御法門と正しい情報

2009年06月26日 | Weblog
情報という言葉は、辞書によれば
1 事物、出来事などの内容、様子。また、その知らせ。
2 ある特定の目的について、適切な判断を下したり、行動の意志を決定するために役立つ資料や知識。(information)
3 機械系や生体系に与えられる指令や信号。たとえば遺伝情報。
4 物質、エネルギーとともに、現代社会を構成する要素の一。
という説明が出ています。
この言葉の成り立ちからいえば、最初が1で、そこから2が派生し、そして、3,4の意味が生まれたのではないかと思います。
時代とともに、情報という言葉がだんだん、重要な言葉となり、意味が多様化してきたのが分かります。
ついには、物質やエネルギーと対置される存在にまでなったということです。
外界のナマの情報は、多く受け手の人間がその人なりに受け取って、その人なりの情報としてしまい込みます。
そのようにして自分にインプットされた情報を、今度は他者に対して発信し、アウトプットします。その段階で、情報Aは情報A’に加工されているはずです。
そして、さらにその情報A’を受け取った人は、自分にそれをインプットしたあと、さらに加工して情報A”として他者にアウトプットします。
中には、受け取ったA’の情報を改ざんして、故意に情報Bに変えてしまってアウトプットすることもあるでしょう。
要するに、故意であろうとなかろうと、情報Aが人間を介在している限り、必ず変容してしまうのは宿命であるといえます。
インドで釈尊が発せられた「幸せになり、魂が救われる道」に関する情報だとしますと、時代の進展と共に、知らないうちにその情報が変質、変容してしまったかも知れません。
いま、日本で仏教と称されている各宗派の教えは、実はこのような変容の過程を経て成り立っているものがほとんどです。だから注意が必要なのです。
仏教では、師から弟子へと教えを伝えるのを師資相承(ししそうじょう)といい、重要視しますが、その師から弟子への間において変質してしまう恐れがあることは事実です。
そこで、時に日蓮聖人のような方が出現される必要があるのです。
日蓮聖人のような偉大な方、仏教の大天才ともいえますが、このような方は、師から弟子へという方式を飛び越えて、直接に釈尊の真精神と感応し、その心に直参することができるのです。
このような受け継ぎ方を、一般に経巻相承といいます。特に日蓮聖人の本質は上行菩薩という釈尊の直弟子その方であるといいます。その上行菩薩が、法華経の中で釈尊から多宝塔という美しい塔(高い壮麗な建物)の中で直接、大事な成仏の法を託されたという場面があることから、釈尊から上行菩薩へと塔中直授(たっちゅうじきじゅ)の相承が行われたと言います。
その成仏の法を弘めるために、今、末法の時代に説かれているのが佛立宗の御法門です。
その御法門は、久遠本佛の御法門とことならず、ナマの情報をそのままの形で伝え、説くものです。加工のない、第一次の教えです。
その教えの真実であることは、その教えの通り実行して、現証を頂くことによって証明されています。
ぜひ、遠妙寺開導会(27日夜、28日)に来寺して御法門をお聞きください。





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