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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ここ数日、スマホのや行が出ず、案外不便でブログを書かなかった。私のブログをご覧の方々は、私が何処で何を食べようと興味は無いだろう。ではバカバカしくも、大事な事で葛藤した話を書くことにする。それでこそ当ブログである。 三島由紀夫が初めて悪癖?に手を染めるきっかけとなった聖セバスチャンの殉教図は、後に三島が再演したように、頭上で手をクロスし縛られている。つまり脇の下が露わになっている。しかし私が日本版セバスチャンとして考えたのは、椿説弓張り月の後ろ手に縛られている裏切り者武藤太である。こちらは弓ではなく、竹釘を打ち込まれている。というのはそんなポーズの三島がすでに手元にあるし、ああ、セバスチャンね、と簡単に言われてしまうのも何だし。 ところが三島は、脇の下が露わになっているからこそ、と言う気もするのである。三島をご存じない方も多いだろうが、そう言う人なのである。逞しい同級生の腋毛に欲情してしまう。仮面の告白を是非読んでいただきたい。 三島にウケる事を常に考えている私としたらどうすれば良いか。つまり後ろ手に縛られ脇が隠れているのと、バンザイ状態で露わになっているのをどちらにしたら良いかで真剣に悩んだ、いや悩んでいる、と言う本日のブログである。私が何食べて美味しかった、なんて誰も知りたくないだろう。

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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界



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『三島由紀夫へのオマージュ男の死』は、会場探しに難航した。妙な人等が押しかけてこられても困る、と言う事であったが、私には、三島本人が魚屋に紛し、腹に出刃包丁刺して死んでいる、なんてやっていた。と言う事実が後ろ盾になっていた。しかも糞尿配達人の青年に、〝なりたい〟と本人が書いている。喜ばれこそすれ、叱られるいわれはない。薔薇十字社版男の死は事件直後に出版されなかった三島の無念を考え続けてきた。〝タイミングの天才〟篠山紀信が出さないのだから、奥さんと以後出さない契約をしたに違いなく、出版されることはないだろう。もっとも今出たところで、世界的作家が、いかに変わり者だったかを喧伝するだけであろう。 一方石塚版は、何しろ作りものであるし、まさにオマージュに過ぎない。勿論趣旨は違えど、本家が公開されていたなら、やらなかった。 私が夢想するのはこうだ。あの時三島が死なずにいてくれて、老人となった三島を訪ね、私の『椿説男の死』を見せる。「君は余程暇なんだね、時間もかかったろう。バカな事をしたもんだガハハハ。」ご高齢ゆえ、早々においとまする。と見せかけて、庭の木に登って室内を覗いてみると、さっきは片付けていたが、広げて眺めているではないか。「先生素敵、僕先生のその顔が見たかったんだ。

 

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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界




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これも猛暑ゆえの悪夢だろう。私の向かいに座るはアドルフ・ヒトラー。「あんたに、うちのマックス・シュメリングを作ってもらい、陰影のない、日本式ピクトリアリズム写真で、掛け軸を制作してもらいたい。」言ってる意味が解らない。私は今まで黒人しか作った事がないので、ジョー・ルイスならなんとかなるかもしれないが、と言ってしまった後で後悔する。明らかにヒトラーの顔色が変わった。ヒトラーが指を鳴らすと、鞄を抱えたゲッペルス。鞄を開けるとうなる札束。今度顔色が変わるのは私の方であった。「ま、お国の英雄シュメリング選手を作るのはこれで決定させていただいたとして。所で、その陰影のない日本式ピクトリアリズム写真というのはなんですか?」「あんたが数年前から始めたという手法じゃないか。日本からUボートで手漉き和紙もすでに運んである。「お言葉ですが、ライカを作ったお国の総統が写真に関しては何も判っておられないようですね。写真というのは光による藝術であり、肝腎の陰影をなくして、そんな馬鹿な話しがありますか。」再び指が鳴り、運ばれて来た金メッキされたワルサーP38、火を噴く。「寝ぼけた事ぬかしてんじゃねェ…。」絶命する私。

 

