明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日のブログの中野正剛の書には『国は経済によりて滅びず~』と書いてあるように読めてしまうが、あれは有名な中野の言葉であり、届いた物は、何が書いてあるのか解らない漢詩である。そうこうして、本日は皇道派の陸軍大将・真崎甚三郎の額が届いた。二・二六事件の前年、真崎が教育総監職を罷免されたことが、そもそも事件の引き金となった。青年将校達が首相になることを望み、すべてをかけたであろう人物である。 額の裏側には名刺がはりつけてあり、『写真拝受右御礼』と手書きしてある。御礼というのが、この額装された書面なのかもしれないが、写真の御礼にしては仮名まじりの達筆で長々と書いてあり、これがまた名前以外まったく読めない。つい数十年前の日本人の書いた文字が読めないとは情けない限りである。国語改革などよけいなことをしたものである。 真崎は陸軍士官学校で、校長として後の青年将校を指導した立場であったが、将校等を煽り、見て見ぬふりをし、事件に乗じて、政権奪取という腹だったようだが、肝心の天皇の怒りにより、決起軍は反乱軍ということになってしまった。渦中の2月27日、山下奉文少将立会いのもと、真崎を含む軍事参議官が青年将校らと会見しているが、真崎は下を向いて黙っていたようで、頼りにしていた青年将校はさぞ腹がたったであろう。これでもう昭和維新の道は断たれた。というわけである。真崎は後にA級戦犯となる。 ここ数日来、妙な物を集め出しているが、大量に印刷された写真、活字資料にないリアリティを求め、気分を盛り上げるためだけに入手している。よって書の内容は「おハギご馳走様」。だろうと何でも良いのである。仮に血の滴りでもあれば、それはそれで望むところだが。

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