この度の神戸都賀川の災害で
亡くなられた4名のお子様に謹んで哀悼の意を捧げます。
実はこの様な災害が過去に起こっているのです。
私は20才迄神戸の灘区に住んでいました。
もう70年ほど昔の事ですから、記憶が定かではありません。
多分昭和9年の室戸台風の時ではなかったかと思うのですが・・・
朝から猛烈な豪雨、当時は勿論台風でも登校です。
お昼頃だったのですが、六甲山塊から海に流れる川が、
皆氾濫したのでした。普段はチョロチョロとしかない水の量が、
怒り狂ったように大きな土砂流、鉄砲水になって襲いかかったのです。
自分達の小学校の窓から見える向こうの女学校の校舎が、
アッと言う間に押し潰され、大勢の女生徒が亡くなりました。
当時この流れを「山津波」と呼んでおりました。
この六甲近辺は山から海への傾斜がきつく、
普段は水量が少ないので川幅は狭く、
上流では多くの支流が流れ込むようになっており、
水源の近くで局地的に豪雨が降ると、必ずや鉄砲水になるのが常です。
災害迄には至りませんでしたが、山から海に向かう道路が一斉に、
急流の川のようになって、滝の様に水が流れる事は屡ありました。
半世紀以上もこの六甲近辺に住んで居られる方なら、
皆ご存じの事と思うのですが・・・。
滅多に起こる事ではないのですが、(今後も起こる可能性はあります)
緊急警報対策はどうしても必要と思われます。
水源地帯の降水量を記録して、もし危険水量になることがあれば、
直ちに下流の警報装置がアナウンスして、川から離れる様に指示する。
これ位の設備はやる気になればすぐ出来る筈でしょう。
決して2度と同じ事故を起こしてはならないのです。
亡くなられた4名のお子様に謹んで哀悼の意を捧げます。
実はこの様な災害が過去に起こっているのです。
私は20才迄神戸の灘区に住んでいました。
もう70年ほど昔の事ですから、記憶が定かではありません。
多分昭和9年の室戸台風の時ではなかったかと思うのですが・・・
朝から猛烈な豪雨、当時は勿論台風でも登校です。
お昼頃だったのですが、六甲山塊から海に流れる川が、
皆氾濫したのでした。普段はチョロチョロとしかない水の量が、
怒り狂ったように大きな土砂流、鉄砲水になって襲いかかったのです。
自分達の小学校の窓から見える向こうの女学校の校舎が、
アッと言う間に押し潰され、大勢の女生徒が亡くなりました。
当時この流れを「山津波」と呼んでおりました。
この六甲近辺は山から海への傾斜がきつく、
普段は水量が少ないので川幅は狭く、
上流では多くの支流が流れ込むようになっており、
水源の近くで局地的に豪雨が降ると、必ずや鉄砲水になるのが常です。
災害迄には至りませんでしたが、山から海に向かう道路が一斉に、
急流の川のようになって、滝の様に水が流れる事は屡ありました。
半世紀以上もこの六甲近辺に住んで居られる方なら、
皆ご存じの事と思うのですが・・・。
滅多に起こる事ではないのですが、(今後も起こる可能性はあります)
緊急警報対策はどうしても必要と思われます。
水源地帯の降水量を記録して、もし危険水量になることがあれば、
直ちに下流の警報装置がアナウンスして、川から離れる様に指示する。
これ位の設備はやる気になればすぐ出来る筈でしょう。
決して2度と同じ事故を起こしてはならないのです。
室戸台風は、有名な阪神大水害(昭和13年)以前のこと。忘れ去られていったのでしょう。”貴重な証言”と思いました。
コメント ありがとう ございます。
もう半世紀以上も前の事でしたね。
それでも強い印象を受けたのか、
私自身は当時の事をまざまざと思い出します。