団塊太郎の徒然草

つれづれなるままに日ぐらし

高速道路財団、解散方針に反旗 震災遺児100億円基金

2011-07-09 10:42:49 | 日記

 財団法人「高速道路交流推進財団」は7日、東日本大震災で親を亡くした遺児の修学を支援する100億円の基金を設立し、給付の受け付けを8日から始めると発表した。

国土交通省は財団を2012年度末までに解散させる方針を打ち出しているが、財団は7日、取材に対し「解散はしない」と明言した。

 財団は多額の保有資産や天下りへの批判があり08年、当時の冬柴鉄三国交相が参院本会議で解散を表明。馬淵澄夫前国交相も昨年、国会で同様の方針を示していた。ただ国交省に解散を強制する権限はなく、財団側が反旗を翻した形。「震災対応を理由にした組織延命が狙い」との批判も出そうだ。

(共同)
特別立法で全財産を国家管理にして、
 国家予算に組み込むことはできないのか?
財産を侵害したものは逮捕。

生殖細胞の性を決める遺伝子発見 岡崎の基礎生物研グループ

2011-07-09 10:37:17 | 日記

自然科学研究機構基礎生物学研究所(愛知県岡崎市)のグループが、生物の生殖細胞の性別を決める遺伝子を世界で初めて発見し、8日付の米国科学誌「サイエンス」電子版で発表した。

 基生研の小林悟教授(発生学)、橋山一哉研究員(同)らのグループは、ショウジョウバエの細胞の核にある約1万6千個の遺伝子を解析。その中のSxl(エスエックスエル)と呼ばれる遺伝子が雌の生殖細胞では活性化してタンパク質を作り出しているものの、雄の細胞では働いていないことを突き止めた。

 雄の細胞のSxlを人為的に活性化すると、本来精子になるはずの細胞が卵子に変化する「雌化」が起き、性を決定する遺伝子の働きが裏付けられた。これまで、同細胞の雌雄を決める遺伝子は見つかっていなかった。

 小林教授によると、アニメ映画「ファインディング・ニモ」に登場するカクレクマノミなど魚類では、成長後の環境で性転換するケースが知られており、何らかの外的刺激や体の細胞の性で、生殖細胞の性も決まるという考え方が主流だった。

 小林教授は「生殖細胞内部の遺伝子によって性が決定されることが分かった。性が決まる仕組み解明へ重要な一歩で、教科書が書き換わる可能性がある」と指摘している。

 東北大加齢医学研究所・松居靖久教授(発生生物学)の話 生殖細胞が卵子(雌)になるか精子(雄)になるかは、まわりの体細胞が卵巣タイプか精巣タイプかで決まると考えられてきた。今回の研究は、定説を覆す画期的な発見といえる。ヒトなど哺乳類も同様の仕組みを持つ可能性があり、研究がまたれる。

(中日新聞)


山根一眞のポスト3・11 日本の力 : 原発作業員「幹細胞採取」なぜ実施されない

2011-07-09 09:45:58 | 日記

原発作業員「幹細胞採取」なぜ実施されない

揺らぐ安全思想、巨大余震への備えに深刻な懸念

3・11の巨大災害から3カ月目になる6月11日を挟んだ数日間、私は被災地取材で岩手県、宮城県、福島県を巡っていた。

 これまで延べ約50カ所の被災地を訪ねてきたが、壊滅状態だった三陸海岸の漁村の中には瓦礫の片付けがほぼ終わった場所があり、また仮設住宅の建設工事もあちこちで見た。その一方で、メチャメチャになった住宅街が、大型工場が、3・11当日、巨大津波に破壊されたまま放置された町も少なくなかった。

 岩手県釜石市、大船渡市、陸前高田市、宮城県気仙沼市などを海岸線沿いに南下し、全滅した宮城県本吉郡南三陸町・志津川地区の町はずれに着いたのは6月10日の午後8時を過ぎだった。

 震災後に南三陸町を訪ねたのはこれで4度目だが、夜は初めてだった。そして驚いた。クルマを止め道路際に立ったが「町が見えない」のである。

1つの照明も点灯していない街

 人口約1万8000人のうち1万5000人が暮らしていた小都市、志津川地区には、3カ月目になろうというのに1つの照明も点灯していなかった。

 小雨模様の夜空を見上げると、雲を通して月の明かりがぼんやりと見えていたが、この町はまるで夜闇に包まれた砂漠だった。遠くに、町の南のはずれにあるホテル観洋の明かりだけがポツンと見えるのみだ。もっとも、時折通り過ぎるクルマのヘッドライトが、突然、道路脇に転がったままの破壊されたクルマの姿を写し出しドキッとする。