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

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創業350年の金魚問屋を紹介されたことにより、その気になって、『蜜のあわれ』を手掛けたが。おかげで、今後二ヶ月近く制作に手を染めてはならない、という悪魔との契約を交わす羽目になった。よって、これは何も作ろうと言う話しではなく、ちょっとした覚え書きである。 三島由紀夫が会員制同性愛誌に書いた『愛の処刑』というわざと下手くそに書き、念を入れて他人に書き写させた、と言う作品は、新潮社の全集にも入っている。何度か粗筋を書いたからくり返さないが、三島はこんなシチュエーションで死にたい、と願望を書いたかのようでもある。 三島の死の場面を描くなら、作中に死の場面があれば好都合なわけだが、美少年に見つめられながら腹を切る毛深い体操教師。「先生素敵、僕先生のそんな顔が見たかっんだ。確かそんなセリフがあった。  近所にモデルとして母、姉、妹とお世話になってきた一家がいる。そこの次男が、姉さんにイタヅラで化粧された写真を見た事があるが、一家で最も美しくなってしまった。『愛の処刑』を考えないでもなかったが、三島の趣味とは違う。しかしド素人にデジタルって何でも出来るんですね、と言われ金魚娘を捏造した私である。腹を切る三島、先生のそんな顔が見たかったんだ、としがみつく青年。ここは私の創作だが、飛び散る血しぶきが青年の口に入ってしまい、思わずすすってしまう。口のまわりを血だらけにしながら「先生の血は⭕⭕で⭕⭕⭕なんだね。」  柄にもなく、金魚や金魚娘など可愛らしいものを手掛け、傾いたバランスを立て直そうとしているのかもしれない。

 

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

 

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私ならば、寝床から這い出し、盆の上の果物ににじり寄る正岡子規が作れるだろう。子規が野球をしているところだって可能である。養老孟司が、人は思い付いた物を作るようにできている。と言っていた。実に恐ろしい仕組みである。私は思い付くと、そんな顔をするそうだが、周囲には、一度深呼吸して落ち着けと言われている.。犀星と金魚が思いどおりにでき、これを持って新たな作家の制作は終了とする。依頼される分にはまた別の話しだが。 今年、江東区に小津安二郎についで収蔵された松尾芭蕉像は、芭蕉記念館の催事により展示されると言う。今は小川芋銭の隣に並んでいると聞いた。おそらく直筆の句だろう。予算さえ出れば芭蕉の木のもと、芭蕉庵で物思いにふける松尾芭蕉も作れるが、何しろ江東区はただ今文化事業よりオリンピックである。

 

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

 

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三島が様々な人物(三島好みの文学など興味がなく躰は逞しいヤクザ、兵隊、魚屋等)になって、様々な様子で死んでいる所を篠山紀信に撮らせ、出版契約書まで交わしながら、死後奥さんの反対に合い未刊となった『男の死』だが、あの壮絶な死の直後、世間は三島が魚屋に扮し魚をぶちまけ、出刃包丁を腹に刺して死んでる姿を見る筈であった。その衝撃は計り知れず、ザマアミロと、想像しながら三島はさぞ愉快だったろう。未完となり三島の無念を私は一人思い続けてきた。直後に出るからこそ、であるのはいうまでもない。私はこれ以外に三島でやりたいことは何もない。 三島本人は、単純に自分の好みの人物になりきり演じたが、それは本人がやる分には良いが、私がやるのなら、三島作品、もしくは語られ、本人が言及した事に基づいて制作するべきであろう。それだから面白くもあり〝あなたがなりたい、と書いた糞尿運搬人〟にも私がならせてさしあげましたよ。三島の「君、ちょっとやり過ぎじゃないか?」という笑顔を想像する私である。やり過ぎはあなたの専売特許でしょ?さすがに、肥桶からこぼれるのは糞尿ではなく血液にしたけれども。室生犀星展搬出の本日、さっそく、いやに飛ばしている私である。暑さのせいか。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

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大江戸線に乗っていて、知り合いが来ている、と金魚坂から電話、そろそろ着く頃、と思ったら大門。反対側に乗っていた。着くとT千穂の女将さん、娘さんにお孫さん。金魚娘の浴衣は女将さんに着付けてもらい、赤いリボンも貰った物を着けた。帯は金魚の尻尾をイメージし、材質、長さの違う物を二つ絡ませて貰ったが上手くいった。そんな作業も随分前の事のようであるが、これで私には珍しい金魚とおじさまこと、室生犀星の可愛らしい物語は終わった。 今日は、リコーイメージングスクエア銀座の池永さんが息子さんと来てくれたが、ふげん社の個展は、三島由紀夫で、というのは、引き合わせてくれた池永さんも聞いていたので聞き間違いではないだろう。 子どもの頃、父親の書斎だかで聖セバスチャンの殉教図を見て初めて〝気をいかして〟しまった三島。苦しみながら死ぬ事を決めた瞬間であろう、と私は考える。挙げ句に下手くそな介錯のせいで、自ら舌を噛み切ろうとした。美しく死ぬのであれば介錯人の選択は明らかに間違いである。三島歌舞伎『椿説弓張り月』にどさくさに紛れて聖セバスチャンを紛れ込ませたのを見つけた私は、これによって〝陰影なければ何でもできる〟と言う事を三島が愛した血みどろ絵調に描く事により証明したいと考えている。私の〝悪癖〟である、もっともっとという部分も、三島なら全く問題なく受け止めてくれるであろう。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

