明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本日は天気が良すぎて柳田國男と河童のツーショット撮影は延期。さらに『貝の穴に河童の居る事』を熟読する。

河童の三郎は娘の脱いだ足袋に隠れ、残り香を嗅ぎながら娘をながめ「一波上るわ、足許へ。あれと裳(もすそ)を、脛がよれる、裳が揚る、紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走るのを見ては、何とも、かとも、翁様。」鏡花が書くとなんとも趣のあるように聴こえるが、ようするに三郎は、浅瀬で遊ぶ娘の、裾からちらちらと見えるふくらはぎがたまらない、といっているわけである。よって翁にいわれてしまう。「ちと聞苦しゅう覚えるぞ。」すると三郎は反論する。「口へ出して言わぬばかり、人間も、赤沼の三郎もかわりはないでしゅ。翁様。」 どうもしょっちゅう似たようなセリフを聞いているような気がする。となるとあの人しかいない。63歳の近所にすむ陸河童のKさんである。T千穂のカウンターで、三郎の表現とは天と地の差がある貧弱なボキャブラリーで品のないことを一くさり。するとT千穂のおかみさんにいわれる。「またKさんイヤラシいことばっかりいって」。陸河童のK公は反論する。「違うの、みんないわないだけで男はみんな女が好きなの!」何十回と耳にしている会話だが、書いていて恥ずかしくなるような63歳のセリフである。二匹の河童は、自分たち以外が何故口に出さないかが理解できないでいる。そう思うと河童の三郎はまだしも、一匹はすでに63歳である。

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