デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

弘田三枝子が大絶賛されたニューポート・ジャズ祭1965

2020-08-02 08:53:59 | Weblog
 前稿でレナウンのCMソング「ワンサカ娘」を話題にした。映像と相俟って1965年のシルヴィ・ヴァルタンがイメージ強いが、61年のかまやつひろし、次いでデューク・エイセス、ヒデとロザンナ、アン・ルイスと、多くのシンガーが艶やかなドレスのバックで歌っている。その中に7月21日に亡くなられた弘田三枝子さんがカバーしたものがある。はち切れんばかりの若さとパンチのある歌唱に驚く。

 69年に日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した「人形の家」を口ずさむ方が多いが、団塊とその前後の世代は洋楽のカバー曲を歌うかもしれない。ヘレン・シャピロの「子供ぢゃないの」をはじめ、コニー・フランシスの「ヴァケーション」に「渚のデイト」、ミーナの「砂に消えた涙」、ジリオラ・チンクェッティの「ナポリは恋人」、フランス・ギャルの「夢みるシャンソン人形」…アメリカのポピュラーソングからカンツォーネ、シャンソンと幅広い。当時はそれだけ日本語の歌詞を付けてまでカバーに値する楽曲が世界中にあったということだろう。どの曲もオリジナルに負けない圧巻の歌いっぷりだ。

 そしてジャズファンが真っ先に思い出すのは、65年のニューポート・ジャズフェスの出演である。日本人では57年に秋吉敏子が出演しているが、シンガーとして招待されたのはミコが初めてだ。大絶賛である。拍手が鳴りやまない。誇らしい。数あるアルバムから「Miko In New York」を選んだ。フェスで共演したビリー・テイラー・トリオがバックで、ジャズ唱法を指導したのはベースのベン・タッカーだ。さぞ教え甲斐があったことだろう。歌唱は勿論のこと、スウィング感、タイミング、リズム感、どれをとっても18歳のシンガーとは思えない。Jポップだかのぽっと出の連中は足もとにも及ばない。

 カバー曲としては異例の20万枚売れた「ヴァケーション」を聴いたのは小学校低学年のころだ。「日本のポピュラー史を語る 時代を映した51人の証言」(シンコーミュージック刊)を編纂した村田久夫氏によると日本人が馴染みやすい英語っぽい日本語を考え出したのは弘田三枝子だと言う。当時、「V・A・C・A・T・I・O・N」とスペルまで覚えた子どもは多いはずだ。享年73歳・・・合掌。
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5 コメント

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昭和の星がまたひとつ消えました (duke)
2020-08-02 08:58:39
ご冥福をお祈りいたします。

ワンサカ娘'64
https://www.youtube.com/watch?v=Kk1gX1qxmJU

昭和39年、元気な時代でした。

弘田三枝子さん 恋のクンビア1965
https://www.youtube.com/watch?v=AVBbX3NJrv4

この時18歳、ニューポート・ジャズフェスに招かれた年です。

弘田 三枝子 sings Jazz
https://www.youtube.com/watch?v=FLJz1JkVZs4&list=PLaxor6HzJIlMSKeUVueZhqtq6EL0hW7uK&index=29

凄い!ニューハードをバックに映えるシンガーがいなくなりました。

弘田三枝子ファンの方は是非コメントをお寄せください。
弘田三枝子の唄うジャズ (azumino)
2020-08-05 16:07:15
こんにちは

弘田三枝子さんについては、僕は熱心なファンではありませんが、それでもオールディーズの時代のものや北九州におけるジャズのコンサートのCDは持っていてます。歌は迫力があって、リズムに乗るのが上手ですね。

学生時代に、弘田三枝子さんがピアノトリオをバックにジャズやポップスを唄ったコンサートを聴いたことがあります。「Yes Sir That My Baby」を唄っていたのが記憶にあり、なかなかよかったのですが、会場で受けたのは、アンコールに唄った「人形の家」でした。
ジャズヴォーカルだと一般受けはしない端的な事例ですが、彼女の歌声を聞けただけでもよかったコンサートでした。70代前半なので、まだお若いのに残念です。ご冥福をお祈りします。

コロナがまた流行っていて、9月に札幌へ行く予定でしたが、仕方なくキャンセルしました。すすきのが遠くなるばかりで、ちょっと寂しいです。冬にはなんとかと考えています。
人形の家 (duke)
2020-08-06 07:36:44
azumino さん、コメントありがとうございます。

