ニーチェのキリスト教批判

2010年09月03日 | Weblog
最近、ドイツの有名な哲学者、ニーチェの「アンチクリスト」を読みました。もちろん翻訳版です。
 ニーチェなどという難しい人が書いた難しい本など、今まで敬遠してきました。カントだの、ヘーゲルだの本は買ったものもありますが買って以来、長い間、本棚の飾りです。
たまたま、駅の本屋さんで見つけたのが講談社の「+α新書」の中の「キリスト教は邪教です」。 現代語訳版と訳者は言っていますが、話し言葉に直して翻訳しているので、とにかく分かり易いのです。分かり易いし、読みやすいし、あっという間に一冊読んでしまいます。
訳者は適菜収(てきな・おさむ)という人で、まさに超訳です。 面白いことに、この本を読んでみますと、ニーチェは案外、仏教については高く評価しているのです。ただし、その仏教というのは19世紀後半のヨーロッパの人々が手に入れた情報、知識で主としてスリランカや東南アジアに伝わった小乗仏教が仏教の代表だと思って書いているのです。その点は割り引かなくてはなりません。ニーチェは小乗仏教をニヒリズムといって、ダメな所があると言っていますが、大乗仏教をもし知っていれば、どんなことを言ったのかなと考えました。
 とにかく長い歴史の中で、キリスト教神学者たちが作りあげてきた「原罪」の観念や「救い」「神の恵み」「罰」「罪の許し」などは空想的な物語、「神」「霊魂」「自我」「精神」「自由意志」などはありもしないものに本当に存在するかのような言葉を与えたものと言い切っています。
そしてキリスト教は女の人をバカにしているとか、キリスト教が戦争を招くといい、その理由を挙げたり、非常に過激な内容の本です。 しかし、今までの世界の歴史を振り返ったとき、かなり言い当てているところがあります。
訳者の適菜氏は次のように言っています。
 多くの日本人にとってキリスト教は・・・ふだん意識することのない宗教であると言っていいでしょう。しかし、本当に私たちとキリスト教は関係がないのか。どうでもいいのか。「どうでもよくない」と言ったのがドイツの哲学者ニーチェです。なぜなら自分の立場がどうあであれ、世の中の仕組みはすでにキリスト教によってできあがってしまっているからです。キリスト教は世界最大の宗教であり、信者の数は約20億人、つまり、世界の人口の三割以上がキリスト教徒なのです。「私たちは無意識のうちに、キリスト教的な考え方、行動パターンに巻き込まれている。宗教というハッキリしたあ形をとらなくても、政治思想や哲学などに姿を変えて、キリスト教はじわじわと世界中に広がっている」とニーチェは言います。そういう意味では、もしかしたら、日本人のほとんどが「キリスト教徒」なのかもしれません・・・・・・・・・・・・ニーチェも言うようにキリスト教は戦争を必要とする宗教です。日米戦争、パレスチナ問題、ベトナム戦争、イラク戦争などにおける、アメリカをはじめとするキリスト教原理主義国の行動パターンも、本書をお読みになれば、すっきりと腑に落ちることと思います。
等と紹介しています。
 私たち仏教者、佛立宗の立場からのキリスト教批判というものがありますが、ニーチェの批判というものを知り、なるほどと思いました。 ニーチェはルター派の裕福な牧師の息子として、19世紀のドイツに生まれました。そういう、いわばキリスト教の産湯にどっぷりつかって育った人の批判ですから核心を突いています。
 明治時代に佛立第四世講有、日教上人はキリスト教の研究を行われています。私たちも少しはキリスト教を知らなくては申しわけありません。フィリピンではキリスト教徒が国民の93パーセント。フィリピンはどうしても仏教によって人々の考え方が変わっていかないと、いつまでも貧富の差が大きく、人々の平等が実現できません。
一冊800円でも、勉強になりますね。
コメント (2)
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