2009年を占う 今年の予測

2009年01月02日 | Weblog
日蓮聖人は予言者といわれています。
しかし、日蓮聖人は根拠がないのに未来の予測をされたのではありません。
ブッダつまり釈尊が遺されたお経文をただの呪文としてではなく、その意味するところを正しく把握され、そのお経文は未来の予言にほかならないと考えられました。
そして、そのお経文が現代について預言していることを取り出されて、ご自分のお考えの基礎とされたのです。
その釈尊の預言は、また、単なる思いつきでも脅かしでもなく、一定のルールというか法則に基づいています。
それは、因果律というものです。
ただ、釈尊の説かれた因果は、単なる自然科学、社会科学における因果の領域にとどまるものではなく、人間の運命、人間の過去、現在、未来にわたる因果の道理です。
要するに、人が幸せになれる、なれない、また、悟りを開けるか開けないか、あるいは、仏の境地を味わえるか味わえないかということについて、釈尊は説かれたのです。
これを応用して、日蓮聖人は個人の幸福論、人生論、哲学論にとどまらず、日本という国、閻浮提(えんぶだい)という言葉で表現された世界が、いかにしたら仏の国、幸福な世界に近づくかを提言されたのです。
まあ、そういう日蓮聖人のスケールの大きな展望から、この日本という国、また、今の世界を視野に入れて、今年がどうなるのか、この二十一世紀がどうなるのか占うとしますと、混乱は続くとみなければなりません。
その流れを変えるには、大きな変革が必要であるとも言えます。
世の中が行き詰まったとき、変革が必要なのは経済に関することだけではありません。経済や政治を動かしているのは人間なのですから、人間のあり方を問わなければ本当の変革は成り立ちません。それに大きく関連するのは、教育、道徳、宗教ということになるでしょう。
まぁ、話しが長くなりますので、とばしますと、結局は「法華経」の教えに従わなければ世の中はほんとうに明るくはなりません。
ともかく、法華経本門八品の教えをもととして、信仰生活を送れば、少なくともその人とその人の周囲は明るく変わってきます。
世の中の変革が行われ、すべてが良く変わっていって寂光浄土の世界を顕現するのが釈尊や日蓮聖人が教えを説かれた目的ですが、それに向かって励むうちに、知らず計らず、その人は幸せになり、寂光をわが身に感得いたします。
ずいぶん遠回りになりました。運命を好転するには、少しでも幸せを望むなら、寂光浄土・・・仏国土の顕現、建設をこころざすなら佛立寺院にお参りしましょう。そこから、すべて始まるし、今年も運が開け、お計らいを頂きます。
六日から寒修行参詣です。毎朝、厳寒に耐えて参詣の功徳を積みましょう。
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愛は複雑 さくらをめぐって

2009年01月02日 | Weblog
私の孫、そよかです。昨年、8月に誕生。今年の正月は岡山で過ごしました。
三女の長男、嘉弘とともに、これからの成長が楽しみです。
一方、愛犬、さくらは昨年12月、満8歳を迎え、大変元気です。

さくらは女性で、最初は娘たちがデパートから無断でローンを組んで買ってきてしまったのを現在、引き受けているのです。
大反対して、返してこいと言ったのですが、とうとう飼うことになりました。ところが、娘たちは3人とも結婚してしまい、さくらは連れていきませんので、夜は私の布団の上で寝ています。チワワにしては大きく3キロあります。
3キロといっても、結構、布団の上でズシッときます。
私は、それでなくとも忙しく、その中を屋上の植木に水をやるだけでも15分以上かかって夏などは、特に大変です。ことさら、さくらの世話をするわけでもありませんが、何か気になるのと、責任感のようなものがあります。
エサではなく、朝食をあまり食べないと気になりますし、健康も気にかけています。私が自分のエサ・・ではなくご飯をいただく時など、特に側を離れません。しかたなく、思わず私のご飯の一部、といっても、納豆と固く焼いた卵焼きの黄身だとか、海苔などですが、彼女の好物でもありますので、家族の目を盗んで与えています。
そうして、時にはヒザの上に載せて、やさしく撫でたりしています。それなりに、愛情を注いできたつもりです。
ところが、3年以上前になりますが、長女とフーミン(フミ君)が結婚してから、さくらは彼に恋をしているようです。飼い主(私)が顔を彼女の顔に近づけると、以前、くさい息をかけたことを覚えているようで、顔をそむけます。所が、フーミンが私たちのダイニング・ルーム(とは、とても言えない「食堂」)にやってきますと、狂ったように飛びついて、イスに座っているときは自分から飛び乗って、顔をなめにいくのです。フーミンは彼女のために何一つしてあげたワケではないのに。
私は、何ヶ月か我慢していました。でも、それは一向に収まらないのです。
何か私は悲しいような、うらやましいような人間には感じたことがないジェラシーを感じました。でも、大人げないし諦めることにしました。
しかし、昨年の夏、フーミンに長女(私の孫)が誕生して以来、事態は変わりました。
すっかり、フーミンは孫の虜となって、さくらをほとんど無視して、避けるような感じすらあります。
さくらは、何かしょげているようで、私は諦めていたのに何か期待するようになっていました。だんだん、さくらも事の次第を悟ってきたようです。
この時とばかり、私はいつもより、海苔も卵も多めにやり、歓心を引くこととしました。もう、時間の問題だと・・・・・
でも、このお正月、フーミンがわが家に来る回数が増えると、あのさくらめ。
また、彼の膝の上に飛び乗って、同じようにするのです。
私が試しに顔を近づけると、なんとさくらは、下を向いた上、自分の手・・(前足だったかな)で顔を隠したのです。
許せない!!
コメント (1)
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