大阪の教育問題に朝日新聞が社説で橋下市長を非難しています。
その社説は下記とおりです。
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「 卒業式で教員が本当に君が代を歌っているか――。 」
大阪府立和泉高校の校長が教頭らに指示して教員の口の動きを監視させていた。歌わなかったと判断された教員らは事情聴取のうえ、処分も検討された。
大阪府では昨年、全国で初めて君が代の起立斉唱を教職員に義務づける条例ができた。それに基づくチェックだという。
校長は10年春、民間人校長の公募に応じ、採用された。起立斉唱条例を提案した大阪維新の会代表の橋下徹・大阪市長の友人で、弁護士資格を持つ41歳。 府教委の生野照子委員長は橋下氏と校長にメールを送り、「もっと悠々たる度量でご検討を」と口元監視をいさめた。
それでも橋下氏は「これが服務規律を徹底するマネジメント」「ここまで徹底していかなければなりません」と校長の姿勢を高く評価するばかりだ。
個人の歴史観で見解が分かれる君が代をめぐり、最高裁は職務命令で起立斉唱を強制することに慎重な考慮を求めている。
1月には東京都の懲戒処分をめぐる判決で、いきすぎた制裁に歯止めをかけた。
これに対して橋下氏は、君が代の起立斉唱は、良心や歴史認識の問題ではなく、公務員として守るべきルールであり、マネジメントのあり方だという主張を繰り返している。
しかし、そもそも卒業式で口元を監視することが優れたマネジメントといえるのだろうか。
卒業生を送り出す祝いの舞台が、校長の管理能力を試す場になっていないか。
同僚の口元を凝視させられる教頭らの気持ちはどんなものだろう。教育者より管理者の意識ばかりを徹底させていないか。
教員のもつ能力を最大限に引き出し、良好な学びの場を生徒らに提供することが校長の手腕であるはずだ。口元監視がそうした教育環境づくりに寄与するとはとても思えない。
今春、府立高校14校の教員17人が不起立を理由に戒告処分を受けた。研修を受け、「今後は職務命令に従う」との誓約書に署名・押印を求められた。
こうした府教委の対応は、府議会で審議中の職員基本条例案の成立を見越したものだ。
条例は、同じ職務命令に3回違反すれば免職にすると定めている。君が代で起立斉唱しなかった教職員を想定しているとみられる。市議会でも市長が提案する方向で準備をすすめる。
組織統制を優先させる「マネジメント」が、よりよき教育を生むのか。条例を審議する議会各派はじっくり考えて欲しい
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朝日新聞は、「口元監視が教育環境づくりに寄与するとは思えない」と言っている。「良好な学びの場を生徒らに提供することが校長の手腕であるはずだ」と言っておきながら、口元監視はおかしいという論理である。良好な学びの場とはなんであろうか・・・・学びとは、学校の教科書だけが学びであろうか? それが、最高の学びであり、人の成長なら、「東大の法学部に入学し、官僚として働いている者たち」が一番になるのか? それはおかしいだろう・・・・・・その官僚が今の日本をおかしくしているのではないか・・・・・ 天下り先を山と作り、国民の税金なり年金なりを好き放題に使い切り、やりたい放題ではないか・・・・?こんな人間が優秀なのか?・・・・・??・・・・・?
