どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

新旧ヤマトのアレンジ具合と悲壮感と

2013年04月15日 19時38分02秒 | アニメ
テレビ放送も始まり、より多くの人の目に触れることとなり、様々な感想や意見がネットに飛び交っております(^_^)

CGが多用され、作画も洗練され、作品にリアリティがあると言う一方、声優が一新されたためガッカリとか、松本零士キャラじゃないとか、「艦長」の発音に違和感があるとか、エヴァみたいな感じとか、色んな意味で重みが足りないとか、不満の声も(^_^;

まぁどれもこれも私自身感じたことだし、許容の度合いも人それぞれ?監督の出渕氏も言っているように、ヤマトのイメージに対して十人十色なワケで、最大公約数を探っていくしかないというのは本音でしょうね。

その最大公約数エリアから外れたところに自分のイメージがあれば、不満に感じるんでしょうけど、私としてはバッチリとエリアに入ってます(^_^)

古代や森雪も声だけでなく、性格も微妙に変わっているし、女性キャラも大幅に増えて艦内はキャピキャピしたムードになってます(笑)

でもなんか全然違うハズなのに、素直に受け入れられたんですよね?不思議なくらい。

組織系統がハッキリとし、それぞれのセクションが明確に整理されたことも大きいと思います。旧作は、一人で何役もこなすスーパーマンでしたしね(^_^;

それと、古代進を突出したヒーローにせず、群像劇のニュアンスを強めたところも好感触ですね。

ガミラス帝星側も同様です。絶対悪な存在にしてないところも良い!

これは監督の好みがハッキリ出ているところみたいですが、大歓迎な演出です(^_^)

旧作ヤマトって言わずと知れた、テレビアニメのエポックメイキングなワケで、革命的な作品だったと思うんですよね。

ヤマトがあったればこそ、ガンダム・イデオン・マクロス・エヴァなどが生まれたワケですしね、アンチや素直な進化形として。

新作2199が、それらを包含した上で構築されているのも当たり前。ある意味で回収していると言っても良いくらいじゃないですかね。例えばガミラスの組織や登場人物の性格や役割を見たとき、「イデオンの敵バッフ・クランっぽいな~」と思ったんですよね。でもパクッたなというよりも、嬉しいなぁ(*^o^*)と感じたんですよ。

悲壮感や重みが足りないというのも、時代性でしかないなぁと考えています。

旧ヤマトが放送されたのは、1974(昭和49)年。その前年に刊行された「ノストラダムスの大予言」がベストセラーとなり、エネルギー問題や公害の事もあり、近づく99年に人類は本当に滅亡しちゃうんじゃないかと、現実性を伴って膾炙したワケです。

ヤマトは正にその不安に乗じる形で出現した作品でした。作中に流れる「人類滅亡まで、あと○○日」という文言をリアルに感じて、毎回ハラハラドキドキしながら見ていました(´Д`;)

予言の中に書かれている「恐怖の大王」のイメージは正にデスラー総統でしたし、まともに戦っても勝てない相手との対峙はまさに悲壮感が漂い、小学6年生だった自分に強烈な印象を残してくれたんですよ(^_^;

旧作にはそれが擦り込まれて、昔見た人の心に残っているんです。

だから新作に悲壮感を求めても、時代性もあってどうしようもないんじゃないかなと。

それよりも、大人になり、社会人になり、家庭を持ったりして、その立場?例えば中間管理職の悲哀をキャラに投影させて共感するとか?そんな見方で楽しむのが良いんじゃないかと、ヤマトファン第一世代の自分としては、そう考えています(^_^)

長々と駄文、失礼いたしました(^_^;