蔵の財(たから)より身の財

2009年10月06日 | Weblog
日蓮聖人の教え

蔵の財(たから)より身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。

これは日蓮聖人のお書きもの(御妙判 ごみょうはん)の一節です。
蔵の中に蓄えている金銀財宝よりも、身につけた宝もの・・・すなわち、学問や知識、また、技術や技能などの方が上です。
なぜなら、お金や宝石などは、それらを持っているという満足感はあるかもしれませんが、使えば減って、いつか無くなります。また、守るのに汲々として、かえって金持ちほど汚くなるなどと言われる人もあります。
また、お金持ちが亡くなるとお金をめぐって争いが必ず、起こります。ですから西郷隆盛は「児孫のために美田を買わず」という言葉を残しています。子どものことを真実に愛するなら、手入れをしなくても収穫が沢山あるような、よい田んぼを買わないという意味です。そんな田んぼを与えたら子どもは働かなくなってしまい、苦労することを嫌うようになるに決まっている、だから、あえて美田を買い、遺さないと言っているのです。
また、戦争に負けたり、時代の変化によって、貨幣は価値が下落したり、宝石は盗まれたりします。そして、これらの財産は人徳を増すことにはなりません。
ですから、それより身の財だというのです。
技術や技能を持っていれば、何もなくても、「芸は身を助く」です。知識や知恵、才覚があれば、それが元手となって財産を形成することもできます。
災害に被災した地域にボランティアで大勢の人が訪れることがあります。そんな所で、被災者に喜んでもらうには何か、一芸をもっている、特技があるということです。そういう方は確かにお役に立つことができます。
そして、最後に「身の財より心の財第一なり」です。
どんなに技芸にすぐれ、才能がある人より、心が美しくしっかりしていることが第一だと仰せです。
どれほど、智慧があり知識を持ち、何でもできるような方でも、あるとき、突然、悩み、学校に行くことも働くこともできなくなることがあります。
あるいは、高い能力は持っているけれど、誰からも慕われることなく、また、敬愛されることもなく相談相手もないなどという方もあります。
反対に、多くの財産があるわけでなく、特別な能力も学識も技術もなく平凡に暮らしている方が沢山います。しかし、その人たちは不幸せでしょうか。そんなことはありません。ブータンという国は、経済的には非常に苦しく、大変です。しかし、国民が幸せを感じる指数は高く、満足している方が多いとのことです。
逆に、日本には有財餓鬼と言い、お金も土地もあり、蔵には宝ものが沢山あり、学歴も技術も知識もありながら、飢えた餓鬼のような人が多いのです。
その大事な心を本当の意味で大切に考えていないのは困ります。
日蓮聖人はまた、「心こそ大切」と言われています。
一般には心を後回しにして、反対にお金こそ大事、技術や特技が第一と思っている人がたくさんいます。それは本末転倒、考え方がひっくり返っていることに気がつかなければなりません。
さて、その心が大事なら、どのようにして磨いていくのかが問題になって参ります。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする