インドのマザーテレサのマザーハウスで約20年間
ボランティア活動を実践しておられる渋谷律子さんから、
滝井にHELPの連絡が来ました。
インドのカルカッタの現場は、たいへんですね。
こんなに立派に社会貢献している渋谷さんのような方・・・。
どうして世の中はこういう気高い人が貧しい生活を・・?
格差社会を懸念し
なんとか渋谷さんを応援する方法はないだろうかと、
以前から、みんなで知恵をだしていました。
私たちは何度も渋谷さんの応援方法を考えました。
日本で講演会をうつ方法を考えました。
運がいいことに2011年8月26日までマザーテレサ生誕100周年です。
E表現研究所では、昨年から[マザーテレサに学ぶ]
が20011年度は主なテーマで、「主婦が日本育て」を第一目標にしています。
311大震災があり、東北地方のみならず、その影響が出てきて、
日本全体が沈没しそうと、
日本の将来を悲観的に観ている方が大勢います。
これも、「主婦が日本育て」で、主体的にがんばる力を発揮したいです。
インドの貧しい孤児をサポートしている渋谷さんに敬意を払い
そのスキルが、今の日本を立ち直らせるキッカケになると、
感じた私は、理事会で説得しました。
また、今年度のテーマは
「震災から身を守るヒント」シリーズ①~⑥
です。多彩な企画になっています。
企画に渋谷さんのサポートをすることが、E表現研究所の趣旨にピッタリですので、5月2日の理事会で講演会の開催が承認されました。
渋谷さんの帰国日程が決まり次第、講演会の日程が決まります。
♪ どうぞご一緒にご参加ください ♪
また、他地域でもご協力いただける方は、このブログのコメント欄にご連絡いただければ嬉しいです。
精力的に日にちを詰めて集中して講演会を開催されることを夢見ています。
メール ご紹介☆★★★☆★☆★★★☆★☆★★★☆★☆★
渋谷 律子 です
TAKIIさんへ
こんにちは、カルカッタの渋谷です。
こちらの子供たちは元気にしています。
また、メンバーも少し入れ替わりました。
私は、午前中は子供たちのエクササイズとリハビリ、食事介助と掃除をし、午後はほぼゼロになるボランティアを補うため、
職員と変わらない仕事に精を出す毎日を送っています。
さて、昨年の4月、Pinkuの容体の関係で日本に帰国することができず、残していた資金を切り崩しながらボランティアを続けていましたが、ついにその資金を使い果たしてしまいました。
ある方から資金の援助の話も受けていたのですが、
送金方法の問題からそれを受け取ることができなくなってしまいました。
5月にはなんとか工面して帰国いたしますが、
その後の生活費に困っています。
住む所や働く場所などの面で助けていただけると非常に助かります。
また、自分で資金を集める方法の一つとして、悩んでいましたら、インドで出会ったTAKIIさんの息子さんのご親切なご助言でお母様に頼んでくださり講演会を開いてはどうかという企画に感謝しています。
そのために必要な手順や開催までの運びについてご協力いただけないでしょうか。
現在講演依頼を考えているのは学生団体とNPO団体に対してです。
良いお返事をお待ちしております。
また、ご紹介してくださいました息子さんはじめ、関係者の皆様に
TAKIIさんからよろしくお知らせいただけないでしょうか。
よろしくお願いします。
> > お元気で
> >
> > 渋谷
【TAKIIの考察】
その後、私はすぐに講演会の準備をしています。
学校関係のみなさまや報道陣のみなさま是非ご協力を
お願いいたします。渋谷さんの活動が今後も
スムーズにできますようになにとぞ、ご協力お願いいたします。
「アジャ・パー!!! 資金不足の渋谷さんインドから日本にとべるんかなあ」
「アジャ・パー!!!そうでっか~。ほなよかった~。
TAKIIなら、羽根あっても体重オーバーで太平洋にボッチャンやなー」
あほかいな~。
「魔女ナミーキ」と呼ばれた私やで~~~。
ほうきに乗って飛ぶがな~~~。安心してや~。
報道関係には、話しができるかもしれません・・・
私の力は、何もありませんが・・・(泣)
実現することを切に願っています。
私も出来る限りのお手伝いをさせていただきたいです。
マザーテレサの近くにいた方のお話が聴けるなんて夢のようです。実現できますように。
ありがとうございます。
皆様の応援があってこそ、
E表現が機能していることを実感しています。
企画が進展していくことを願っています。
よろしくお願いいたします。
それにしても、TTTさんの息子さんも、徳のある方ですね。しっかり受け継がれていますね^^
渋谷さんとは1990年にカトマンズで知り合いました。エベレストから瀕死の状態で戻ってきた渋谷さんとしばらくホテルに滞在、その後渋谷さんはカルカッタでボランティア、私はミゾラムで農業開発を始めました。カルカッタを訪れる度に会って話をしていましたが、突然日本に帰国したと言う話を聞いたものの、私は連絡先を全く知らなかったのでした。
渋谷さんとは1990年にカトマンズで知り合いました。エベレストから瀕死の状態で戻ってきた渋谷さんとしばらく一緒にホテルに滞在、その後渋谷さんはカルカッタでボランティア、私はミゾラムで農業開発を始めました。カルカッタを訪れる度に会って話をしていましたが、突然日本に帰国したと言う話を聞いたものの、私は連絡先を全く知らなかったのでした。