日教上人の御前にて飛躍を期す 爆発的な拡がりをめざして 

2009年01月16日 | Weblog
今日は本所吾妻橋・清雄寺で恒例の日教上人御墓前式がありました。
1280年代(明治十年代)から首都・東京にどうしても佛立宗の教えを弘めようと日教上人は進出、麻布霞町の一角に親会場(布教所)を設立されました。
日教上人という方は、目の付け所がすばらしく、京都でも将来の後継者養成が大事だということで、修学所の設立を提言され、それが実現しました。
明治時代、東京は何といっても日本の首都としてゆるぎない発展をみせ、これからの佛立を考えれば東京に拠点がなければならないとされたのでした。
また、それ以前に、日教上人はキリスト教の研究を行われましたが、これは世界に佛立の灯をともそうという意志がすでにあったからです。後にこれは実現し、日教上人はブラジルへの移民船に茨木現樹師が乗って同行するよう命じられました。
平成23年には、その日教上人の100回御遠諱(第100回忌)がゆかりの清雄寺でつとまります。
東海、中部、関東、東北、北海道の佛立寺院は、すべて日教上人の門下ですから、この機会に、ぜひ起ちあがって大々的に弘通教化にがんばろうというのが、本日の御墓前式のテーマです。
たまたま、現在の清雄寺住職は小山日誠上人(現在の佛立宗の最高位・講有をつとめられている)で、不思議な巡り合わせ、因縁を感じます。
遠妙寺では今年、十一月八日に先代住職、日玄上人の二十三回忌を小山日誠上人及び高須日良上人(長薫寺)にお勤め頂きますが、去年と今年で100戸の教化誓願を立てています。今、何が何でも達成しようと寒修行参詣に皆で励んでいるところです。
50年前、100年前と状況は変わってきていることは感じています。昔は、追いつめられた時代の転換期に宗教に救いを求める人が多かったのですが、今の日本人はおいそれとは、動かず、何も信じようとしません。かつて新興宗教や新々宗教など、かなり奇異な似非(エセ)宗教団体によって手痛い目にあっているからでしょう。
しかし、これから益々、深刻な危機に襲われれば、必ず、日本人も目が醒めて、真の心のより所を求めるのではないでしょうか。
ただ、私たち佛立のお寺が、まことの安らぎを与えることができるお寺として大勢の人に分かってもらわなくては話になりません。ですから、情報を常に発信する必要があります。
たとえば、葬儀の時、一般には法外な戒名料を請求されることが多々あります。
でも佛立宗では、戒名料は不要ですし、教務方に対する葬式の御布施にしても施主の気持ちだけを表せばよいのです。私も今まで、御布施はゼロ、また、持ち出しという時も何回かありました。また、御布施は基本的には寺院への寄付です。ですから余裕のない人はホンの気持ちでも良いし、余裕のある方はその人のできる範囲でされればよい・・という立場を佛立宗のすべての寺院では堅持しています。
でも、こういう事を世の人々に宣伝をわざわざしたこともないし、殆ど誰も知らないのです。
話がそれました。とにかく、私たちはこれから身命を惜しまず、人のために教化に頑張ります。(写真は御墓前式後の大会会場にて)
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