明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日は八重洲にて『中央公論Adagio』の打ち上げがあった。4年はあっという間である。おかげで腕力のようなものが付いたと感じている。あれだけ面倒なことをしている表紙はそうないだろう。“私の代わりは誰にもさせない”というわけで、そのための私の最大の武器は、馬鹿々しくてもかまわずやる。というところである。これは存外難しく、計算が苦手、方向音痴、止めたり咎める人がそばにいない。等々ブレーキが機能しないための諸条件が揃っていないとならない。
T屋で遅めの朝食。そのまま木場公園に散歩に出かける。1時間ほどして帰ろうと近所で信号を待っていると、向かいのK本の前を、紫のスーツにソフトをかぶったオスマン・サンコンが通る。この辺りに住んでいるらしい。 帰宅直後、宅急便が届く。むき出しの箱に“大日本帝国軍刀”と書いてある。『恥ずかしいわ!』大日本帝國と書かれた長い物を受け取る身になって欲しいものである。止めたり咎めたりする人がそばにいないから良いようなものの。  ジョニー・ウィンターがついに来日するらしい。以前、あと観たいのは春風亭昇太とジョニー・ウィンターだけ、と書いたことがある。昇太はすでに観ている。ジョニー・ウィンターの初来日が中止になって20年は経つであろう。これは行かねば、と知人にメール。しかし最近のジョニー・ウィンターの様子を聞いて凹む。イメージの中にいてもらうことにした。

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アダージョ最終号。今回は諸々の事情で東京タワーが背景に入ることが条件である。そこから人選、特集場所が決まっていった。ところが東京タワー と縁がある人物というと、案外決定まで時間がかかった。22号の円谷英二は、本来東京タワー周辺が特集になった場合に、と考えたアイディアであった。最終号となる今号は、あまり地味でも具合が悪い。そこで東京タワー建設決定に係わったという田中角 栄に決まった。 想えばアダージョの表紙で毎号頭を悩ませたのは、名所とはいえない都営地下鉄駅周辺の風景に、いかに人物を配するか、ということに尽きる。今号も大門に角栄をただ立たせても、違和感だけが気になるだろう。そこで列島改造と“コンピ ューター付きブルドーザー”のイメージで、そのまんまブルドーザーを配することにした。中古の重機が置かれているという神奈川県の某所に撮影にでかけた。残念ながら排ガス規制により、角栄時代のブルドーザーはすでになかったが、あまりの台数に、当 初一台だけのつもりのブルドーザーを、ブルドーザー群として配することにした。暑がりの角栄には扇子を持たせることにして、実物を合成したのだが、せっかく作ったネクタイ周辺が隠れてしまった。角度や大きさ変えても無理であった。入稿寸前、角栄の手相が百握り、ますかけなどという、横に一本だけの天下を取るといわれている手相だと知り、なんとか修正。入稿後、着けるつもりの議員バッチを忘れていたのに気付く。すでに遅いがチェックしたら、ちょうどその辺りも扇子に隠れていた。 最終号は派 手に行きたい。青空を強調し、角栄お得意のポーズ。そうなるとブルドーザーが静かに置かれていては愛想がない。排気口から煙を出し、キャタピラには土埃を立てた。 結局ブルドーザーだらけで、肝心の大門は何処へいったか、東京タワーが取って付けた ように頭を出すという結果になった。編集長に伺いを立てると、インパクト重視で、とのこと。想えば、やりすぎることが多いと自覚している私は、この4年間、この言葉に随分助けられたものである。

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