芸術

2007年08月23日 | Weblog
昔の建築物と今の建物との違いは、昔の建物は無意識に芸術になっているのに今のそれは意識して工夫がこらされ、それによって芸術と認められているということだろう。
今をときめく安藤忠雄氏は身内の方が佛立信者らしいが、ずいぶんすぐれた建築家である。そのデザインは随所に工夫が凝らされ他の追随を許さず、素晴らしいものである。参道を通る間に地下に導かれていき、赤い色に染められた本堂のお寺をテレビで紹介していたけれど、その発想は群を抜いている。誰にもマネはできまい。
ところで写真の建物は本山宥清寺の庫裏入り口だが、建てられた当時に伝承されていた技術とデザインを駆使して建てられたものだ。当時、この玄関をつくった宮大工には、芸術家の意識もなければ、取り立てて工夫した覚えもないと思う。しかし、この美しい屋根の曲線は芸術である。何が芸術かといえば、自然に美を感じてしまうところが芸術だと思う。
いまドイツに行っている田口行弘君は東京芸大に入り絵を専門にやっているけれど、彼の描いたポスターを見せてもらったことがある。これを見たとき、私は心をうたれた。描いた人の心と、これを見た人の心とが通じ合い、美を感じる。それが芸術と呼ばれるものの条件ではないかと思う。
信心の世界では、その心と心が火花を散らし、通じ合うことを感応道交(かんのうどうきょう)という。感応道交がないものは芸術とは言えないのではないだろうか。
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