明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝T屋で朝食を、と出掛けにポストを見ると、ネットオークションで落札した、1970年/昭和45年12月26日の朝日新聞が届いていた。三島由紀夫自決の翌日、三島と森田必勝の首が並ぶ現場写真が掲載された新聞である。他にバルコニーで『関の孫六』を見つめる三島の写真など。本日T屋には歴史好きタクシードライバーのTさんが来ているはずである。最近入手した二・二六関連の物を持っていく、とT屋のかみさんに伝えておいてもらったが、夜勤明けのドライバーが7、8人すでに盛り上がっている、というので今日は止めて、新聞だけを持っていくことにした。Tさんは三島のことを“三島先生”と呼ぶ。日大の学生だった頃、楯の会に入会したかったが、規定の身長170センチなかったので諦めたという。楯の会に本当に身長制限があったかどうかは知らない。Tさんの会話には、つねに茶目っ気が含まれており、真面目な顔して冗談をいうからどこまで本当なのか判らない。直球も変化球もモーションが変わらないのである。根っから深川っ子のTさんは会社をいくつか潰し、今はタクシー会社の寮で一人暮らしだが、若い頃の武勇伝は、Tさんのサービス心もあり、聞いていて可笑しくてしょうがない。今朝は以前から酒癖が悪く、ワイワイやっているタクシードライバーの群れに、余計なことをいってくる男を、シとヒの区別がつかない下町言葉丸出しのタンカで追い出したあとらしい。何しろ正義感の人である。 午前中だというのに、すでに全員ベロベロの状態で、Tさんともたいして話すことはできなかったが、財閥から金を貰い、若者をたぶらかした、と北一輝が大嫌いなことだけは判った。

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