goo blog サービス終了のお知らせ 

スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

コスタリカ 2018年(5)コスタリカ滞在 第1日目 ひたすら寝る

2018-09-14 18:46:16 | コスタリカ
8月17日(金)天気不明
 朝6時前に一度目覚めたが、トイレに行ってまたすぐ寝る。午前中芝刈り機の音がしていた。かなり長時間のようだったが、夢の中で聞いていたような感じである。午後2時ごろだろうか、大きな雷で目覚めたが、構わず寝る。5時ごろ、地震があったようである。震度2から3ぐらいだろうか。これぐらいでは驚かない。まだまだ寝る。午後6時ごろやっと目が覚めた。合計18時間ぐらい寝ただろうか。6時半に寝床から出る。外はもうくらい。結局、この日はお天道様を拝んでいないので、昼間の天気がわからずじまいである。義妹の旦那に聞いたら、いい天気だったとのこと。義妹の子供(といっても、姉は24歳、弟は17歳)が2人リビングにいたので、あいさつする。
 服装は短パンにポロシャツ、サンダル履きである。パジャマは上は半そで、下は長ズボンでちょうどいい。エアコンや扇風機は要らない。
 台所に大きな壁掛けテレビがある。昔は地上波だけだったものだが、最近はBSなどいろんなチャンネルがある。しかし、やはり地上波がコスタリカのローカル色にあふれているので、見るなら地上波である。たまたま、地上波の番組をやっていた。まず目を引いたのはペットフードのCMである。以前はこんなCMは見なかったと思う。
 お笑い番組で大統領の物まねをやっていた。1980年ごろの大統領たちは年配の男性だったが、今の大統領は若い男性である。先代の大統領は初の女性大統領だった。

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスタリカ 2018年(4)序章 コスタリカ到着

2018-09-13 17:25:40 | コスタリカ
 何とか8時間を過ごし、コスタリカ行きの便に乗り込んだ。中央に通路を挟んで、左右3席ずつのいつものタイプである。狭い。毎回、満席のような印象である。
 サンホセまで2時間45分なので、すぐに着いてしまった。到着時刻は午後11時ごろである。コスタリカはサマータイムを実施していないので、メキシコより1時間遅くなっている。
入国手続きに向かう。3年前も係官と雑談したが、今回もそうなってしまった。“¿Habla español?”(スペイン語を話しますか)と聞かれたので、つい、“Sí, señor”だけでなく、40年近く前、コスタリカ大学で日本語を教えていたと言うと、係官もコスタリカ大学で勉強していたのだと言う。ただし、卒業したかどうかはわからない。勉強はだれでも(今では試験があるらしいが)できるが、卒業はちゃんと勉強しなければできない。
 日本の地方空港より少し大きい程度の空港で、さらに深夜でもあったので、後ろに他の人が並んでいなかったように思うが、あまり長話ししても悪いので、適当に切り上げた。
 次は荷物引取りである。日本からのスルーチェックでもあり、ウォッシュレットは fragile(壊れ物:西 frágil「フラヒル」)扱いになっていたこともあり、一番最後に出てきた。無事、引き取り、税関(aduana)に向かうが、出口のすぐ前に免税品コーナーがあった。昔はなかったような気がするが、商魂たくましいことである。
 ここも無事に通過して、いよいよ出口に向かう。
 出口には空港近くの町アラフエラ(Alajuela)に住んでいる義妹夫婦が車で迎えに来てくれていた。今では車は一般大衆にも手が届くようになっている。安っぽい車も多いが、義妹の旦那の車は立派な車である。荷物も問題なく収まった。
 アラフエラの家までは、深夜ということもあり、ものの10分で着いた。ラッシュアワーだったら、30分ぐらいかかりそうなところである。
 義妹夫婦の自宅は表通りからゲートを通って敷地に入る。この敷地には旦那の親族が住む家が数件ある。旦那の家は一番奥にある。ゲートは3年前は手動であったが、今では電動になっていた。リモコンで開閉するのである。
 気温は摂氏24度。ここは標高1000メートル近いので、涼しい。日本よりよほど涼しい。雨が降った後のようである。
 前回の訪問は12月の乾季だったが、今は雨季である。
 メキシコからサンホセまでの飛行機では飲食物は何も出なかったので、少々空腹である。arroz con pollo(アロス・コン・ポージョ、コスタリカ風チキンライス)をいただいてから、眠りについた。午前2時前である。

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスタリカ 2018年(3)序章 メキシコ・シティ国際空港にて

2018-09-12 17:20:08 | コスタリカ
8月16日(木)
 日本とメキシコとは時差が14時間あるので、まだ8月16日である。本来は15時間のはずなのだが、サマータイムなのだろう。到着時刻は現地時間の正午ごろである。
 メキシコ・シティーの国際空港はベニート・フアレス国際空港(Aeropuerto Internacional Licenciado Benito Juárez)と呼ばれている。メキシコに住んでいたのはもう25年以上も前なのに、ベニート・フアレスの名前はちゃんと覚えている。
 
 【ウィキペディア「ベニート・フアレス」より】
 ベニート・フアレスについてはリンクをご覧いただきたい。メキシコで最初の先住民出身の大統領である。ただし、彼以外の先住民出身の大統領は思い浮かばない。みんな白人のような印象である。
 さて、メキシコ・シティーでは乗り継ぎなのだが、入国手続きをしなければならない。外国人の窓口は長い行列である。別に急ぐわけでもないが、フライトで疲れているので、少々つらい。
 特に問題もなく、入国する。荷物はコスタリカ、サンホセまでのスルーチェックにしているのだが、スルーチェックでもたまにメキシコの空港で降ろされることがあるので確認するよう、日本のアエロメヒコの荷物預かりカウンターで言われていた。ということで、荷物引取り所のインフォメーションで聞いてみたが、サンホセまで行くとのこと。やれやれである。
 乗り継ぎ便のサンホセ行き(午後8時40分発)まで8時間ある。一度空港の外に出ると、また手荷物検査とボディーチェックがある上、3時間前にまた戻ってこなければならない。面倒なので、そのまま空港にとどまった。出発ゲートがたくさんあるが、人があまりいないところに行って、横になる。あまり寝ていないので、眠い。女房殿もいっしょに寝てしまうと、盗難の心配があるので、一人ずつ交代で仮眠を取る。
 しかし、空港のアナウンスがうるさい。訓練をつんだベテランはゆっくり、わかりやすく話してくれるのだが、まるで友達同士の会話のように早口、大声でアナウンスする女性のキンキン声には閉口した。
 横になってばかりもいられないので、トイレに行ったり、歩き回ったりするが、WiFi カウンターのようなところは Huawei(「華為」、コスタリカでは「ワーウェイ」と発音されていたが、メキシコでも同様だろう) の看板だらけである。コスタリカのスマホも Huawei ばかりだったが。
 コンビニらしき店もあった。入り口にカタカナで何やら書かれているが、意味をなさない。話に聞いた中国のコンビニ(?)のようである。
  

