願わくはつかいたまわれ

2009年01月25日 | Weblog
寒修行も今日で20日目になりました。
1月25日、日曜日の御法門は
【御題】一切○(法華経に)其身を任せて
願くは つかひ給はれ 奉公を するなんどいふ 身分ではなし
という御教歌でした。
今日は、板橋扇教寺との交流参詣で、事務局長はじめ5名の方におまいりいただきました。
私たちは、罪障が深く至らない人間で、仏様や菩薩のように徳が高い方とちがって、まったく徳が身についていません。ですから、法の為、み仏のため、お寺のため、教区や部のために奉仕ご奉公をさせていただくことにより修行となり、徳が身につきます。また、人のため、社会のために無償の精神で尽くす事によって人間が磨かれるのです。
ですから、人の嫌がることを進んで引き受け、よろこんでご奉公させていただくことが大事だということです。
この御教歌は、佛立第16世講有、小山日幹上人が座右の銘とされていた御教歌で、お寺の会議などが始まるときに必ず皆で唱和されていたとのことです。
とかく、会議などで話し合いをしていますと、ご奉公とは私たち徳が薄い者の修行となり、罪障を消滅してお計らいを頂く絶好のチャンスだということを忘れて、手間のかかることを押しつけあう事さえでてきます。
そこで、ご奉公は喜んで「させていただくべきもの」ということを思い起こすために拝読なさっていたのでしょう。私たち遠妙寺でも、皆、それに見習って、常にこの御教歌を会議開始の時に拝読しています。
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