明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



古石場文化センター内音楽スタジオ 音楽の趣味がバラバラの3人である。カモン・エブリバデーはヘビメタ好きのSさんとの落とし所として決まった。私は元祖のエデイ・コクランには馴染みがあるし、中学生の時にヒットしたUFOのハードロックバージョンも耳に残っていた。後にマイケル・シェンカーが加入し、雰囲気が変わったようであるが、マイケル・シェンカー好きでもあるSさんは、マイケル・シェンカーモデルの矢印型フライングVを持ってきた。50歳目前のSさんに、まさかこんなギターもって家から出るとは思わなかったろ?もっと嬉しそうな顔したまえ。という。実は私もフライングVを持っているが、倒してネックを折ってしまった。 今回からYさんがベースに回ることになった。学生時代授業でラジオを作ったが、Yさんだけ音が出なかった。これはYさんからぶきっちょエピソードとした聞いた話だが、なるほど指が思ったように動かないようであるが、ポール・マッカートニー好きなのでベースの方が良さそうである。とりあえず大きな音で繰り返し練習する。爽快なり。 いつもはこの後打ち上げだが、何しろ午前中である。そば屋でビールで大人しく。

河童の三郎が持っている杖に色を塗る。こんな杖はおりん婆さんで一度作った。漁師2人がイシナギを担ぐ丸太は、丸太といわないまでも木の棒を使うつもりでいたが、探すのも面倒作った方が早い、と粘土で作った。いつかどこかで見た、椎茸栽培用の丸太風にしてみた。これにも色を塗り完成。 三郎は普段は身長90センチくらいであるから、案山子からはいだ着物はだぶだぶであろう、帯は布でなく荒縄に決めた。これも村山槐多と稲垣足穂ですでに経験済みである。槐多は帯まで質に入れてしまったというし、足穂は個展に来ていただいた方に、子供の頃足穂が近所に住んでおり、荒縄を巻いた姿で酒の配給の先頭に並んでいたと聞いた。

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