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスタリカ 2018年(2)序章 成田空港出発

2018-09-11 17:06:25 | コスタリカ
8月16日(木)
 ホテルからバスに乗り、成田空港へ。チェックイン手続きは機械で行うようになっている。パスポートの写真のページをスキャンする。カウンターでは荷物を預けるだけ。さっさと出国ゲートを通り、手荷物検査及びボディーチェックを済ませ、出国手続きをする。
 時間があるので、さらに追加のお土産を物色する。日本酒3本セット(ただし1本あたり200ccもなさそう)と梅酒3本セット(同様)を購入する。
 時間が来たので、アエロメヒコのゲートに行って並ぶ。今回はメキシコ・シティー経由である。アメリカ経由だと、ESTA というものを15ドルで購入しなければならないが、メキシコ経由では不要である。また、アメリカでの乗り継ぎは検査が厳しく、カウンターで預けた荷物(錠前付)が勝手に開けられる。そういうこともあって、メキシコ経由を選んだのである。
 成田空港はどのゲートもたぶん同じなのだろうが、案内表示は日本語、英語、中国語、韓国語である。メキシコ行きの乗客は日本人、メキシコ人が主体のようで、中国語や韓国語を話しそうな乗客は見かけなかった。このゲートの案内表示は中国語や韓国語ではなく、スペイン語が適当なのだが、うまい工夫ができないのだろうか。
 ゲートにいる係員の中に日本語を話す女性スタッフがいたが、日本人ではなく、日系メキシコ人のようであった。この女性は機内でも見かけたので、キャビンアテンダント(英 flight attendant)がゲートでの案内業務もしているのだろう。昔は、スチュワーデスの仕事は機内サービスだけだったような気もするが。
 脱線するが、昔はスチュワーデス(stewardess)といっていたもので、スペイン語では aeromoza(ラテンアメリカ)、azafata 等と習ったものだが、今では使わないらしい。aeromoza とは aero(英 air)+ moza(英 girl)で、この語は個人的に気に入っているのだが。
 「キャビン・アテンダント」はどう言うのかと思って、google 翻訳で調べてみたら、flight attendant はスペイン語では“auxiliar de vuelo”(アウシリアル・デ・ブエロ)と訳された。念のために小学館『西和中辞典』で調べてみたが、これでいいようだ。直訳は「飛行補助員」ということになるが、ちゃんと「(飛行機の)客室係」という訳語が載っていた。しかし、味気ない言葉である。
 時間が来て、飛行機に乗り込む。3年前に乗った全日空機は左右に3席ずつ、中央に4席、つまり1列に10席だったのだが、アエロメヒコ機は中央が3席で少し小ぶりになる。
 着席すると、客室乗務員が回ってくる。日本人は1人もいない。日本語を話すのは先ほどの日系メキシコ人らしき女性のみである。ほとんどは女性だが、男性も2、3人いた。
 座席はあまりリクライニングできない。ディスプレイモニターはあるが、マージャン等のゲームはできない。映画もあるが、日本映画はなし。アメリカ映画が中心であるが、言語は選べる。日本語も入っている。メキシコまで13時間かかるので、映画も2本見た。『エイリアン: コヴェナント』(Alien: Covenant)と『ブレードランナー 2049』(Blade Runner 2049)である。最近のSF映画は暗いのが多い。
 機内食は2度出た。昼食はチキンにゆずだれをかけたもの、朝食はサバが出た。どちらも和食風であった。特に美味ではないが、まずくもなかった。近くの日本人の乗客は英語もスペイン語もだめなようで、男性キャビンアテンダントに女房殿が通訳を頼まれた。そんなに難しいことを言うわけではないのだが、当の日本人の乗客は coffee が聞き取れなかったようだ。キャビンアテンダントは coffee は日本語で何と言うのか、教えてくれと頼まれたので、教えたあげた。キャビンアテンダントも何回か繰り返して、覚えたようである。日本発着便に乗るのなら、「紅茶」(西 té) と「コーヒー」(西 café) ぐらいはちゃんと覚えてほしいものである。
 そうこうしているうちにメキシコ・シティーに着いた。 

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスタリカ 2018年(1)序章 成田へ

2018-09-10 17:15:41 | コスタリカ
 女房殿の里帰りに同行して、コスタリカへ行くことになった。2年8か月ぶりである。 
 2018年8月15日(水)翌日の飛行機に乗るため、東京へ向かう。39年前、1979年の8月15日(この日はコスタリカでは母の日の祝日である)、青年海外協力隊の一員として、ロサンゼルス経由でコスタリカへ向けて成田空港を出発したのである。
 今までは大体、東京駅からJRの成田エクスプレスか快速のグリーン車で空港まで直行していたものだが、今回は、上野駅で降りて、昼食を済ませ、アメ横でお土産を買って、それから京成電鉄に乗って京成成田駅で降りて、すぐそばのアパホテルに滞在することにした。
 女房殿の家族へのお土産は買っておいたのだが、筆者関係者へのお土産は上野アメ横で買うことにしたのである。日本の味がよかろうということで、おつまみのようなものを安く買い込んだ。
 JR東京駅や上野駅の駅名表示は日本語・英語はもちろん中国語(簡体字)とハングルもある。京成電鉄も全く同様であった。サービスのつもりではあろうが、日本語表記と中国語表記が全く同じ場合はもちろん、少々の表記の違いをいちいち書かれると、うるさく感じる。韓国人もローマ字ぐらいは読めるのではないかと思うので、従来どおりの日本語(漢字表記とひらがな表記)とローマ字で十分ではないかと思う。
 ロシア人をはじめ、キリール文字を使用する国からの観光客が多くなったら、キリール文字でも表記するのか、アラビア人が多くなったらアラビア文字を追加、タイ人が増加したらタイ文字、ミャンマー人が増えたらミャンマー文字などと、どんどん追加されていったら、どうなることやら。
 観光客の国・地域別で言えば、台湾・香港もかなり多いはずである。それならば、簡体字ではなく正字(「繁体字」という用語は蔑称のようなので、使わない)でも表記すべきなのではないか。簡体字のみの使用は観光客の数という観点からだけではなく、政治的な意図も感じてしまう。

