お盆 3

2007年07月17日 | Weblog
亡くなった親に対する孝養とか供養、死者の霊を弔うという観念はお釈迦様の直弟子(声聞しょうもん)たちにはありませんでした。直弟子には先ほどの目連(モッガーラナ)や迦葉(かしょう マハーカーシャパ)や舎利弗(シャーリプトラ)や阿難(アーナンダ)などがいて、その他にも大勢いました。これらの弟子は出家していて、世間とは距離をとって修行と教理の研究に明け暮れていました。彼らはインド各地に赴いて、それぞれの土地で仏教教団を率いて、戒律と教えを伝えていきました
これらの直弟子たちの伝えた仏教を小乗仏教、教団を小乗部派といい、これらは最初は二つに、そして時代とともに20、また、それ以上に分裂していきました。
これらの直弟子たちとは別に、お釈迦さまのおしえを伝えた人たちがいました。
それは、お釈迦様の教えを信仰とと共に聞いていた信者たちです。彼らは出家の弟子たちと違い、仕事をしながら俗人のまま信仰を続け、教団と出家した僧侶に布施としてさまざまなものを寄付していました。ですから専門的に修行したり、難しい教理の研究や思弁に打ち込む余裕はありません。ただ、ひたすらお釈迦様を仰ぎ見て、その救いの力を信じて教えを聞いていたのです。
お釈迦様は、この信者たちにだけ、ご自身の死後、葬儀に関することを託されました。そして、出家の弟子たちには葬儀にタッチすることを禁じたのでした。
この信者たちは、後にお釈迦様の「お骨」を奪い合うようにして各地に大切に持ち帰り、きれいに装飾したお墓・・「仏塔」(ぶっとう)を建立して花や香で供養し崇めたのです。これが後に、西紀紀元前後に興ってきた大乗仏教の源です。
この大乗仏教では、その発祥の経緯からしても当然ですが、お釈迦様を敬い、供養する儀礼の発達と共に、先祖に対する儀礼も供養も重要視されたと思われます。
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