 死者542人、住宅、建物の全壊・半壊は3311。いまだに行方が分からない方が664人もいて、23の避難所には今も2414人が過酷な日々を過ごしている(6月28日、18:00宮城県報告)。

 南三陸町への送電は既に復旧しているにもかかわらず暗闇が広がっているのは、人の営みが完全に途絶えていることを意味している。被災地に「一定のメドがつく」日をそうやすやすと迎えられるものではないことを改めて実感した。

 被災現場を1度でも見れば、だれもが微力でも何か手助けをしたいという思いにかられる。私も当初は「取材」のつもりで被災現場に入ったものの、取材どころではなくなってしまった(1995年の阪神・淡路大震災でも同じ経験をした)。

「支援は一段落した」との思い込み

 東京・西荻窪の地元の防災ネットワーク(西荻PCの会)の仲間たちに呼びかけて、粉ミルク、紙おむつ、子どもの本、野菜、着替えの衣服、女性の新品下着、電動工具などを提供してもらい、幾たびも被災地へ届けてきた。

 シャボン玉石けん(北九州市)には岩手県などに約1万本にのぼる殺菌用の石けん類を届けてもらった。弘前市のリンゴ農家には大量のリンゴを提供していただいた。通信環境が途絶していたため(今も電話回線は途絶えたままの地域がある)、NTTドコモには衛星電話やタブレット端末の提供をお願いしてきた。

 ガソリンの供給が途絶えていたため、何とか入手したガソリン缶に予備ガソリンを入れ、燃費がいいプリウスに山と荷物を積み込んで東北へ向かい、時には走行距離が1500kmになることもあった。

今は災害医療支援チームと連携し、被災地(宮城県石巻市北上町の小さな漁村・大指)の子どもたちが集う場(小さな「夢のドームハウス」)の実現など仮設住宅暮らしが始まった後の人々のコミュニティーづくりの一助になればと腐心している。もっとも企業に支援をお願いしても、「日本赤十字に義援金は出していますから」と断られることが多くなった。3・11の巨大災害から100日以上が過ぎ、ボランティアの数も減り、「支援は一段落した」と思い込み始めている人が、企業が増えている。

 3・11の巨大災害による死者と行方不明者の数は2万2803人に上る(6月28日、警視庁調べ)。この災害を通じて、私たちは生命の大事さを、それが失われてしまった無念さと悲しみを、これでもかというほど味わってきた。そして将来、再び巨大災害に遭おうとも命だけは失わずに済むためにどうすればよいかの論や提言が続いている。

作業員たちの恐怖、不安

 だが、「ちょっと待て」と言いたい。もちろん「先のこと」は大事だが、今も、命を失うかもしれないという不安と恐怖を味わいながら日々を過ごしている人々、そして家族たちがいることを忘れてはいけない。福島第一原子力発電所でその鎮静化の作業を続けている作業員たちだ。

 3・11の巨大津波で福島第一原発は計り知れぬダメージを受け、2基の原子炉は水素爆発を起こした。1986年のチェルノブイリ原発事故の時、私はこれで世界の終わりかと震える思いをしたが、福島第一原発のカタストロフィーがもたらした恐怖は、チェルノブイリ原発事故の比ではなかった。

 ましてや、原子炉本体がメルトダウンという原発として最悪の事態となった建屋の内外で作業をしなければならない作業員たちの恐怖、不安は想像もできないほど大きいはずだ。なのに、作業にあたる本人たちはおろか、その妻や子どもなど家族の、胸が張り裂けそうな思いはほとんど伝えられていない。

 福島第一原発は、現場の必死の努力によって今のところ大破綻は何とか回避しているが、もちん予断を許さない。これは誰も口にしないが、もし同じ震源域で巨大余震が起こり、再び巨大津波が福島第一原発を襲ったらどうなるか。堤防は破壊されたままの丸腰状態であるため、3・11以上の危機に見舞われるだろう。

 そんな巨大余震が見舞う可能性はあるのか。

アルスター大学、環境科学研究所の警告

 3月19日の夜、科学雑誌『nature』による「nature news」の緊急のメーリングが届いたが、その中の記事の1つを読んで目をむいた。

“More earthquakes expected in Japan”
[日本ではさらなる地震が予測される]

この警告を書いたのは、英国のアルスター大学、環境科学研究所(Environmental Sciences Research Institute)の地球物理学者、ジョン・マクロスキー教授とそのチームだ。マクロスキー教授は、2004年12月26日のスマトラ沖地震・インド洋津波について2005年3月17日の『nature』誌にコンピュータによる解析結果を寄稿。その中で巨大余震が起こる可能性を述べていたが、予測は的中。3月28日にM8.6の地震がスンダ海溝で発生、約1000人が亡くなっているのである(ニアス島沖地震)。