 さて、ホテルのチェックインは6時半ごろということにしておいたので、時間に余裕がある。せっかく上野に出たのだから、まずは上野の公園に向かう。しかし、暑い。国立西洋美術館にでも行こうと思って行ってみたのだが、お盆休みのせいで、人が多く、チケット売り場で暑い中ならばなければならないので、止めた。成田でゆっくり休むことして、上野駅から京成電鉄に乗った。京成電鉄は初めてである。京成成田駅で降りるので、特急料金が必要のない特急電車に乗った。
 3時過ぎにホテルに着いてしまった。ホテルで事前に送ってあった大きくて重いスーツケース2個を受け取る。ウォッシュレットも送ってあったが、こちらは翌日の出発のときに受け取る。ウォッシュレットは91歳の義母へのプレゼントである。
 夕食は近くの居酒屋へ出かけた。当然ながら和食中心のメニューである。海外へ出かける前のいつものパターンである。
 夕食後、コンビニで翌日の朝食用におにぎりや野菜ジュースなどを買い、さらに追加のお土産として酒のつまみのようなものも買う。
 そして、部屋に戻り、さしたる興奮も覚えず、さっさと寝てしまったのである。 

ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓
スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中米とは

2017-08-16 18:04:42 | コスタリカ
 メキシコが中米かどうかは見解が分かれるところだが、正真正銘の中米コスタリカからメキシコを見ると、メキシコは中米には入らない。
 コスタリカにとって、中米とは、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、そしてコスタリカの5カ国である。
 地理区分では、ベリーズもパナマも中米ではあるが、歴史的経緯からこの2カ国は中米から除かれる。
 1823年から1839年まで中央アメリカ連邦共和国という国があった。独立当初の首都はグアテマラ市で、1834年にサンサルバドルに遷都。その後、崩壊。
 詳しくはウィキペディア「中央アメリカ連邦共和国」を参照されたい。
 パナマは1902年にコロンビアから独立している。ベリーズはかつては英領ホンジュラスと呼ばれていたが、1981年に独立。
 以上のような経緯から、コスタリカでは中米というと、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、そしてコスタリカの5カ国を指すのである。
 これらの5カ国が cinco hermanos (5人の兄弟)で、パナマは隣人(un vecino、英 vicinity は関連語)扱いである(“cinco hermanos y un vecino”)。
ベリーズは新しい国なので、隣人にさえ入っていなかったが、今はどうであろうか。“cinco hermanos y dos vecinos”と言われるようになっているのであろうか。

  以前にもこのことについて述べている。「中南米とは?(2)ラテンアメリカと同じ?」と「中米の幻の近代国家」も参照願いたい。
 以下は中米連邦共和国構成員の国旗である。

  【旧中米連邦共和国】  【グアテマラ】
  【ホンジュラス】  【エルサルバドル】
  【ニカラグア】  【コスタリカ】
 コスタリカの国旗は現在のものであるが、何度も変更されている。興味のある方はウィキペディア「コスタリカの国旗」をご覧いただきたい。

 以下は構成員以外の近隣諸国の国旗
  【パナマ】  【ベリーズ】
 
  【メキシコ】
 
 中米連邦共和国を構成していた5カ国の国旗の共通点は左右または上下に青い部分があることである。青は太平洋とカリブ海を表していると聞いたような気がする。コスタリカの国旗の「青は空と自由を、白は平和を、赤は自由のために流された血、誠心、情熱を表している」という説明もある(世界地図・世界の国旗)が、後から取ってつけたもののようにも思える。
 それはともかく、中米連邦共和国の構成員ではなかった国、パナマ、ベリーズ及びメキシコの国旗のデザインは他の5カ国と違うのも興味深い点である。
 こうしてみると、やっぱりメキシコは中米の仲間には入れられない。
 

 ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中米の秘境?コスタリカ

2017-08-14 18:02:40 | コスタリカ
 『世界ナゼそこに?日本人』や『世界の村で発見!こんなところに日本人』などの番組で、ときどきコスタリカが取り上げられる。
 前者では国名や地名の前に必ずといっていいぐらい、枕詞のようにくっつく言葉がある。
 「花の都パリ」、「音楽の都ウィーン」、「微笑みの国タイ」などである。パリ、ウィーン、タイだけでもいいのだが、短い言葉なので、聞き取りにくい場合もあるだろう。このような場合、枕詞があるとわかりやすいので、その効能は否定しない。
 かつては「霧の都ロンドン」というのもあったが、実は、霧の正体はスモッグで大気汚染が改善されると、霧が出なくなったので、いつの間にか「霧の都ロンドン」とは言われなくなった。
 あまり有名ではない国の場合、世界地理に疎い視聴者には地理区分を教えてあげたほうが親切という気持もあるのだろう。
 「中米の秘境コスタリカ」、「中米メキシコ」などがそれに当たる。
 『兼高かおる世界の旅』の時代ならともかく、今どきコスタリカに「中米の秘境」という枕詞はふさわしくない。コスタリカには一般のコスタリカ国民もなかなか行けない島、Isla del Coco(ココ島、画像参照)やコスタリカの最高峰 (チリポ山、画像参照)などは秘境といってもいいが、日本人が住んでいるような所は、たとえ田舎であっても、秘境というほどではないだろう。

 
【Isla del Coco】
  
【Cerro Chirripó】
 コスタリカは確かに中米である。あのゴルゴ13が「南米コスタリカ」と間違えたことがあるにはあるが(「中南米とは?(1)-ゴルゴ13コスタリカにて狙撃の仕事をする」参照)。
 コスタリカ(Costa Rica)はアメリカの属領のプエルト・リコ(Puerto Rico)と間違えられ、カリブ海の島と思われることもあるようだ。
 コスタリカの地理区分はあまり問題にならないが、メキシコが大問題なのである。
 詳しくは次回。
 

 ポチッとクリック、お願いします。
↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年のコスタリカのカレンダー 13 Yo Soy Costarricense

2017-01-18 11:01:47 | コスタリカ

 今回の歌は“Yo Soy Costarricense”(I am Costa Rican)である。You Tube で聞こうと思ってみたが、何かのエラーで聞けない。たった一つのバージョンしかないので、あまり有名な歌ではなさそうである。
 女房殿に聞いてみたが、知らないとのこと。
 歌詞には特定の地名が現れないが、写真が撮影された場所はアラフエラ州の Zarcero(サルセロ)の教会前の公園である。Zarcero の町については「コスタリカ再訪(162)Zarcero(サルセロ)にて休憩」をご覧いただきたい。
 ところで、このカレンダーの写真は13枚あった。普通に考えれば、前年の12月の分があるということだろう。コスタリカでも1年に12か月、365日のカレンダー(グレゴリウス暦。グレゴリオ暦ともいう)を使用している。
 ところが、エチオピアでは1年365日であるが、1か月は30日である。そうすると、5日足りない。最後の5日分が13月になるというわけである。詳しくはウィキペディア「エチオピア暦」をご覧いただきたい。

 13月といえば、Julie London がアルバム“Calendar Girl”で“The Thirteenth Month”という歌を歌っていたが、エチオピア暦の13月とは関係なさそうである。

 
ポチッとクリック、お願いします。

↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年のコスタリカのカレンダー 12 Tico de corazón

2017-01-13 08:47:42 | コスタリカ

 今回の歌は“Tico de corazón”。英語に逐語訳すると“Costa Rican of(from)heart”。「心からコスタリカ人」ということだが、「根っからのコスタリカ人」とでも言おうか。
 スペイン語では「コスタリカ人」という言葉は手元の辞書には costarriqueño と costarricense の2つの形が載っている。ただし、コスタリカでは後者が用いられ、前者は聞いたことがない。一方、スペイン人が前者を使うのを聞いたことがある。
 いずれにせよ、これらは正式な言葉である。tico ということばも手元の辞書には載っているが、「コスタリカ人」としか書かれていない。意味は同じであっても、言葉に込める気持ちが違う。コスタリカ人が「私は tico」というときには、コスタリカ人であることの誇りや愛着が込められているのである。
 なぜ、Costa Rica という言葉とは全然形が違う tico ということばが使われるのかについては、「tico」をご覧いただきたい。「Tiquicia」の項も併せてご覧いただけるとありがたい。
 カレンダーの写真はカルタゴ市の北部の Volcán Irazú(イラス火山)の中腹の田園風景のようである。標高が高く、涼しいのでジャガイモ栽培に適している。写真の畑ではジャガイモを収穫しているようにも見える。
 コスタリカ人はコスタリカを「中米のスイス」(Suiza centroamericana)と言っているが、この写真はいかにも「中米のスイス」のイメージである。
 歌の中には Cartago という地名が出てくるので、特にカルタゴあたりで歌われている歌だろうか。女房殿はこの歌は知らないとのことである。
 “Suiza Centroamericana”という歌もあるが、こちらは有名曲なので、女房殿は当然知っている。
 

