ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

生きることに没頭しているか

2008-03-15 21:57:01 | 
東北出身の鬼才。棟方志功。

この写真。圧倒的だ。
昔から、この写真に圧倒されていた。

激しい没頭。「板画」への執念。

めらめらと、あわ立つように、彼の気迫が伝わらずにおれない。
まいった。もう勘弁してくれ。そうつぶやきたくなる。

ある意味、うらやましくもあった。命を燃やしても惜しくないものを見つけてやがらあ。

久しぶりに、ネットで捜しだした。ネットは何でも見つけられるもんだ。
学生の頃、古本か、芸術雑誌か何かのグラビアで見て以来の彼のこの白黒写真。
その気迫は永遠に色あせない。

「二菩薩釈迦十大弟子」
彼の命を削ったこの作品。見て損はない彼の代表作です。


棟方志功 (1903-1975)

青森県青森市刃物鍛冶屋の三男として生まれる。
少年期より絵に対する興味が強く、雑誌『白樺』に掲載されたゴッホの油絵「向日葵」の原色版に大きな衝撃を受け、油絵画家を志して1924(大正13)年上京。
1928(昭和3)年、独学で帝展初入選を果たしたものの、油絵修行に悪戦苦闘していた志功は、日本の伝統的木版画のもつ豊かな芸術性に開眼し、独自の版画世界を歩み始めた。

1936(昭和11)年、国画会に「大和し美し版画巻」を出品し、柳宗悦や濱田庄司らにその画才を見出され、大さな転機となる。
柳の説く、「当たり前のものがもっとも美しい。本当のものは個人を越えたところにある」という思想は、棟方の仕事にはかり知れない影響を与えた。
以後72歳で他界するまで、宗教・自然・文学を題材に人間の生命力のたくましさや、神や仏の世界の厳かさを彫り摺り続け、従来の版画(棟方は自らの作品を「版画」ではなく、板のいのちを彫り起こす板による表現という意味で、1942年以降は「板画」と呼んだ)の伝統を破るような独創的な作品を次々に発表した。

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