昨日、私は湘南のある施設におられる高齢のご信者Hさんを訪ねました。
この方は、私が出家得度式を40年前の7月6日に挙げた時、大変お世話になった方です。
いま、95歳くらいになりますが自宅のすぐ近くのグループホームに住んでおられます。
グループホームは福祉施設の一つではありますが、やはり、企業が経営をしているものですから、常に収支や利益が一番大きな問題となっているようです。グループホームといえば自宅の延長ということですが、なかなか良質のサービスを維持することがむずかしそうです。
この方のご主人は、もう亡くなって33回忌も過ぎました。ご主人は最初、信心信仰というものに理解を示されず、どちらかと言えば反対でした。もともと、時計職人だったようですが、若い頃から独立して一匹狼で仕事をされ、戦後は商人として時計や貴金属の販売をなさってきた方でした。戦争にも行き、シベリア帰りの筋金入りの頑固一徹な人でした。
ところが、先代住職、日玄上人に感化を受け、次第に奥さんとともにみ仏を拝まれるようになりました。先代と馬が合っていたということかもしれませんが、何か感じるところがあったのでしょう。
晩年は、遠妙寺の湘南別院の責任者として率先、奉仕。毎朝、自宅近くの別院にお参りして、み仏にお給仕、お初水を換えたり、お仏飯をあげたり、御題目をあげて帰られるという日常でした。竹を割ったような性格、男気の方で、本当に良い方でした。
奥さんのHさんも人の世話を良くする方で、いつも人を助けるために他の方を教化して、ご信心により相手の方が少しでもお計らいを頂いて幸せになることを願う素晴らしい方でした。
さすがに、95歳ですから、最近は病気をした時など、状況が分からなくなる時もありますが、ふだんは自分が誰であるかはよく分かっています。統合された人格を維持できなくなり、家族の認識もできなくなると困りますが、90代も半ばを過ぎれば、たとえそうなっても仕方がないかもしれません。しかし、家族は悲しいものです。誰が悪いわけでもなく、今のような長寿時代ですと、やがて誰でも親を持つ人が向き合わなくてはならない現実です。
このHさんは幸せな方で、すぐ近くに娘さん夫婦が住んでおられ、目と鼻の先の自宅から、毎日のように娘さんが様子を見に来てくれています。ホームにはお金がかかりますが、娘さん夫婦はHさんが持っていた財産はすべて、Hさんのために使いたいと言っています。ご主人の仕事の関係もあり、また、体力的な問題からグループホームに入ってもらっています。が、お母さんが超高齢になりホームでも時に差別的に扱われたり、個別にきめ細かな対応をしてくれなかったりすると、家に引き取ろうかどうしようか考え、板挟みのような感覚にとらわれているようです。
私は、その自宅の御宝前(仏前、仏壇)で御題目をお唱えしてHさんのために祈願、お助行をして、亡きご主人の御回向をさせていただきました。そして、終了後、娘さんからさまざまな悩みをもっぱら聞きました。
長い間、お話を聞いて、このようなグループホームを運営することは、企業であっても、大変なことだと実感しました。中途半端なやり方では、とても運営出来ないし、同時に経営の問題、家族との問題、本人達の問題。いろいろな事をクリアーするとなれば専門的にかかわる人材が相当、必要です。
ちょうど、そんなことをあれこれ思っていましたら、(帰ってきてからの話ですが)名古屋建国寺の石川御導師からハガキをいただきました。建国寺の高齢者施設、ビハーラが10周年を迎え、そのお祝いの準備で大わらわだと書かれていました。
建国寺は大寺院で、それだけでも大変なのに、どうやってビハーラを運営しているのか、不思議な感がしました。「大したものだなぁ」というのがいつわらざる感想です。
Hさんのような方、あるいは、誰も身寄りのない方のことは何とかしてさしあげたい。もちろん、み仏が根本的にはお救いくださっていて、もっと、困窮している方もありますが、何とかできないものかと思います。
Hさんの娘さんとの話も一段落して、ホームの方に行きました。Hさんの娘さんは、母は少し分からなくなってしまったので、玄妙師(私のこと)を忘れてしまったかもしれないと言われました。でも行ってみると三ヶ月ぶりくらいですが「玄妙師?本当に玄妙師なの」と言って懐かしがってくれました。
「毎朝、健康でありますよう、ご祈願していますから、頑張ってくださいね」などと、小一時間、話をして帰途につきました。頑張ってとしか、いうことができませんよね。
