さる9月5日(日)に恒例の敬老御礼御講がつとまりました。
遠妙寺では、この日に婦人会以外の五つの教養会(年代別、性別の信徒グループ)の会員も集まり、敬老の対照となっている方の御祝いをします。
いまは遠妙寺では、敬老対象者は満、75歳以上となっていますが、以前は70歳以上でした。でも、今の方がその頃の対象者の1.5倍になっています。
午前中は、御講で法要です。
御題目口唱、そして祝辞、御法門聴聞です。
御法門は当然、住職の私が説かせていただきました。
御法門を聴聞される対告衆(教えを説く相手)は、みな私より年長ですから、気を遣います。人生の先輩にご苦労様と感謝の意を込めて御法門させていただくよう心がけています。
世の中よ よめがしうとゝ 早なれば かねにくるしみ ためてしぬなり
という御教歌を頂いて、御法門を拝ませていただきました。
あっという間に時が経ち、知らない間に若いお嫁さんが、姑になってしまう世の中にお互いは住んでいます。その無常の人生において、一度きりの人生において、何をもっとも大切と考え、何に価値を見いだすか、それが重要です。
世の中には、お金が大事、衣食住の充足と財産形成、貯蓄に生き甲斐を見いだし、それを至上と考えている人は多いのですが、はたしてそれが本当の人間らしい生き方でしょうか。
そして実際は、そのような「この世的な」ものに価値を見いだし、追い求める人は、お金に苦しみ、いかにお金をつくり、いかにお金を増やすかで汲々としているもので、いつも心配事が絶えません。円高、株安などニュースが入るたび、一喜一憂。一時も安心できません。そして、爪に火を灯すような生活をして、財産ができた頃、思わぬ死を迎えたりします。その結果、意外に多額のお金を貯め、遺して死んでいきます。
ヨーロッパの諺に「豚と金持ちは死んで人を喜ばせる」というのがあるそうです。
人それぞれ自由ですから、それも人生かもしれません。でも、人と生まれ、お出値いしがたい大法(上行所伝の妙法)にご縁があり、信者となり、数知らずのお計らいをいただいている佛立信者は、そんな世間一般の生き方でなく、人を助け、世を救う御法をお弘めする、また、助行、参詣、口唱、御有志等の功徳積みをこころがけることが大事です。
今日、集まられた方々は、戸籍もあり、信者としての籍もあり、実際に日々、参詣をされている方々ばかりで、その人相応に功徳を積んでおられます。
ところが、いま、大問題となっているのが高齢者で、生きていることになっていて年金を受け取っていることになっていて、実際は行方不明だとか白骨となっていたという人があります。ですから御教歌には「かねにくるしみ、ためてしぬなり」とありますが、「ためてしんでは なおかせぐなり」という状況です。
人情も地に落ちて、亡くなった親の葬儀も回向もせず、放置していたり、年金をだまし取ったり、恐ろしさを感じます。
今は、とにかく自分の利益だけを追い求め、特に年をとったら先行きの不安と自己防衛のために、お金の番人となり、尊いご信心にもお金は出したくない、宗門のための御有志奉納も節約して功徳を積まれないという傾向の方もあります。
佛立信者のお互いは、老いてもなお、功徳を積み、教化折伏等のご奉公にも身を惜しまず挺身して、本当に寂光参拝が叶うようさせていただかなくてはなりません。
本日の最高齢の参詣者は柴山さんで98歳。なお、矍鑠として朝夕の御看経を怠らず、また、御講の参詣もよくされます。信心上、間違っている人があれば、やさしくお折伏して功徳を積んでいます。
また、カップルでは菊地さん夫妻で、88歳と89歳のご夫婦。
ご主人は元・事務局局長、今は、責任役員であり、よく川口市の自宅から電車、バスを使ってお寺参詣されています。寺報一面のコラムに毎月、執筆され、動植物や四季折々の風物、最新科学の成果にも言及した原稿は人気があります。おつれ合いの奥さんは、元・婦人会会長で、民生委員もしていたことがあり、奉仕活動をよくされます。趣味も多彩で本格的。七宝焼きの美術作品は観る価値があります。数年前までスキーに出かけ、今は周囲が心配するので休止中といいます。
これらの方の若さの源泉がご信心であり、佛立菩薩行です。
菩薩として生き、菩薩として年をとり、菩薩として逝き寂光参拝を果たす生き方、これこそ佛立菩薩道というべきものです。
写真を撮影して、ご供養。午後は、フィリピン弘通、教化の様子を映像で紹介、そして、オーボエとフルートの演奏を楽しみ、合唱も。そして日本奇術協会理事の佐藤元一さん(平成の手品博士)のマジックショーまで観て大満足で参会。来年の敬老御講で再会を約して三時過ぎに終了。サービスが良すぎた感じもありますね。