 そのマクロスキー教授のチームが、「3月11日の日本の巨大地震は、3月9日に同じ三陸沖で発生した地震(M7.2)の余震の一部だった可能性がある。つまり、本震より余震の方が大きかった。そして近い将来、さらに巨大な余震が起こる可能性がある」と、述べていたのである。

 この投稿を読みゾッとした。

予防安全策、動き出さず

 もし、3・11よりも小さな地震であっても、もし津波の高さが5mであっても、福島第一原発は手のほどこしようのない破滅を迎えることになる・・・。現場で作業をしている1日に300~700人とされる作業員たちは、いきなり大量の放射線を浴びる危険がある。

 いや、再び巨大余震が見舞うことがないとしても、メルトダウンを起こした2基の原子炉の周辺でこれから長い年月にわたって作業を続けねばならない作業員たちが、何らかのアクシデントによって大量の放射線を浴びる可能性はある。

 それが、「万が一」であっても、「万が一」の備えをしておくことは、日本のエンジニアリングの現場が築いてきた安全思想のはずだ。

 福島第一原発の状況を知った虎ノ門病院の血液科部長、谷口修一さんは、「原発の内外で作業をする方たちが事前に自己幹細胞を採取しておくことで、万が一、大量の放射線を浴びた場合でも命を救える可能性が高くなる」と、その「万が一」の備えを訴えてきた。

 私が、東京大学医学研究所や虎ノ門病院を訪ね、この自己幹細胞の事前採取について初めて話を聞いたのは3月末~4月上旬のことだった。紆余曲折はあるものの、その予防安全策が動き始めるだろうと思っていたのだが、いまだにその組織的な措置は行われていないのである。

 そもそも、自己幹細胞の事前採取とはどういうものなのか。

 そして原発作業員がそれを受けることができないのは、何が、だれが、どんな邪魔をしているからなのか。(次回に続く)

山根 一眞(やまね・かずま)
ノンフィクション作家/獨協大学経済学部特任教授

1947年東京生まれ。獨協大学外国語学部卒。科学技術の現場を伝えた週刊誌連載「メタルカラーの時代」を単行本・文庫本で23冊出版、東京クリエーション大賞受賞。1997年以降、「環業革命」(環境技術による新産業革命)を訴えてきた。阪神・淡路大震災以降、災害・防災もテーマの柱の1つで多くの記事を発表してきた。NHKキャスター(通算7年)、2001北九州博覧祭北九州市館、2005愛知万博愛知県館、国民文化祭2005福井、各総合プロデューサー。JAXA嘱託、福井県文化顧問、日本生態系協会理事、日経地球環境技術賞審査委員、講談社科学出版賞選考委員、北九州マイスター選考委員、計算科学研究機構運営諮問委員などをつとめる。日本文藝家協会会員。『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(2010年科学書Best Books1位)のほか『環業革命』『メタルカラー烈伝温暖化クライシス』『賢者のデジタル』など著書多数。山根事務所


このコラムについて

山根一眞のポスト3・11 日本の力

 経験したことのない巨大災害に見舞われて、人類の歴史とは幾多のカタストロフィーを経験し、それを克服してきた歴史なのだということを筆者は実感している。「頑張ろう!」と励ましあうことは大事だが、どう頑張ればいいのかの道しるべが求められている。今、何が必要とされ、どんな行動をとるのが望ましいのか。それぞれの現場に取材して伝えながら提案していく。また、この大災害を、「豊かな文明」のありようを大きく変える時ととらえ、日本が世界でもっとも力強い国となれることを信じて、そのシナリオを探る。


<被災者二重ローン>自公が独自法案提出 民主との協議不調

2011-07-09 09:36:16 | 日記

 民主、自民、公明3党は8日、東日本大震災の被災者が新たな借金を抱える「二重ローン」問題で実務者協議を行った。事業者向け債権を金融機関から買い取る機構を巡っては対立が解けず、合意できなかった。自公両党は機構を新設する独自法案を議員立法で参院に提出した。国会審議では機構に関する議論が焦点になる。

 協議では、買い取り対象に農林漁業者を加えるなど自公両党の意向を踏まえて修正を行ったものの、特別立法で機構新設を目指す自公両党と、法制化せずに新機構を作る民主党の主張とは折り合わなかった。政府・民主党は被災各県に中小企業基盤整備機構が8割出資する機構を8月にも設置する方針としている。

(毎日。JP)


