明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


午後、同じマンションのYさんと、富岡八幡宮の『泉谷しげる奉納ライブ』に出かける。最初からテンションが高く、40分ほどのステージだったが、忌野清志郎の『雨上がりの夜空に』など聴けた。出掛けに来ると電話をもらったFさんは、おそらく間に合わないだろうと携帯で知らせようと思ったら電池切れ。遠くから来て可哀相に、と思っていたら早々に着いて、すぐ側で聴いていたらしい。 古石場文化センターに寄り、職員のNさんが、わざわざ持って来てくれたという、アダージョ10月号用に作る人物の資料を借りる。写真資料がありそうでなく、書籍、雑誌に小さく載っているようなものでも、集めるしかない。“この人物だけは作りたくなかった”  K本は当然休みだが、Yさんが「Mちゃん(女将さん)退屈してんだから」というのでお邪魔して一杯だけいただく。終戦後、女将さんが小学生で広島から木場にやってきた頃の話など聞いていると、電灯も点いていない店内に外から差し込む炎天の光は、ほとんど昭和の光であり、アスファルトの反射とは思えず。 帰宅後電話してみるとFさんまだ木場にいるというので喫茶店で会い、久しぶりに近況など語り合う。20代半ばから女性の友人だが、どうしてもお互いの親の話しになるのは仕方がない。 帰るといつの間にか世界陸上が始まっていたので、早々に飲み始める。世間も休んでいると思うと、妙な時間に飲む罪悪感もなくすがすがしい。夜は『硫黄島からの手紙』を観る。中に在米日系人臭い兵隊も混じっていたが、クリント・イーストウッドは俳優としても大好きだし、監督としてもたいしたものである。以前にも書いたが、唯一『バード』における、チャーリー・パーカーの、悪魔と取引した類の彼の天才が描けていなかったのだけが不満なくらいである。 アメリカ兵に日本人捕虜を殺させて妙なバランスを取ったりしていた。子供の頃から御馴染みの、バロン西を惜しむアメリカ側の投降の呼びかけに応じずに死んでいったという美談はなし。事実ではなかったのであろうか。あとは再び世界陸上。“あの男”のおかげで、おそらく今回司会者は、テンションが押さえ気味になると踏んでいる。

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