弘田三枝子さんのレコードは一時熱心に集めました。特にEP盤は昭和の香りがしますし、「人形の家」以前の健康的なジャケット写真が好きですね。残念ながら生で聴く機会はありませんでした。ピアノトリオをバックにしたコンサートをご覧になれたとは羨ましいです。外国人プレイヤーも日本のシンガーもコンサートで受けるのはやはりヒット曲のようです。私も今さらと思いながらも、弘田三枝子さんのライブでは、「人形の家」を期待するでしょう(笑)

ススキノも一時は賑わいを取り戻したのですが、キャバクラでクラスターが出たため閑散としております。根城にしている「DAY BY DAY」もお客さんはパラパラで寂しいです。落ち着いたら是非お越しください。また飲みましょう。
哀悼… (内間天馬)
2020-08-22 03:21:12
今日、久しぶりに開いたdukeさんのアドリブ帖で、弘田三枝子さんが亡くなったことを知り、非常に驚いています。スコットランドの田舎にいると日本のニュースには疎くなるんでしょうか。
弘田三枝子さんは、僕の一番最初のアイドルで、彼女にファンレターを書いたこともありました、返事は来なかったけど。ま、絶頂期でしたから…
僕にとっての思い出の彼女は「人形の家」ではなく、はるか以前の、ハツラツとパンチのある「わんさか娘」や「バケーション」などオールディーズの数々、そして、毎日テレビで流れていたCMソングの「アスパラで生き抜こう!」だったですね。
初めて彼女のジャズを聴いた時はぶっ飛びました。そして、パンチはもちろん、そのスウィング感やスケールの大きさに、日本最高のジャズシンガーだとも思いました。エラに魅せられてジャズを歌うようになったとのコメントにも大いに納得しました。
今回、dukeさんご紹介のアルバムで弘田三枝子の伴奏をしているビリーテイラーは僕も好きなプレーヤーなので、なんとかこのアルバム、探して聴いて見たいと思っています。それにしてもdukeさんが、こんなアルバムをご存知なのには驚いてしまいます。
人気絶頂の頃、同業の人気タレントに「ミコは太りすぎね」と言われて一念発起、見違えるほど痩せた頃、好きになったギタリストの奥さんに刺されるなど波乱万丈と言っていいその後が待ってました。僕はかつて、その愛人だった有名ジャズギタリストR・Kさんの演奏をロンドンの「ロニースコッツ」で聞きましたけど、ステージに現れた彼を見て、真っ先に思ったのが「このギタリストの奥さんが、かつて弘田三枝子をナイフで…」でしたね。
都はるみさんの述懐を思い出します。はるみさんはこぶしを効かせて唸ります。あれは浪曲好きのお母さんの影響だと思ってたんだけど、なんと弘田三枝子がパンチを効かせて唸るのに影響を受けたんですって。
ちょっととりとめのない文章になりました。今、ハツラツとした彼女の、これ以上ない笑顔が思い浮かびます。「人形の家」以降、あるいは晩年は幸せだったのでしょうか?
いつも感慨深い文章をくださるdukeさんには無限なる感謝です。本当に本当にありがとう。
今回は「合掌」の代わりに、この言葉で締めくくりたいと思います…哀悼・弘田三枝子さん…
ミエコというワンダフルなシンガー (duke)
2020-08-22 07:30:59
内間天馬さん、コメントありがとうございます。

私も弘田三枝子さんはザ・ピーナッツと並んでアイドルでした。彼女たちの洋楽カバーがジャズへの入り口です。思えばこの昭和の時代は歌が上手いシンガーが多かったですし、半世紀経っても心に残るヒット曲ばかりでした。ルックスだけでろくに歌えないアイドルが並ぶ今とは雲泥の差です。耳だこの「わんさか娘」や「アスパラで生き抜こう!」のCMソングですが、昭和の薫りが残るとはいえ今聴いても新鮮です。

紹介した「Miko In New York」のドラマーは、歌も得意なグレイディ・テイトですが、数十年前、私が根城にしている「DAY BY DAY」に来た時、日本にミエコというワンダフルなシンガーがいると言ったとか。海外の評価の高さは誇らしいですね。

「人形の家」のヒット以降はスキャンダルで週刊誌を賑わしましたが、ジャズの表現は豊かでした。トラブルのジャズギタリスはトR・Kではなく杉本喜代志です。

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