![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/0e/81fac6489d2ccc48491df3e25419216b.jpg)
昭和53(1978)年に川崎市北部の百合ケ丘に一戸を構えました。
川崎市は地図で見るとお判りの様に、
多摩川の西岸沿いに南東から北西に長く伸びた都市です。
元来、川崎と言えば、コンビナートの煙突が立ち並び、
空気の悪い公害発生の町との印象を御持ちの方が多かったですが、
それは南部の海岸沿いのみで、その後北へ北へと開発が進み、
私共の棲んでいる麻生(あさお)区は、
完全な住宅街で、新宿から40分で到着するベッドタウンの感じです。
此処に居住した当時は未だ開発も進んでおらず、
隣の急行停車の新百合ケ丘駅は新しく出来たばかりの駅で、
周りは全て造成宅地で暗い寂しい場所でした。
それが今や、駅周辺には高層ビルが建ち並び、
昭和女子音大が出来、更に現在近辺に映画大学も建設中で、
芸術都市の名前を頂く程発展しました。
急激な造成地開発とマンションの乱立で、
唯一の交通の便となる小田急のラッシュアワーの凄さは怖ろしい。
写真は駅前の繁華街のイルミネーションです。
立派な衛星都市となりました。
川崎市は地図で見るとお判りの様に、
多摩川の西岸沿いに南東から北西に長く伸びた都市です。
元来、川崎と言えば、コンビナートの煙突が立ち並び、
空気の悪い公害発生の町との印象を御持ちの方が多かったですが、
それは南部の海岸沿いのみで、その後北へ北へと開発が進み、
私共の棲んでいる麻生(あさお)区は、
完全な住宅街で、新宿から40分で到着するベッドタウンの感じです。
此処に居住した当時は未だ開発も進んでおらず、
隣の急行停車の新百合ケ丘駅は新しく出来たばかりの駅で、
周りは全て造成宅地で暗い寂しい場所でした。
それが今や、駅周辺には高層ビルが建ち並び、
昭和女子音大が出来、更に現在近辺に映画大学も建設中で、
芸術都市の名前を頂く程発展しました。
急激な造成地開発とマンションの乱立で、
唯一の交通の便となる小田急のラッシュアワーの凄さは怖ろしい。
写真は駅前の繁華街のイルミネーションです。
立派な衛星都市となりました。