アベシ政府は国会議員数をものに何でもゴリ押しを通すつもりです。今回の安保法制もそうですが、最終的には憲法をも自分たちに都合の良い(本当はアメリカに都合がよい)ように変えるつもりです。日本の政治家のレベルの低さが、世界の国々と比較しても劣悪であるがゆえに、戦後の日本がおかしな方向に進んでいます。更に狂った政権が出てくると、その変化のスピードは異常な状態で突き進もうとします。現憲法とその上にある法体系を知らずして、憲法を改正などしても意味がない。この事について書かれているブログがあります。ブログ「兵頭に訊こう」より転載します。
植民地支配ツールとしての憲法
2014年11月25日 [状況]
衆議院選挙が近づいている。ネット上には自民党が大幅に議席を減らすという楽観的な見通しも出ている。
そうだろうか。確かに現在の反日の劣化した政権を倒さないといけない。しかし、楽観は禁物である。投票日は師走の日曜日だ。政権にとっては、もっとも低投票率が期待できるように仕掛けられている。しかも国民にとっては訳の分からない選挙である。解散の大義がない。批判に慌てて安倍晋三がアホノミクスを争点として提出した。しかし多くの国民はいっそう訳が分からなくなっている。
「株なんかもっていない。円安で物価は上がり、給料は下がる。増税で生活が苦しい。だから自公には政権を降りてもらう」
投票の判断としてはこれで十分である 。しかし国民はここまで賢くない。新聞・テレビは、今に景気が良くなって給料も上がる、と政府広報に努める。それでさらに訳が分からなくなる。ふてくされて棄権するのだ。これが日本の政治民度である。
さて、矢部宏治は、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、次のように書いている。
(以下、「植民地支配ツールとしての憲法」の一部だけ公開します)
「たとえば日本と同じ敗戦国で、米英仏ソの4カ国による分割占領という、はるかに過酷な状況におかれたドイツですが、憲法問題に関しては実に見事な対応をしています。ドイツにも、日本と同じく占領軍の軍政長官がいて(西ドイツだけで米英仏の3人の軍政長官がいました)、彼らから文章を渡され、「この方針に沿って憲法を改正せよ」と圧力をかけられる状況は同じでした。
現在の日本のように、首都を米軍基地で囲むという計画もありました。第二次大戦の戦後処理は、日本とドイツというふたつの敵国を、二度と自分たちに刃向かわないようにすることが最大の目標だったわけですから当然です。
しかし、やはりドイツは政治指導者や知識人がすぐれていた。まず占領中はいくら言われても絶対に正式な憲法をつくらず、1949年5月の独立時に各州の代表からなる議会代表会議によって基本法(ドイツ連邦共和国基本法)という形で「暫定憲法」を定め、そのなかに、
「この基本法は、ドイツ国民が自由な決定により議決した憲法が施行される日に、その効力を失う」(第146条)という条文を入れています。当時ドイツは東西に分断されていたため、将来の統一時にあらためて正式な憲法を制定するとしたわけです(結局、統一後も基本法のままなのですが)。
敗戦国ではありませんが、フランスも見事です。第二次大戦中、ドイツ軍による占領を経験したフランスは、戦後1946年に制定された「第四共和国憲法」に、
「領土の全部もしくは一部が外国軍によって占領されている場合は、いかなる〔憲法〕改正手続きも、着手したり、継続することはできない」(第94条)という条文を入れています」
ドイツといい、フランスといい、見事である。戦争に負けても、占領されていても、民族の誇りを失わない。文化と知性とがうって一丸となって、戦勝国の無理難題を拒否し続ける。敗戦国となって占領された状態では、憲法を作らないのだ。それは戦勝国の、永久支配の戦略を秘めた押し付け憲法になることが、自明だからだ。
ドイツとフランスが例外的に立派だったのではない。ハーグ陸戦条約では、「占領者は、絶対的な支障がないかぎり、占領地の現行法律を尊重する」と謳われている。これが敗戦国の憲法の扱いに関する世界標準の考え方なのだ。
日本の場合と何という違いであろうか。日本の場合は、このハーグ条約を持ち出すこともなかった。昭和天皇を先頭に、鬼畜米英から対米隷属に掌を返す。天皇にいたっては英文で渡された「人間宣言」をそのまま日本語で読み上げる。
いわれるままに従ったのではない。昭和天皇を中心に積極的に戦勝国に「協力」した。それはおのれの戦争責任を免れるためだったのだが、そのため日本民族の対米隷属が決まった。沖縄は戦後も軍事占領体制におかれたままである。
敗戦時の憲法の話をなぜするかというと、戦後も何も日本人は変わっていないことに危機感をもってもらいたいからであり、世の改憲論議に一石を投じたいからである。太平洋戦争中に、正木ひろしは『近きより』で、次の3点により、戦後も日本国民は太平洋戦争を反省しないと考えた。
「(1)日本人は、戦争は不可避なものだと考えている。
(2)日本人は戦争の英雄的であることに酔う。
(3)日本人は国際的知識がない」
この3点は、敗戦後70年ほどたった現在の日本国民に当てはまる。正木は絶望的な日本の民族性を洞察していたのだ。「ネトウヨ」を中心に、中国との戦争は不可避なものだと考えている人は多い。また、自民党の政治家を中心に、日本人には戦争のヒロイズムに酔っている人が多い。過去の戦争は、どんなくだらない平和よりも愚かで悲惨なものであることを教えている。
戦争を賛歌する者たちは、世代的に銃を持たなくてすむ者たちである。もし負ければ掌を返して戦勝国に隷属する者たちである。
日本人は国際的知識がないどころか、自国の歴史すら知らない。学校では、歴史の真実を教えないようにしている。ポツダム宣言・ヤルタ協定の重要な条文は、中学・高校の歴史の教科書から隠されている。
日本の現実とは、上位法として不可視の密約法体系があり、続いて安保法体系が存在している。その後に下位法として憲法が存在しているという、戦後の米国支配の現実など、どの教師も語らない。少なくとも中・高時代に教えれば理解するのだ。真実のドアのノブに手をかけさせるだけでもいい。学校を出てから、5年、10年かけて考えを発酵させてゆけばいいのだ。
そうすれば、「敗戦後に米国によって押し付けられた憲法だから、変えなくてはならない」という物語が、改憲の理由に挙げられるとき、この嘘はすぐに見破られる。
憲法よりも上位法としての密約法体系と安保法体系を許容しているのは、自民党自身である。この構造を変えずにいくら自前の憲法を謳ったところで、意味はないのだ。
もし改憲が具体化すれば、日米合同委員会から、秘密の草案が出てくるのはわかりきったことだ。それは人権を奪い、過酷な義務で国民を縛る、米国の植民地の憲法に変えられていく。憲法が国会を縛るのではない。逆に憲法で国民を縛るのである。自民党の憲法草案の第102条で「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」としたのはそれを物語っている。
しかも憲法草案のなかには道徳が持ち込まれていた。
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」(自民党憲法草案第24条)
自民党の憲法草案は、TPP参加後の、植民地奴隷の支配ツールなのである。
すでに、福祉や看護、生活保護、年金といった社会保障の領域から、官僚・自民党は撤退し始めている。その分、家族に対して、助け合いを法律で強制するのである。
奴隷には人権など必要ではなく、義務こそ必要だ、と考えているのだろう。