出港を発表。現在では17時の晴れ間は台風の目ではなく閉塞前線であったと推測されています。
ほぼ同時刻出港した洞爺丸は、その後予想外の風、高波にあおられ22:43頃沈没。死者行方不明者1155名。国内最大の海難事故。亡くなられた方はもちろん、ご遺族ご関係者のその後の人生に多大な影響を与えることとなりました。
折しも台風16号が接近中の日本。気象衛星や気象台の分析能力は当時と比較できないほど進歩し同様の事故は起きる可能性は低いと思いつつ、60有余年前の事故から個々に何かしら学ぶことも先達の遺産であり、またご供養になるかもしれないなあと。
1954,9,26、台風15号の接近に伴い荒れ始めた津軽海峡。函館市内で断続的に発生した停電により可動橋も動かなくなり洞爺丸に移乗予定の米車両の搬入も進まず、15:10運航の中止を決定したその2分後、可動橋が動き出し作業は再開。(運命の2分)
風速は15:時19,4m、17時17,3m、18時13,7mと弱まり、17時ごろの函館は土砂降りの後瞬間風も収まり晴れ間も見えたことから台風の目と判断、中心気圧は気象台発表より低かったものの台風の速度から航海可能と確信した船長。18:30出港を発表。現在では17時の晴れ間は台風の目ではなく閉塞前線であったと推測されています。
ほぼ同時刻出港した洞爺丸は、その後予想外の風、高波にあおられ22:43頃沈没。死者行方不明者1155名。国内最大の海難事故。亡くなられた方はもちろん、ご遺族ご関係者のその後の人生に多大な影響を与えることとなりました。
折しも台風16号が接近中の日本。気象衛星や気象台の分析能力は当時と比較できないほど進歩し同様の事故は起きる可能性は低いと思いつつ、60有余年前の事故から個々に何かしら学ぶことも先達の遺産であり、またご供養になるかもしれないなあと。