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昨年に続き、猛暑の中の個展となった。金魚だから、と考えていたが、実際は、ようやく外で金魚釣りをした有様である。案外面白く、近所から来た連中は、景品のメダカを貰って喜んでいた。 次の個展は、来年1月か2月三島由紀夫とその他で、と言う事になりそうだが、三島が様々な状態で死んでいるという、三島にウケる事だけを考えているシリーズで、かつて街宣車その他が怖い、と言う理由で何カ所か断られた。何とぼけた事を言っている、と思ったが、結局女性がオーナーのオキュルスで実現した。そしてふげん社も女性社長である。オキュルスには鈴木邦男さんにお出で頂いた、生誕祭には無事出席されたようで、またお出で頂きたい。 考えてみると市川市を背景に永井荷風を撮る、世田谷を背景に、ちなんだ作家を撮る、または乱歩の朗読ライブなど、ユニークな企画をするのは女性ばかりである。大体今どき、どこの文化施設も女性ばかりで、そこにサンドイッチの薄切りのキュウリのように挟まっているのが、定年まで無事に過ごすことしか考えていない男性職員というイメージである。しかし今日来た付き合いも長いNさんは珍しくチャレンジする某所職員であるが、女性ばかりの職場も楽ではない、と。見えないところで、白鳥は水をかいている、などとずうずうしく、自分を白鳥に例える中年男である。そして私と飲むと、話す相手がいない、と、最後は必ずソウルミュージックの話になる。レイ・チャールズを江東区に呼んだ事を誇りにしている。 明日4日日曜日は最終日である。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷三丁目『金魚坂』にて。8月1日は犀星生誕130周年。

 

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夕方、アートコレクターズ誌。昨年陰影のない手法を載せて貰っている。 隔月で4年続き、私が表紙を担当した交通局発行の『中央公論Adagio』http://kimiaki.sakura.ne.jp/adagio.htmの本文担当の藤野さん来る。当時、編集長と、日本一のフリーペーパーにしよう、と話しあったという。町歩きマガジンとして、現在の都営地下鉄沿線を背景に、特集人物を配しなくてはならない。3号でチャップリンが海老天を何十本も食べた、と言う縁?だけで日本橋に、チャップリンを配さねばならなかった。その天ぷら屋が現存するならまだしも。そこで人形を持って行って現場で撮る〝大リーグボール1号〟では15万部の表紙は無理、と悟り、背景を先に撮り、それに合わせて人物を造形する〝大リーグボール2号〟を駆使することになる。私が最も恐れたのは、二本刺しの侍を現代の風景に立たせる事であった。『坂本龍馬と大手町を歩く』頓智でも働かさないと切り抜けられず。 さらに私の初出版の『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎絶版)と『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)の編集者鈴木さん来る。たまたま、私にとって共に戦った、数少ない同士が集い、帰りに3人で盛り上がることに。鈴木さんは、昔私が人形雑誌のインタビューで、デジタルなど興味がない的な発言したのを未だ覚えていて、今日も言われた。人は生きている限り、変化していくべきである。私の陰影のない作品を3年程前の私が見たら、お前写真から、肝腎の陰影、空気感捨ててしまって何をやってる!となるんじゃないか、と思うと、そんな私に向かってざまあみろ、といってやるのが私の生き甲斐である。 残り2日、明日は昼ごろ金魚坂に顔を出す予定である。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷三丁目『金魚坂』にて。8月1日は犀星生誕130周年。

 

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やはり連日の嫌な夢は猛暑のせいである。今朝の夢も〝実演〟絡みであった。私が先日、寄席の出演をすっぼかしてしまい、よりによって三遊亭円朝と志ん生の二人に散々絞られ、最後のチャンスだ、と私の十八番を明日、二人に披露しなければならない。そうだ稽古しないと。ところで私の十八番ってなんだ?例によって、存りもしない物にもだえ苦しめられるパターン。汗だくで目が覚める。あの二人、私が作った二人じゃねえか。作り物の分際で。目が覚めながら子供に裏切られた親の気分が少々残る。 区役所に行き用事を済ませ、昨日に引き続き8×10展を覗こうと思ったら飯沢耕太郎さんよりこれから金魚坂へ、とのメールをいただく。初めてと言うくらい長くお話し出来た。ド素人の私が孤独にピクトリアリズムに立ち向かっていた頃、現行で読めたのは飯沢さんの「芸術写真」とその時代、だけであった。私としては私の大リーグボール3号はピクトリアリズムの系譜の内だと考えている。この手法に、名前を付けて頂くとしたら飯沢さんしかいない。改めてお願いする。 初めて個展に来て頂いた時、某有名ミュージシャンが何故?と思ったライターの納富廉邦さん。相変わらずの見巧者ぶり。本日はお二人のおかげで、ようやく作品について語ることができた犀星生誕130年目であった。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷三丁目『金魚坂』にて。8月1日は犀星生誕130周年。

 

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