常識の世界では、基礎知識がある人間を優秀だとは言わない。それは、小学校までだろう。基礎知識があることは、何かの判断を正しくする際の基準が多くなるため、その判断が間違いにくくなるためである。人の評価は、正に判断と決断そして実行をもってその人の優秀さを決めるのである。その人が起こした行動と、結果がそれを証明するのである。
小学校から高校までの教育では、教科書の勉学のほかに、人としての道徳を学ばねばならない。それは、人として生き、世の中の人たちと関わり合い、同じ組織の人たちと一緒に仕事をするには、知識以外に必要なものがある。特に人の上に立つ人は、仕事の知識とマネジメントのほかに心の修業が必要である。徳を積むことで、大きな仕事ができる。その基本を学ぶ場が学校教育であり、その手本を教師が実践せねばならない。・・・・・・その手本となるべき教師が、自分が嫌だからといって大事な卒業式という式典で、手本となるべき態度が取れないのは、それこそ教育の環境つくりができていない事になるのではないだろうか。若者が、そういう教師の姿を見るから、「罰せられなければ何をやってもよい・・」とか、「見つからなければ何をしても構わない・・」と言うような人間が山と出てきているのである・・・・・・
教科書の暗記なら、個人でもできるし、私塾へ行けばもっと上手に教えてもらえる。・・・・・塾の方がテストの点数を取るならよっほど優秀な先生がいる・・・・・・しかし、それでは人としての成長は無く、単なるカタワになる。
したがって、式典で形だけでも添うようにさせるのは、その上司の責任でもある。そして、細かくチェックしなければそのような事が出来ない教師を、今までのさばらせていたことの方が大問題である。そのように手取り足取りしなければ、満足に教師として勤めることができないレベルの者しかいないことを、なぜ今まで問題としないのか・・・・・・朝日新聞の社説の方が、おかしな論理展開をしているのでは無いのだろうか・・・・・・・・・・・
現実の世界において、まともに教育できない教師が多くいて、組織を作って自分たちだけのための都合で教育をしようとしている職員をまともに変えようとすると、今、実施しようとしている形にならざるを得ない。今の、現状の教育がいいと言えるか・・・・・。その方がよほどおかしいだろう・・・・・・。
府教委の生野照子委員長は橋下氏と校長にメールを送り、「もっと悠々たる度量でご検討を」と口元監視をいさめた・・・・とあるが、自分たちがしてきた結果が、悪い状態を引き起こしてきたことを全く理解しいなく、何を悠長な事を言っているんだ・・・・・無責任にも、程がある・・・・・・。全く公務員と言うものは、悪いことを悪いと理解する能力が無いことと、それをすぐにでも改善せねばならないという責任感もないようである・・・・・・・。一般の社会では、全く理解のできない世界だね・・・・・・・・とりあえず狂っているよ・・・・・
しかも、給与だけは、一般社会人より50%くらい多くて、年金もずるして多い・・・・? なんなんだこいつらは・・・・・
最後に言いたい。 組織の中で責任のある行動がとれないのなら、あるいは、そのように行動をとりたくないのであれば、自らその職場を立ち去るべきであろう・・・・・・・自分の主張が通る企業を探して、勤めればいいわけである。
組織の初歩的な話になるが、給与は与えられた命令を正しく実行し、その結果を正しく報告をした者に支払われるものであり、ただ単に通勤していれば・・・とか、決められた時間をそこに存在していれば・・・支給されるものではない。与えられた職務を、決められた期限で、目標とする成果を実現して初めて給与に結びつくのである。
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その社説は下記とおりです。
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「 卒業式で教員が本当に君が代を歌っているか――。 」
大阪府立和泉高校の校長が教頭らに指示して教員の口の動きを監視させていた。歌わなかったと判断された教員らは事情聴取のうえ、処分も検討された。
大阪府では昨年、全国で初めて君が代の起立斉唱を教職員に義務づける条例ができた。それに基づくチェックだという。
校長は10年春、民間人校長の公募に応じ、採用された。起立斉唱条例を提案した大阪維新の会代表の橋下徹・大阪市長の友人で、弁護士資格を持つ41歳。 府教委の生野照子委員長は橋下氏と校長にメールを送り、「もっと悠々たる度量でご検討を」と口元監視をいさめた。
それでも橋下氏は「これが服務規律を徹底するマネジメント」「ここまで徹底していかなければなりません」と校長の姿勢を高く評価するばかりだ。
個人の歴史観で見解が分かれる君が代をめぐり、最高裁は職務命令で起立斉唱を強制することに慎重な考慮を求めている。
1月には東京都の懲戒処分をめぐる判決で、いきすぎた制裁に歯止めをかけた。
これに対して橋下氏は、君が代の起立斉唱は、良心や歴史認識の問題ではなく、公務員として守るべきルールであり、マネジメントのあり方だという主張を繰り返している。
しかし、そもそも卒業式で口元を監視することが優れたマネジメントといえるのだろうか。
卒業生を送り出す祝いの舞台が、校長の管理能力を試す場になっていないか。
同僚の口元を凝視させられる教頭らの気持ちはどんなものだろう。教育者より管理者の意識ばかりを徹底させていないか。
教員のもつ能力を最大限に引き出し、良好な学びの場を生徒らに提供することが校長の手腕であるはずだ。口元監視がそうした教育環境づくりに寄与するとはとても思えない。
今春、府立高校14校の教員17人が不起立を理由に戒告処分を受けた。研修を受け、「今後は職務命令に従う」との誓約書に署名・押印を求められた。
こうした府教委の対応は、府議会で審議中の職員基本条例案の成立を見越したものだ。
条例は、同じ職務命令に3回違反すれば免職にすると定めている。君が代で起立斉唱しなかった教職員を想定しているとみられる。市議会でも市長が提案する方向で準備をすすめる。
組織統制を優先させる「マネジメント」が、よりよき教育を生むのか。条例を審議する議会各派はじっくり考えて欲しい
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朝日新聞は、「口元監視が教育環境づくりに寄与するとは思えない」と言っている。「良好な学びの場を生徒らに提供することが校長の手腕であるはずだ」と言っておきながら、口元監視はおかしいという論理である。良好な学びの場とはなんであろうか・・・・学びとは、学校の教科書だけが学びであろうか? それが、最高の学びであり、人の成長なら、「東大の法学部に入学し、官僚として働いている者たち」が一番になるのか? それはおかしいだろう・・・・・・その官僚が今の日本をおかしくしているのではないか・・・・・ 天下り先を山と作り、国民の税金なり年金なりを好き放題に使い切り、やりたい放題ではないか・・・・?こんな人間が優秀なのか?・・・・・??・・・・・?
