明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



数日ブログに間があくと死んでいるんじゃないかとメールが来る。現在ネットが不通である。それはそれで慣れてしまえばどうということはないが、メールは携帯しか使えず。ネットカフェにて数日分を。  私はある人物の影響で何かをしたくなる、ということはほとんどないが、中学生の時、ビートルズの影響でギターを始めたように、野島康三でオイルプリントを始めた。こちらの場合はバンドを作るほどの賛同者はいかなかったが。 単に野島作品が好きで始めたので、他の技法にはあまり興味がないが、暗室作業嫌いの私にもオイルプリントは偶然向いていた。 野島の作品でも特に魅かれたのは女中を撮ったというF像である。なんとも逞しく野性的で、資産家の家に生まれた野島からすれば異次元の魅力であったろう。今時あんな顔は何処かアジアの秘境でも探すしかないだろう。 黒人ばかり作っていた私は、97年。一年で作家シリーズに転向した。その時、改めて作品を読まずとも制作できる6人の作家を選んだが、その中に、大正時代の早世の画家で詩人、村山槐多がいた。槐多は年上の女性から同性まで、好きとなったら見境がなく、作品には、彼が愛したモデルの女性がしばしば登場する。生活感に溢れるいかにも大正時代のモデルである。私はそんな裸を登場させたくて、友人の紹介で槐多の後ろに立ってもらったのがSさんである。彼女は私の意図を理解し、絵画教室を借りて撮影したさいには、急ごしらえで当時風の髪にしてくれたりした。Sさんとは野島やFの話しをしながら8×10インチや35ミリで撮影したが、ようやくSさんを、本来の目的であるオイルプリント化することになった。彼女は数年前に郷に帰ってしまったというが、なんとか見てもらいたいものである。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

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