この方は、私が出家得度式を40年前の7月6日に挙げた時、大変お世話になった方です。
いま、95歳くらいになりますが自宅のすぐ近くのグループホームに住んでおられます。
グループホームは福祉施設の一つではありますが、やはり、企業が経営をしているものですから、常に収支や利益が一番大きな問題となっているようです。グループホームといえば自宅の延長ということですが、なかなか良質のサービスを維持することがむずかしそうです。
この方のご主人は、もう亡くなって33回忌も過ぎました。ご主人は最初、信心信仰というものに理解を示されず、どちらかと言えば反対でした。もともと、時計職人だったようですが、若い頃から独立して一匹狼で仕事をされ、戦後は商人として時計や貴金属の販売をなさってきた方でした。戦争にも行き、シベリア帰りの筋金入りの頑固一徹な人でした。
ところが、先代住職、日玄上人に感化を受け、次第に奥さんとともにみ仏を拝まれるようになりました。先代と馬が合っていたということかもしれませんが、何か感じるところがあったのでしょう。
晩年は、遠妙寺の湘南別院の責任者として率先、奉仕。毎朝、自宅近くの別院にお参りして、み仏にお給仕、お初水を換えたり、お仏飯をあげたり、御題目をあげて帰られるという日常でした。竹を割ったような性格、男気の方で、本当に良い方でした。
奥さんのHさんも人の世話を良くする方で、いつも人を助けるために他の方を教化して、ご信心により相手の方が少しでもお計らいを頂いて幸せになることを願う素晴らしい方でした。
さすがに、95歳ですから、最近は病気をした時など、状況が分からなくなる時もありますが、ふだんは自分が誰であるかはよく分かっています。統合された人格を維持できなくなり、家族の認識もできなくなると困りますが、90代も半ばを過ぎれば、たとえそうなっても仕方がないかもしれません。しかし、家族は悲しいものです。誰が悪いわけでもなく、今のような長寿時代ですと、やがて誰でも親を持つ人が向き合わなくてはならない現実です。
このHさんは幸せな方で、すぐ近くに娘さん夫婦が住んでおられ、目と鼻の先の自宅から、毎日のように娘さんが様子を見に来てくれています。ホームにはお金がかかりますが、娘さん夫婦はHさんが持っていた財産はすべて、Hさんのために使いたいと言っています。ご主人の仕事の関係もあり、また、体力的な問題からグループホームに入ってもらっています。が、お母さんが超高齢になりホームでも時に差別的に扱われたり、個別にきめ細かな対応をしてくれなかったりすると、家に引き取ろうかどうしようか考え、板挟みのような感覚にとらわれているようです。
私は、その自宅の御宝前(仏前、仏壇)で御題目をお唱えしてHさんのために祈願、お助行をして、亡きご主人の御回向をさせていただきました。そして、終了後、娘さんからさまざまな悩みをもっぱら聞きました。
長い間、お話を聞いて、このようなグループホームを運営することは、企業であっても、大変なことだと実感しました。中途半端なやり方では、とても運営出来ないし、同時に経営の問題、家族との問題、本人達の問題。いろいろな事をクリアーするとなれば専門的にかかわる人材が相当、必要です。
ちょうど、そんなことをあれこれ思っていましたら、(帰ってきてからの話ですが)名古屋建国寺の石川御導師からハガキをいただきました。建国寺の高齢者施設、ビハーラが10周年を迎え、そのお祝いの準備で大わらわだと書かれていました。
建国寺は大寺院で、それだけでも大変なのに、どうやってビハーラを運営しているのか、不思議な感がしました。「大したものだなぁ」というのがいつわらざる感想です。
Hさんのような方、あるいは、誰も身寄りのない方のことは何とかしてさしあげたい。もちろん、み仏が根本的にはお救いくださっていて、もっと、困窮している方もありますが、何とかできないものかと思います。
Hさんの娘さんとの話も一段落して、ホームの方に行きました。Hさんの娘さんは、母は少し分からなくなってしまったので、玄妙師(私のこと)を忘れてしまったかもしれないと言われました。でも行ってみると三ヶ月ぶりくらいですが「玄妙師?本当に玄妙師なの」と言って懐かしがってくれました。
「毎朝、健康でありますよう、ご祈願していますから、頑張ってくださいね」などと、小一時間、話をして帰途につきました。頑張ってとしか、いうことができませんよね。