遠妙寺では、この日に婦人会以外の五つの教養会(年代別、性別の信徒グループ)の会員も集まり、敬老の対照となっている方の御祝いをします。
いまは遠妙寺では、敬老対象者は満、75歳以上となっていますが、以前は70歳以上でした。でも、今の方がその頃の対象者の1.5倍になっています。
午前中は、御講で法要です。
御題目口唱、そして祝辞、御法門聴聞です。
御法門は当然、住職の私が説かせていただきました。
御法門を聴聞される対告衆(教えを説く相手)は、みな私より年長ですから、気を遣います。人生の先輩にご苦労様と感謝の意を込めて御法門させていただくよう心がけています。
世の中よ よめがしうとゝ 早なれば かねにくるしみ ためてしぬなり
という御教歌を頂いて、御法門を拝ませていただきました。
あっという間に時が経ち、知らない間に若いお嫁さんが、姑になってしまう世の中にお互いは住んでいます。その無常の人生において、一度きりの人生において、何をもっとも大切と考え、何に価値を見いだすか、それが重要です。
世の中には、お金が大事、衣食住の充足と財産形成、貯蓄に生き甲斐を見いだし、それを至上と考えている人は多いのですが、はたしてそれが本当の人間らしい生き方でしょうか。
そして実際は、そのような「この世的な」ものに価値を見いだし、追い求める人は、お金に苦しみ、いかにお金をつくり、いかにお金を増やすかで汲々としているもので、いつも心配事が絶えません。円高、株安などニュースが入るたび、一喜一憂。一時も安心できません。そして、爪に火を灯すような生活をして、財産ができた頃、思わぬ死を迎えたりします。その結果、意外に多額のお金を貯め、遺して死んでいきます。
ヨーロッパの諺に「豚と金持ちは死んで人を喜ばせる」というのがあるそうです。
人それぞれ自由ですから、それも人生かもしれません。でも、人と生まれ、お出値いしがたい大法(上行所伝の妙法)にご縁があり、信者となり、数知らずのお計らいをいただいている佛立信者は、そんな世間一般の生き方でなく、人を助け、世を救う御法をお弘めする、また、助行、参詣、口唱、御有志等の功徳積みをこころがけることが大事です。
今日、集まられた方々は、戸籍もあり、信者としての籍もあり、実際に日々、参詣をされている方々ばかりで、その人相応に功徳を積んでおられます。
ところが、いま、大問題となっているのが高齢者で、生きていることになっていて年金を受け取っていることになっていて、実際は行方不明だとか白骨となっていたという人があります。ですから御教歌には「かねにくるしみ、ためてしぬなり」とありますが、「ためてしんでは なおかせぐなり」という状況です。
人情も地に落ちて、亡くなった親の葬儀も回向もせず、放置していたり、年金をだまし取ったり、恐ろしさを感じます。
今は、とにかく自分の利益だけを追い求め、特に年をとったら先行きの不安と自己防衛のために、お金の番人となり、尊いご信心にもお金は出したくない、宗門のための御有志奉納も節約して功徳を積まれないという傾向の方もあります。
佛立信者のお互いは、老いてもなお、功徳を積み、教化折伏等のご奉公にも身を惜しまず挺身して、本当に寂光参拝が叶うようさせていただかなくてはなりません。
本日の最高齢の参詣者は柴山さんで98歳。なお、矍鑠として朝夕の御看経を怠らず、また、御講の参詣もよくされます。信心上、間違っている人があれば、やさしくお折伏して功徳を積んでいます。
また、カップルでは菊地さん夫妻で、88歳と89歳のご夫婦。
ご主人は元・事務局局長、今は、責任役員であり、よく川口市の自宅から電車、バスを使ってお寺参詣されています。寺報一面のコラムに毎月、執筆され、動植物や四季折々の風物、最新科学の成果にも言及した原稿は人気があります。おつれ合いの奥さんは、元・婦人会会長で、民生委員もしていたことがあり、奉仕活動をよくされます。趣味も多彩で本格的。七宝焼きの美術作品は観る価値があります。数年前までスキーに出かけ、今は周囲が心配するので休止中といいます。
これらの方の若さの源泉がご信心であり、佛立菩薩行です。
菩薩として生き、菩薩として年をとり、菩薩として逝き寂光参拝を果たす生き方、これこそ佛立菩薩道というべきものです。
写真を撮影して、ご供養。午後は、フィリピン弘通、教化の様子を映像で紹介、そして、オーボエとフルートの演奏を楽しみ、合唱も。そして日本奇術協会理事の佐藤元一さん(平成の手品博士)のマジックショーまで観て大満足で参会。来年の敬老御講で再会を約して三時過ぎに終了。サービスが良すぎた感じもありますね。