明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日編集者との打ち合わせで、あと2週間でおおよそのカットを完成させることになった。編集者との意思の疎通が今ひとつ。忙しいのは判るが、打ち合わせが少ない。会えば私が何日もかけた作品を平然と没にする。まあそれは良しとしよう。客観的な視点は必用である。それでも作家の制作に対するナイーブな心を少し配慮すべきだと思うのである。バッサリ切るにもいいようがある。だがしかし、河童を作って良い状況を作ってくれたのはこの編集者である。なにしろ“河童を作らなければならない”のである。なんというパラダイスな響きであろう。 例えば私に遊び人の粋な叔父さんでもいて、その人は親類には疎まれてはいるが、小さい頃から私をかばってくれ、後には酒も飲みに連れていってくれて、おまけに余計なことまで教えてくれて。なんてことでもあったら良かったが、そんな人材は皆無であった。周りは普通の人ばかり。偉人伝はその場で見ていた人が書いていると思いこんでいた私は、私には資格がない、とすでにガッカリである。 小学校では子供の描く絵ではない、といわれ続け、コンクールにも私だけ忘れた、といって出してくれない。当時の教育というものがどういうものだったかは知らないが、最も私の好きで得意だと思っていたことが否定され続けた。目がどうかしている同級生のようには描けない。それをそう描いてはいけないというのだから処置なしである。4年生になり、図工の先生に出会う。ようやく認めてくれる大人に会った。この先生とは亡くなるまで付き合いは続いた。先生から私の絵が国語の教科書に採用されるかもしれないという話を聞いた。しかし選評はおなじみの“子供の絵ではない”であった。子供が描いているものは自動的に子供の絵であろう。おそらくこの時点で私の何かがキレた。子供の絵のようなタッチの絵を受け付けないのも、おそらくこのあたりに原因がある。 子供の時代をいかに過ごすかというのは大事である。私は好きなことをやっていても、どうしても罪悪感が払拭できないでいる。そこへ持って来て河童を作らなければならない状況である。河童を作っていながらまったく罪悪感がない。冒頭でああはいったが、結局私にこんな状況を作ってくれたのは編集者である。この2週間、せいぜい面白い河童を作って応えたいものである。

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