昨年の「三所攻め」から始まった現場。
当初から季節を鑑み、本来より工期に余裕を持ったつもりが天候に左右されること度々・・・。
工事高に見合わぬ4ケ月にも及ぶ工事期間。
色々とありましたが、やっと目途が立つ。。。
「白い日」なんでしょうけど、何も用意もしてなくて「白い車」でランチでもと。。。
訪れるは何と8年ぶり?地元の「森のかくれ屋:野坂茶屋」
(8年ほど前の記事:森のかくれ家へ。。。」)看板に年季が入ったのがよく分る。。。
考えてみると、ここで食事をするのは初めてかもの、オーダーするは「ふわふわ卵のオムライス:¥900-)
ん・・・。少し味が濃い目かな? 鶏肉も塩辛くて、もう少し抑えた方が良いかな?(地元には厳しいコメント)
食後のシフォンケーキと別注文の珈琲は美味しく頂きましたよ。
しかし、食事の後に久しぶりにこの辺りを少し登りましたが、舞鶴若狭道の関係で景色も
変わっちゃいましたかねぃ・・・。
後少しで地方統一選挙ですかねぃ。。。
地元首長選挙も当然、行われるわけですが昨年の夏ごろに前回の選挙で次点だった候補者が
「来年の選挙にも立候補する」旨を伝えに土花亭を訪れる。(公式には最近の表明となってますが)
その時には相当、言いたいことを言いました。
「現職との政策の違いが分らん」、「原発については?」、「1千人にも及ぶ市職員の数はどうする?」・・・。
すると、「脱」だの「卒」だのの言葉は使えない。何か良い表現はないかと逆に聞かれたり、
市民70人に対して一人という異常な市職員数を減らすと言った途端、票が減ると悩みを打ち明けられたり・・・。
今年に入り、最近立候補を表明した立候補予定者についても、表明した次の日に一人で土花亭を訪れ
「基本、既製路線のままで行く」旨を伝えに来る。
お二人とも以前から付き合いもあり、その性格についても私なりに理解はしているのですが・・・。
この街には変な拘りがある。。。
「原発」とは先ず言わない。原子力による発電所なので「原発」というのが普通のところ「原電」と言う。
「核燃料サイクル」のことも「原子燃料サイクル」と。。。多分、イメージや聞こえの問題なのか
「発」だの「核」だのと言う言葉を嫌う。
そんな変な拘りがある割には「原子力は街の血液」と言い「これなしでは生きて行けない」とまで言う。
先日だか、地元地方紙で「県女性エネの会・再稼働賛成」みたいな記事を読み、
「へぇ~、女性の団体でも再稼働に賛成なんだ・・・」と違和感を抱きその後、色々と調べてみると
ちゃっかり「資源エネルギー庁」からの支援を受けている団体だと分ったり。。。
よく、「電気を多く消費する所に新しく原発を造ったらいい」などと言いますが、それは無理な話。
以下参照。。。
昭和39年5月27日付け、原子力委員会の「原子炉立地審査指針」においての「立地審査の指針」
1.原子炉の周辺は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。
2.原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること。
3.原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
以上の指針により東京湾にも造れないし、造れるとしたら私が住むようなところ・・・。
そっ、人口も増えず発展もしないような、この街のような所に限られるのです。
ところで昔、こう言われました「石油や石炭などの化石燃料は後、数十年で枯渇し無くなる」と。
「なので原子力なのです」と。。。(でも、数十年経っても、化石燃料は枯渇していない)
こうも言われました「石油などの資源は輸入に頼っている」と。。。(でも、よくよく考えればウランも輸入している)
化石燃料を燃やせばCO2が出る。。。(はい出ます。温暖化の要因でもあり宜しくない)
では、原子力発電所から出るものは?「核分裂生成物」。。。
これは「宜しくない」どころか、「手に負えない」
そもそも、CO2と核分裂生成物を比較すること自体が間違いで、化石燃料とウランを比較することが
どうにかしている。
4年前の事故の補償を完璧に行おうとするならば、東京電力が何回倒産しようと無理な話、
下手すりゃ~日本国が破産しても補えるか疑問なレベル。
よく「復興とは元通りにするだけじゃダメ。元より良くしなきゃ」と耳にしますが、原発事故における
復興となると正直、無理な話で、そのことについて皆気づいていても言わない「もう住めない」と・・・。
※東京電力福島第一原子力発電所事故による避難指示区域等からの避難者数
平成25年3月時点で約10.9万人(参考までに地元TRG市の人口約6.8万人)
犬山城下をぶらり。。。
1月の大火事で貴重な建物を焼失してしまった本町通り。肩を寄り添うように建てられた平入りの
古い町屋建築にとっての延焼を防ぐことの難しさを改めて感じる・・・。
この日の昼食は築100年ほどの「本町茶寮」。
向かって右側に土間が現存し、その奥には「おくどさん」。(現在は使われてはないようですが)
早速、注文は「ミニ田楽定食(¥650-)」
「菜飯」に「お吸い物」に「田楽」。
田楽については愛知独特の味噌なのですが、見た目よりそんなに濃くもなく美味しい。
菜飯とお吸い物もとても美味しく、お店の対応も良く気持ちよく頂けて大満足。
食後も城下町の風情を楽しみ、犬山を後にする。
ご承知の通り、「国宝」の城というのが4城存在するわけですが、今まで訪れることが出来なかった
最後の国宝「犬山城」にやっと訪れる。
木曽川沿いを歩きながら、未だ咲かぬ桜並木を「咲き誇るとさぞ綺麗なんだろうなぁ~」と眺めながら
突然の爆音に空を見上げる。
「F-15?・・・」。
木曽川の向こう岸は岐阜県。航空自衛隊岐阜基地からの離着陸訓練最中。
ところで「四城」の内、「彦根城」は地域柄のせいで子供の頃の学校からの遠足で最初に観ることが出来た。
その後、高校生の時に原チャ(TY50)による1週間ツーリングで「松本城」。
そして、6年ほど前に平成の大修理前に「姫路城」を訪れ、今回の「犬山城」でやっと制覇。
右手の「四季桜」の蕾が幾つか開いてました。
早速、天守閣に上り回廊に出て絶景をぐるりと見渡す。
左手前には「伊木山」。遠く遥か右奥の方には「金華山」の岐阜城が小さく観える。
しかし、良かったですねぇ「犬山城」。
後、ひと月もすれば桜の満開の頃、「犬山祭り」が催されます。