常識の世界では、基礎知識がある人間を優秀だとは言わない。それは、小学校までだろう。基礎知識があることは、何かの判断を正しくする際の基準が多くなるため、その判断が間違いにくくなるためである。人の評価は、正に判断と決断そして実行をもってその人の優秀さを決めるのである。その人が起こした行動と、結果がそれを証明するのである。
小学校から高校までの教育では、教科書の勉学のほかに、人としての道徳を学ばねばならない。それは、人として生き、世の中の人たちと関わり合い、同じ組織の人たちと一緒に仕事をするには、知識以外に必要なものがある。特に人の上に立つ人は、仕事の知識とマネジメントのほかに心の修業が必要である。徳を積むことで、大きな仕事ができる。その基本を学ぶ場が学校教育であり、その手本を教師が実践せねばならない。・・・・・・その手本となるべき教師が、自分が嫌だからといって大事な卒業式という式典で、手本となるべき態度が取れないのは、それこそ教育の環境つくりができていない事になるのではないだろうか。若者が、そういう教師の姿を見るから、「罰せられなければ何をやってもよい・・」とか、「見つからなければ何をしても構わない・・」と言うような人間が山と出てきているのである・・・・・・
教科書の暗記なら、個人でもできるし、私塾へ行けばもっと上手に教えてもらえる。・・・・・塾の方がテストの点数を取るならよっほど優秀な先生がいる・・・・・・しかし、それでは人としての成長は無く、単なるカタワになる。
したがって、式典で形だけでも添うようにさせるのは、その上司の責任でもある。そして、細かくチェックしなければそのような事が出来ない教師を、今までのさばらせていたことの方が大問題である。そのように手取り足取りしなければ、満足に教師として勤めることができないレベルの者しかいないことを、なぜ今まで問題としないのか・・・・・・朝日新聞の社説の方が、おかしな論理展開をしているのでは無いのだろうか・・・・・・・・・・・
現実の世界において、まともに教育できない教師が多くいて、組織を作って自分たちだけのための都合で教育をしようとしている職員をまともに変えようとすると、今、実施しようとしている形にならざるを得ない。今の、現状の教育がいいと言えるか・・・・・。その方がよほどおかしいだろう・・・・・・。
府教委の生野照子委員長は橋下氏と校長にメールを送り、「もっと悠々たる度量でご検討を」と口元監視をいさめた・・・・とあるが、自分たちがしてきた結果が、悪い状態を引き起こしてきたことを全く理解しいなく、何を悠長な事を言っているんだ・・・・・無責任にも、程がある・・・・・・。全く公務員と言うものは、悪いことを悪いと理解する能力が無いことと、それをすぐにでも改善せねばならないという責任感もないようである・・・・・・・。一般の社会では、全く理解のできない世界だね・・・・・・・・とりあえず狂っているよ・・・・・
しかも、給与だけは、一般社会人より50%くらい多くて、年金もずるして多い・・・・? なんなんだこいつらは・・・・・
最後に言いたい。 組織の中で責任のある行動がとれないのなら、あるいは、そのように行動をとりたくないのであれば、自らその職場を立ち去るべきであろう・・・・・・・自分の主張が通る企業を探して、勤めればいいわけである。
組織の初歩的な話になるが、給与は与えられた命令を正しく実行し、その結果を正しく報告をした者に支払われるものであり、ただ単に通勤していれば・・・とか、決められた時間をそこに存在していれば・・・支給されるものではない。与えられた職務を、決められた期限で、目標とする成果を実現して初めて給与に結びつくのである。
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