子供のときの過保護の後遺症が
未だ残っていることは前回書きましたが、
それでもこの歳になって、それなりの
生活を楽しめている理由を自分なりに考えました。
それは もう体力=生命力ではない
と云うことでしょうか。
壮年の頃までは確かに体力は即生命力であったでしょう。
しかし加齢と共に誰でも体力(運動能力)は自然と低下します。
余程頑張って、シニアオリンピックにでも出るようなつもりで
体力維持に励んでおられる方は別にして、
かって体力の強い、運動能力抜群だった人は
加齢での減退の幅が大きいのではと思います。
逆に体力、運動能力が低かった人は、
それだけ減退の幅も狭い訳で
齢を重ねるにつれ、次第に体力差が少なくなるようです。
同年輩位で運動神経万能であった人が、最近杖をついていると
言う事も珍しくはありません。(特定の人の事ではありませんぞ)
昔、弱かった人は限界を弁えて無理をしない気持が強いのです。
そういう意味でかっての体力の無さのコンプレックスは
雲散霧消と消え去りました。
今は日々の生活力(人にお世話にならない程度の身体と
ボケない脳力、精神力などのバランス)が大切だと感じています。
未だ残っていることは前回書きましたが、
それでもこの歳になって、それなりの
生活を楽しめている理由を自分なりに考えました。
それは もう体力=生命力ではない
と云うことでしょうか。
壮年の頃までは確かに体力は即生命力であったでしょう。
しかし加齢と共に誰でも体力(運動能力)は自然と低下します。
余程頑張って、シニアオリンピックにでも出るようなつもりで
体力維持に励んでおられる方は別にして、
かって体力の強い、運動能力抜群だった人は
加齢での減退の幅が大きいのではと思います。
逆に体力、運動能力が低かった人は、
それだけ減退の幅も狭い訳で
齢を重ねるにつれ、次第に体力差が少なくなるようです。
同年輩位で運動神経万能であった人が、最近杖をついていると
言う事も珍しくはありません。(特定の人の事ではありませんぞ)
昔、弱かった人は限界を弁えて無理をしない気持が強いのです。
そういう意味でかっての体力の無さのコンプレックスは
雲散霧消と消え去りました。
今は日々の生活力(人にお世話にならない程度の身体と
ボケない脳力、精神力などのバランス)が大切だと感じています。
人様にお世話にならない程度の体力は維持したいものです。
おっしゃる通りですネ。
脚、腰の衰えが一番こたえますので、
暇を見ては、ウォーキングをするように
しています。