ポチッとクリック、お願いします。

↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年のコスタリカのカレンダー 11 Recordando Mi Puerto

2017-01-11 19:14:17 | コスタリカ

今回の歌は“Recordando Mi Puerto”(わが港を想って)というタイトルである。この歌はグアピレスにある義父のパン屋を訪問した Gilberto Hernández のバージョンもある。
 この歌は義母がよく歌っていたそうである。
 さて、港は太平洋側にもカリブ海側にもあり、カリブ海側のリモン(Limón)港の写真が使われている歌(Callaloo)はすでに紹介した。
 今回の歌の歌詞に Puntarenas という地名が出てくるので、この港はプンタレーナスということがわかる。
 カリブ海側は黒人が多く、彼らはスペイン語ではなく、ジャマイカ英語(またはジャマイカ・クレオール)が使われるが、プンタレーナスはそんなことはない。
 
 リモンの近くの海にはビーチもあるが、岩場もある。岩場には langosta(イセエビのようなもの)が生息していて、素手で取ることもできる。
 一方、プンタレーナスを含む太平洋側はきれいなビーチが多く、乾季になると、中央高原から休みを過ごしにいく人が多い。
 この歌の歌詞に lindo verano (美しい夏)という言葉が出てくるが、日本人がイメージする「夏」とは違う。日本には四季があり、夏が過ぎて秋になり、冬、春を経て、また夏になるというサイクルであるが、コスタリカは乾季冬季の二季しかない。どちらにしても気温が高く、雨が降るか、降らないかの違いしかない。
 コスタリカでは雨季(estación lluvios、エスタシオン・ジュビオサ)を「冬」(invierno)と呼び、乾季(estación seca)を「夏」と呼ぶのである。「夏」は12月中旬に始まり、3月まで続く。
 コスタリカの学校は11月に終わり、2月に始まる。学生たちにとっては、この時期は夢のような季節である。雨も降らず、遊ぶには最高の季節である。3月になるとさすがに暑くなってくるが、実際の気温は「冬」と呼ばれる雨季の方が高いのである。
 写真の男女の服装であるが、今ではこんなに長いスカートをはく女性はいない。長髪を編んでいる女性も見たことがない。男の方も普段着はTシャツが普通である。シャツやポロシャツはフォーマルまたは、おしゃれな部類に入るといってもいい。というわけで、これもまたイベント及び観光宣伝用の服装なのである。   
  

ポチッとクリック、お願いします。

↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年のコスタリカのカレンダー 10 ¡Qué Linda Es Alajuela!

