遠妙寺も陰陽師もおんみょうじ

2007年09月05日 | Weblog
遠妙寺というのは私の自坊であるが、読み方はおんみょうじ。
陰陽師はやはり、おんみょうじ。
だから、お寺の事務を扱っている人が郵便局や役所で順番を待っていて呼び出されたとき、「おんみょうじさま」と呼ばれ、その時、皆がジロッとみる。
京都に「安倍晴明神社」がある。堀川通りに面していて一条戻橋というところだ。
バスで、停留所の名前を言って「安倍晴明神社はこちらが便利です」とアナウンスしている。もっとも大阪にも安倍晴明神社があるそうで、どちらが本家かな。
メディアの影響力は大きく、夢枕獏氏の「陰陽師」がヒットしてテレビ、映画化されて以来、急に安倍晴明の名と陰陽師がメジャーになってしまった。
以前はアナウンスもなくまったく目立たなかった安倍晴明神社が急に派手なのぼりを立て、参拝者を呼び込んでいる。
もともと陰陽師は律令制と共にできた官職で天文、暦についての専門家であった。いわば科学者みたいな存在だった。それがいつの間にか、一人歩きして宗教色を帯び、陰陽師はカリスマ的な存在となっていった。
西洋でも占星術は天文学そのものだったことを考え合わせると、天文の運行予想などをなりわいとしているうちに、未来の運命の予測、占いをするように変質しやすいのかもしれない。
ともかく、読み方がいっしょなので時々、私ども遠妙寺の方に「困っているのですが、おんみょうじですか?おはらいをやってください」と電話がかかってくる。
又か・・・などとつぶやいて、電話に出たものが懇切に応対する。
「私どもは確かにおんみょうじですが、陰陽師ではありません。あなたはお聞きするとお困りのようですが、どのようなことですか?」と始まり、心の持ち方が大切なこと、その心のあり方を変えるためにご信心が大事なこと。お寺に参詣して祈願を立てて、素晴らしい現証利益を頂いた方が沢山あることなどをお話しする。
でも、たいてい、「そんな、面倒くさい。おはらいでいいんです」「陰陽師じゃなければ結構です」「テレビでやっているから電話したのに」などと言ってたいがい終わり。たまにお寺を訪ねてきても、テレビでやっているように、おどろおどろしい「お祓い」をやらないし、本人が努力しなくてはならないことが分かると、長続きしない。日本人は信仰心がないのではなく、マスメディア教を信じているんだね。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ひとりでも大勢でも食べられ... | トップ | 試験 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2007-09-05 20:04:19
面倒ならやりたくないって、なんだか寂しいですね。同じ気持ちを長く保ち続けることは本当に難しいことですよね。
返信する
はじめまして (おばちゃん)
2007-09-07 03:11:56
「陰陽師」で検索したらこちらにたどり着きました。

大阪の方が…、と思ってました。

(大阪は)生誕の地で、境内には産湯の井戸があります。

(大阪は「安倍晴明神社」、京都は「晴明神社」)

(大阪のは)小さくて地味な神社です。でも、空気は神聖で重いです。圧倒されます。

私は普段は、真言宗のお寺に行ってます。

近所なので、時々安倍晴明神社に行きます(笑)

これをきっかけに、これからブログを拝見させていただきます。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事