1904(明治37)年9/1に発刊された明星に掲載された、日露戦争に出征した弟を想い著されたといわれる与謝野晶子「君死にたもふことなかれ」は大反響を呼び、天皇は戦に行かない、家大事妻大事、国は滅びても構わない、商人は出征しなくてもよし等の表現について批判を受けた時の晶子の反論がタイトルです。
戦嫌いと言いながら、子が大尉として出征した第一次世界大戦においては白櫻集「強きかな天を恐れず地に恥ぢず戦をすなるますらたけをは」等戦争賛歌も多く、環境や経験により人は変わるのが当然との感想しかもっていなかったのですが。
晶子が嫌った、キリストを否定し天皇をキリストのメタファーとして排する社会主義共産主義者であり、政府の社会主義者一掃計画の一環としてほぼ濡れ衣で大逆事件で処刑された幸徳秋水の反戦論。また、平塚らいてふの出産、育児に対する政府の保護を求めた運動に対し、周りに頼るなと真っ向異を唱えたことなどから、自主独立、己の研鑽を基本とし自由を求める精神は一貫しているのかなあなんて。
ですから、型にはめ思うように民衆を操りたい政府に対しその敵愾心は苛烈で、アナーキストだったのかもしれません。
ちょっとだけわかるような気がします。
戦嫌いと言いながら、子が大尉として出征した第一次世界大戦においては白櫻集「強きかな天を恐れず地に恥ぢず戦をすなるますらたけをは」等戦争賛歌も多く、環境や経験により人は変わるのが当然との感想しかもっていなかったのですが。
晶子が嫌った、キリストを否定し天皇をキリストのメタファーとして排する社会主義共産主義者であり、政府の社会主義者一掃計画の一環としてほぼ濡れ衣で大逆事件で処刑された幸徳秋水の反戦論。また、平塚らいてふの出産、育児に対する政府の保護を求めた運動に対し、周りに頼るなと真っ向異を唱えたことなどから、自主独立、己の研鑽を基本とし自由を求める精神は一貫しているのかなあなんて。
ですから、型にはめ思うように民衆を操りたい政府に対しその敵愾心は苛烈で、アナーキストだったのかもしれません。
ちょっとだけわかるような気がします。