2017-01-10 15:04:46 | コスタリカ

今回の歌は“Qué Linda Es Alajuela”(ケ・リンダ・エス・アラフエラ)である。英訳すると、“How beautiful Alajuela is!”である。カレンダーには“Que linda es Alajuela”と書かれているが、これは感嘆文なので、本当は“¡Qué linda es Alajuela!”と書かなければならない。
ここで、que と qué の使い方を簡単に記しておく。
 qué は英語の what に相当し、疑問文や感嘆文に使われる。
 que はそれ以外で、英語の関係代名詞の that と名詞節を導く that(例 I think that~)や than などに相当する。 
 さて、歌の出だしは“Hay, que linda es Alajuela”となっているが、hay は「ある、いる」の意味の動詞である。これはおかしい。後に続く文が「アラフエラは何と美しいことか」となっているから、hay は ¡ay! (感嘆詞、「ああ」。辞書の見出しも感嘆符付き)の間違いではないか。
 “hay que + 動詞の原形”(~しなければならない)というフレーズがよく使われるが、そのせいで、ついうっかり、“Hay, que linda”とやってしまったのかもしれない。
 そういえば、このカレンダーに出てくる文のつづりは怪しい。「2015年のコスタリカのカレンダー 3 Callalloo」で触れたが、Callalloo という歌は見つからなかった。Callaloo の間違いのようである。詳しく見ていないので何とも言えないが、この調子では、まだまだ間違いがありそうである。
 さて、アラフエラは女房殿がかつて暮らしていた町である。筆者にも馴染み深い州である。
 写真の山は Volcán Arenal(アレナル火山)であろう。富士山と同じコニーデである。念のために調べてみたら、今では「コニーデ」という語は旧分類の用語で、今では「成層火山」というそうだ。詳しくはウィキペディア「火山」をご覧いただきたい。
 アレナル火山については「コスタリカ再訪(146)Paradise Hot Springs」でも触れているので、ご覧いただきたい。
 アラフエラ州はニカラグア国境のほうまで広がっていて、のどかな風景がいかにも古きよきコスタリカを思わせる。
 歌に戻るが、この歌は You Tube を検索してみても出てこない。女房殿も知らないといっている。新しい歌なのだろうか。
 Alajuela に限らず、コスタリカ全土を賛美する歌に“Tan Linda Mi Costa Rica”(So beautiful my Costa Rica)というのがあり、こちらはかなりの有名曲のようである。


ポチッとクリック、お願いします。

↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年のコスタリカのカレンダー 9 Noche Inolvidable(忘れえぬ夜)

2017-01-08 17:37:08 | コスタリカ

 今回は“Noche Olvidable”(忘れえぬ夜)である。
 タイトルには地名が出てこないので、場所が特定できない。歌詞を見てもやはりどこかわからない。
 手がかりは鉄道の駅しかない。かつてはサンホセ・リモン間に大西洋路線があり、シキーレス(Siquirres)からはグアピレス(Guápiles)方面への支線があった。線路はグアピレスの街中は撤去されたが、今でも残っているところがある。
 
 一方、プンタレーナス(Puntarenas)の手前のカルデラ(Caldera)という町とサンホセの間には太平洋路線がある。かつてはプンタレーナスまでつながっていて、プンタレーナスの町には線路が今でも残っている。
 太平洋路線はエレディア(Heredia)やアラフエラ(Alajuela)などの大きな町は通らない。
 大西洋路線はカルタゴ(Cartago)、トゥリアルバ(Turrialba)、シキーレスなどの主要な町を通っていて、市街地に駅がある。
 写真の駅はそこそこの規模の町のようである。カルタゴは盆地にあり、周りが山なので、写真の風景から判断すると、カルタゴではなさそうである。
 トゥリアルバもまだ中央高原に位置するが、ここから先はだいぶ下り坂になる。写真の奥の方が下り坂になるとすると、この場所はトゥリアルバの可能性もある。筆者も一度列車でリモンに行くときに、トゥリアルバの駅に停まったが、周囲はこんな感じであったような気がする。

 【1980年ごろ、トゥリアルバ駅にて】
 シキーレスまで行ってしまうと、標高もだいぶ下がり、暑くなる。とても写真のような服は着ていられない。
 ということで、筆者はここはトゥリアルバではないかと推測する。女房殿も同じ感想であった。
歌に戻る。
 You Tube で聞かれる歌は Gilberto Hernández(ヒルベルト・エルナンデス)によるものである。女房殿も知っているので、有名な歌のようである。義母もよく口ずさんでいたとのこと。

 実は、このお方はグアピレスにある義弟のパン屋を訪れたことがあると、女房殿が教えてくれた。当然、大昔のことで、当時パン屋は義父がやっていて、義弟はまだ幼い子供だった。
 詳細を調べようと思って、Gilberto Hernández という名前で検索してもなかなかヒットしない。メキシコのサッカー選手の方が有名のようである。女房殿が Bolerista Gilberto Hernández で調べてみるとヒットした。1921年生まれで、2002年に81歳で死去している。リンクはスペイン語であるが、興味のある方はご覧いただきたい。
 

 ポチッとクリック、お願いします。

↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年のコスタリカのカレンダー 8 Noche Clara

2017-01-07 18:23:37 | コスタリカ

 今回の歌は“Noche Clara”である。「明るい夜」という意味で、満月の夜を連想する。   
 タイトルだけではどの地方かわからないが、歌詞を見ると Heredia (エレディア)の歌だということがわかる。このシリーズ、2回目の Heredia である。
 
