ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

近所のふる~いアパート

2010-01-18 22:08:53 | 

近所のそれはそれは古いアパートのことです。


今日の帰り道にそのアパートの側を通ると何やら明りが灯っていました。
8時過ぎのことです。もうこのアパートに住人はいないはずなのにどうしたことでしょう。
大家さんが見回りにでも来ていたのでしょうか。それなら何もこんな夜中に来ることもないでしょう。
何か仕方のない事情でもあったのでしょうか。
そもそもこのアパートに電灯が灯っている景色を僕は見たことがありません。
上の写真は帰り際に携帯で写した写真です。確かに光が洩れていますよね。


見ての通り相当、年数を経た寿命をとっくに過ぎたようなアパートです。
正面1階の中央に共通通路があり、1階に4部屋、2階に4部屋あるように思われます。
石造りの門構えが半分だけ残っており、正面右側にはトタン葺きの粗末な「自転車置き場」があります。
古びた使用に耐えない自転車が数台あったかもしれませんが、当然ながら現役の自転車やバイクはありません。


僕はこの前を通るたびに何よりも懐かしさが先に立ちこの前でうろうろしたこともあります。
というのも僕らが学生の頃、こんな建てつけの安アパートが地元にはいっぱいありました。
四畳半や六畳一間でお風呂は共同なんていうのが当たり前でした。今はさすがにこういうのってなくなりましたよね。
僕の住んでいた学生寄宿舎も規模はずっと大きかったけれど、造りは五十歩百歩でした。
このアパート、表札もなく郵便受けにも名前がなかったこともあり、「誰も住んでないんだろうな」と常々思っていました。
だから電気がついているということに何か〝違和感〟を感じたのです。


このアパートの前は僕の通勤路のひとつです。この横を通ると正面に中学校があり右に曲がると校舎に沿って小さな花壇があります。
さらに左に曲がり〝コの字型〟に道は続きます。学校の統合のため現在は校舎を壊す工事が行われています。
この中学校は廃校となり、校舎の後は区民センターかなんかになると聞いています。

学校とこのアパートの境目のところに1坪程度の小さな消防のポンプ置場があります。
正面に消防の丸くとんがったライトが付いていて夜になると赤く灯っています。
深夜ここを通るとそれだけでも不気味な感じがします。
あまり気にしないようにしているんですが何となく気味が悪いんです。
昨年暮れに酔っぱらってここを通った時のことですが、例の自転車置き場から光が漏れているように思いました。
〝えっ〟と目をパチクリさせて再度見たら薄暗いままでした…。
となりの消防の赤いライトが反射したんだろうなどと勝手に解釈してさっさと通り過ぎたのですが、〝ぞくっ〟としました。


昼間でも〝そういう目〟で見ると確かに不気味なアパートです。
2階の木製の窓越しに見える古びたカーテンなど、じっと見ているとそこから誰かがそっと顔をのぞかせそうな人の気配さえ感じさせます。
さわらぬ神に祟りなしですので深入りするつもりもありませんが、何か気になります。

なんで取り壊さないんでしょうか。何か理由があるのでしょうか。
そういえばこのアパートのふたつとなりの家は取り壊されました。
丁度、三宿から道路が伸びてきます。中学校の南側が道路となりその区画からもこのアパートは免れています。

今度、昼間に「探検」してみようかな。
嫌いじゃあないんですこういうの。昔、なんかの事件の現場だったりして。

アパートの光はなんだったのだろう。
不思議です。

長々と記してしまいました。

もう1月も半ばを過ぎ

2010-01-18 19:08:02 | 

早いもんです。

お正月もあっと言う間に過ぎて、
いつもと何ら変わらない日常に戻りました。

毎日、一日として同じ日はなく、
時は未来にむけ刻まれていくはずなのに、
それを感じ取れないのは感性の鈍化なんでしょう。

わくわくする。
どきどきする。
はらはらする。
うずうずする。
ずきずきする。

そんな何何するという心の営みが足りない。
昔はそれを読書に求めました。
友達と遊ぶことで満たしました。
何より恋愛こそその源泉でした。
とめどなく湧きいずるがごとく。

同じ毎日にしてはいけませんね。

今日はこんな美味しいものを食べた。でもいい。
昨日知らなかった今日の新らしい体験。
「代償」を何かに求める。

いまの仕事中心の環境下では、
ほんのささやかなものしか現実性はないでしょう。

「食い道楽」。
お酒はもういらない。
「食」か。

ん、、、いまいち気乗りしません。

なんて言ってたらお腹すいてきた。
で、結局コンビニやその辺で済ましてしまうんです。

続きそうにありません。


何か無いかな・・・