<東日本大震災>「私はお墓にひなんします ごめんなさい」

2011-07-09 09:19:58 | 日記

私はお墓にひなんします ごめんなさい」。福島県南相馬市の緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、こう書き残し、自宅で自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故のために一時は家族や故郷と離れて暮らすことになり、原発事故の収束を悲観したすえのことだった。遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。

 女性は同市原町区の静かな水田地帯で代々続く田畑を守り、震災時は長男(72)と妻(71)、孫2人の5人で暮らしていた。長男によると、以前から足が弱って手押し車を押していたが、家事は何でもこなし、日記もつけていた。

 第1原発の2度の爆発後、近隣住民は次々と避難を始めた。一家も3月17日、原発から約22キロの自宅を離れ、相馬市の次女の嫁ぎ先へ身を寄せた。翌日、さらに遠くへ逃げるよう南相馬市が大型バスを用意し、長男夫婦と孫は群馬県片品村の民宿へ。長距離の移動や避難生活を考え、長男は「ばあちゃんは無理だ」と思った。女性だけが次女の嫁ぎ先に残ることになった。

 4月後半、女性は体調を崩して2週間入院。退院後も「家に帰りたい」と繰り返し、5月3日、南相馬の自宅に戻った。群馬に避難している長男にたびたび電話しては「早く帰ってこお(来い)」と寂しさを訴えていたという。

 長男たちが自宅に戻ったのは6月6日。到着は深夜だったが、起きていて玄関先でうれしそうに出迎えた。だが緊急時避難準備区域は、原発事故が再び深刻化すればすぐ逃げなければならない。長男夫婦が「また避難するかもしれない。今度は一緒に行こう」と言うと、女性は言葉少なだった。「今振り返れば、思い詰めていたのかもしれない」と長男は話す。

 住み慣れた家で、一家そろっての生活に戻った約2週間後の22日。女性が庭で首をつっているのを妻が見つけ、長男が助け起こしたが手遅れだった。

 自宅から4通の遺書が見つかった。家族、先祖、近所の親しい人に宛て、市販の便箋にボールペンで書かれていた。家族には「毎日原発のことばかりでいきたここちしません」。先立った両親には「こんなことをして子供達や孫達、しんるいのはじさらしとおもいますが いまの世の中でわ(は)しかたない」とわびていた。

 奥の間に置かれた女性の遺影は穏やかに笑っている。近所の人たちが毎日のように訪ねてきて手を合わせる。「長寿をお祝いされるようなおばあちゃんが、なぜこんな目に遭わなければならないのですか……」。遺書の宛名に名前のあった知人が声を詰まらせた。葬儀で読経した曹洞宗岩屋(がんおく)寺前住職、星見全英さん(74)は「避難先で朝目覚め、天井が違うだけで落ち込む人もいる。高齢者にとって避難がどれほどつらいか」と心中を察する。

 取材の最後、長男夫婦が記者に言った。「おばあちゃんが自ら命を絶った意味を、しっかりと伝えてください」【神保圭作、井上英介】

 ◇女性が家族に宛てた遺書の全文

(原文のまま。人名は伏せています)

 このたび3月11日のじしんとつなみでたいへんなのに 原発事故でちかくの人達がひなんめいれいで 3月18日家のかぞくも群馬の方につれてゆかれました 私は相馬市の娘○○(名前)いるので3月17日にひなんさせられました たいちょうくずし入院させられてけんこうになり2ケ月位せわになり 5月3日家に帰った ひとりで一ケ月位いた 毎日テレビで原発のニュースみてるといつよくなるかわからないやうだ またひなんするやうになったら老人はあしでまといになるから 家の家ぞくは6月6日に帰ってきましたので私も安心しました 毎日原発のことばかりでいきたここちしません こうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします ごめんなさい

 

<東日本大震災>福島県内 自殺者2割増 4~6月

 警察庁の統計(速報値)によると、4〜6月の福島県内での自殺者は160人。昨年同期と比べ岩手県(105人)、宮城県(130人)が減ったのに対し、福島は約2割増えている。飯舘村では4月12日に家族と避難の話し合いをしていた102歳の男性が自殺。今月1日には川俣町の計画的避難区域で一時帰宅中の58歳女性が焼身自殺したとみられるなど、避難にかかわる例が目立つ。

 高齢者の生活相談に応じている福島県社会福祉協議会の担当者は「今後は自殺や孤独死の防止が最大の課題。相談もせず亡くなってしまう人が多いが、少しでも話せば楽になる時もある。どんなことでもいいので電話してみてほしい」と呼びかける。相談は高齢者総合相談センター(024・524・2225)へ。