写真が撮影された場所は Heredia 市の中心にある Fortín de Heredia(小さな砦)である。リンクはスペイン語であるが写真や図もついているので、ご覧いただきたい。
 
 歌のタイトルとは違って、写真は昼間に撮影されている。月夜の景色は You Tube の方をご覧いただきたい。
 この歌も女房殿はご存知なかった。この歌が作曲されたのもそう古くないのかもしれない。
 Cartago 同様、Heredia も女房殿にとっては、比較的縁が薄い土地である。Fortín de Heredia は名所なので、女房殿は訪れたことがあるが、筆者はまだ縁がない。
 ところで、“Mi Cartago”の写真と比べると、Heredia の方が華やかで明るい感じがする。写真だけではなく、筆者の印象も同様である。


ポチッとクリック、お願いします。

↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年のコスタリカのカレンダー 7 Mi Cartago (わがカルタゴ)

2017-01-06 20:13:16 | コスタリカ

 今回は Cartago である。
歌は“Mi Cartago”(My Cartago)である。You Tube の映像には Cartago 市内だけではなく、Cartago 州の観光名所が次々に出てくる。
 カレンダーの写真の撮影場所は The ruins of the Santiago Apóstol church (画像多数あり)のようである。ここは有名な観光スポットにもかかわらず、なぜかこれまで行きそびれている。
 詳細についてはウィキペディア“Santiago Apóstol Parish Ruins”(英語版)をご覧いただきたい。
 1980年ごろはCartago は保守的な土地柄であるとの定評があった。今ではどうであろうか。
 Cartago 市はかつてのコスタリカの首都で、日本で言えば、京都に相当する。標高もサンホセ市より高く、乾季の朝夕は肌寒く感じることがある。半そでシャツ1枚では風邪をひきそうである。上着を着ても暑くはない。
 写真のモデルの服装も他の地方の写真とは雰囲気が違う。特に男性の衣服はあまり暑くないところのものである。また色が黒いところも保守性を感じさせる。帽子も田舎風ではなく都会風である。
 Cartago というと、北アフリカに存在し、ハンニバルを擁しローマと死闘を繰り広げたことで有名である。それがなぜコスタリカにもあるのか。謎解きについては「コスタリカの州-カルタゴ」をご覧いただきたい。
 ところで、“Mi Cartago”という歌は女房殿はご存知なかった。割りと新しい歌なのかもしれない。
 また、女房殿が出没していたのは実家のあるグアピレスと、コスタリカ大学に通っていたころ住んでいたアラフエラと、大学のあるサンホセが中心である。カルタゴ州のTurrialba には義兄が住んでいるので、ときどき訪問していた。Cartago 市内にはかつて肉屋を営んでいたいとこがいた。一度訪問したことがあるが、女房殿もそうたびたび訪問していたわけではない。
 
 ということで、女房殿にとってはカルタゴ(特にカルタゴ市)は比較的、縁の薄い場所なのである。


ポチッとクリック、お願いします。

↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年のコスタリカのカレンダー 6 Luna Liberiana

2017-01-05 18:51:15 | コスタリカ

 今回は太平洋側のグアナカステ(Guanacaste)州の州都リベリア(Liberia)の月を歌った“Luna Liberiana”である。
 
 You Tube の映像には古い写真が紹介されているが、すべてがリベリアの写真というわけではなく、コスタリカ全土からの昔の写真である。
 カレンダーの方の写真はお約束のイベント及び観光用の衣装である。リベリアは低地にあるので、暑い。いくら薄手のものであっても、とても長袖の上着など着られたものではない。今では男女を問わず、上は半そでのTシャツ1枚が普通である。
 また、リベリアの街中に写真のような建物があったかどうか、不明であるが、グアナカステ地方にはこのような建物はたくさんありそうである。
 さて、歌の方はウィキペディアの“Luna Liberiana”(スペイン語)によると、1936年に発表され、以来、コスタリカの代表的な歌の一つになっているそうである。当然、女房殿も知っている。
  
 
ポチッとクリック、お願いします。

↓↓↓

スペイン語 ブログランキングへ

スペイン語とともに考える英語のラテン語彙の世界 (開拓社言語・文化選書)
好評発売中!!こちらは、このブログとは別物です。もちろん、トリビア満載です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする