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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



古典技法を手掛ける人のモチーフは、それが映え、効果的なためであろう。モシャモシャした景色が多い。オイルプリントにしても同様であろう。人物にしてもツルっとした青年より皺じみたヒゲ面の老人など雰囲気が出る。しかし30年以上男ばかり作って来た私にしてみると、男は作るもので女は撮るもののようである。あえてゴツゴツモシャモシャより、丸みのある物を、ということでヌードで制作してみようと思ったのである。当然野島康三も頭にある。 着衣のポートレイトも一応選んでみたがこれは数は少ない。その数少ない中から20年前くらいに撮影した物を選んでみた。展示することになればモデルを務めてくれた彼女にお知らせしたいが、確かこの人だったはず、という人はいるのだが、面差しがあまりにも変わった。人の形には敏感で、子供の頃から人物のシルエットクイズなど得意中の得意だった私が首を傾げ、確信が持てないのだから、人というものはよっぽど変わるものである。昔、ヌードのモデルを頼んだ友人がいた。なかなか色よい返事をもらえなかったが、何年も経って、心境の変化でもあったか撮ることになった。結果を見て彼女曰く。「なんであの時もっと撮ろうって強引にいってくれなかったの。3回目に引き受けるつもりだったのに」。勝手なこといわれても困るのである。

オイルプリント制作法

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http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

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中相作さんより『伊賀一筆』第一号創刊兼終刊号 乱歩生誕120年 奇譚(抄)が届く。 表紙はオイルプリントによるエドガー・アラン・ポーが使われている。ハスノハナでのグループ展が近づいていた頃、オイルプリントの乱歩とアラン・ポーを並べて展示する旨をお知らせした所、中さんより日本酒が届いた。考えてみればグループ展に参加するからといってわざわざお祝いをただく理由はないが、飲んで帰った所に届き、何も考えないでさっそくいただいてしまった。翌日メールを見ていたら、どうも私が中さんからの何かの依頼を断ったようである。覚えがない。送信メールを見たが何もない。酔っぱらって削除したか、と恐る々伺ったところ、表紙にポーを、という依頼の手紙がお酒に同封されていたらしい。そのことには触れず、お酒のお礼しかメールしないものだから、表紙の件は断ったと判断されたようである。しかし依頼書は見当たらず、改めてメールで送っていただいた。 オイルプリントは印刷でデイテールを再現するのが難しい。原板を使っていただいた方が無難か、とも思ったが、オイルプリントが表紙になる、という希少性をとった。わざわざオイルプリントと表示していただいた。 目次には伊賀市地名考 僕の図書館戦争(続・新) 江戸川乱歩著書目録 奇譚と彼と 名張不機嫌評判記 他 そして乱歩が学生時代の探偵小説耽読を振り返りペンで書いた手製本『奇譚』の1ページから168ページまでを活字化した奇譚(抄)。乱歩が団子坂で開いた三人書房で十円(今の四、五千円)で置いていて売れなかったそうである。『伊賀一筆』はアマゾンでも購入可である。 消えた依頼書の行方であるが、玄関に打ち捨てられた包装紙の中から出て来た。届いた荷物のタプタプという液体らしき音を聴くが早いが玄関で包装紙を破り捨て、さっそく飲んでしまった訳で、飢えた強姦魔が破り捨てた下着の如くの包装紙に、一人赤面した私であった。

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写真作品を発表する場合、常に人形が被写体であったが、次回予定の個展では人間が被写体となる。こんなことは最初で最後になるかもしれない。といいながら、二人の撮影を残して、すでに個展が数回開けるくらいのデータ量である。 ところで苦肉の策ながら、人形作りならではという作品が数カットできた。私の被写体はすべて素人である。自分がどんな裸の持ち主だか実は良く判っておらず、ポーズもどうしていいか判らない。そこがとても良いのである。ヌードの場合、顔を入れると意味が生じてしまうので、鼻や首から下をフレームに入れることが多いが、そうでなくとも素人であるからほとんどの場合、顔を入れる訳にはいかない。 日頃発表できない物は作らない、と心がけているはずが、つい忘れてしまうことがある。昔撮ったある日のカットはすべて顔が入っていて、というよりほとんどポートレイトのつもりで撮影している。肝心なところに顔が来ているのでトリミングのしようがないない。そこで顔を変えてみることにした。以前、ビリビリになった古写真を修復したことがある。中年女性の顔は欠け、抱かれた子供も酷い有様であった。それは福笑いをするフランケンシュタイン博士の如き作業であったが、なんとかなった。あれを考えればできなくはないだろう。 結果、日頃人物を造形し続けていることが役にたった。これなら親からいただいた顔を変えるのは忍びないが、写真を撮られるのがめっぽう好きな指名手配犯のニーズにも充分応えられそうである。  某区の職員お二人と会う。来年庁舎内に展示する写真作品について。

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数日ブログに間があくと死んでいるんじゃないかとメールが来る。現在ネットが不通である。それはそれで慣れてしまえばどうということはないが、メールは携帯しか使えず。ネットカフェにて数日分を。  私はある人物の影響で何かをしたくなる、ということはほとんどないが、中学生の時、ビートルズの影響でギターを始めたように、野島康三でオイルプリントを始めた。こちらの場合はバンドを作るほどの賛同者はいかなかったが。 単に野島作品が好きで始めたので、他の技法にはあまり興味がないが、暗室作業嫌いの私にもオイルプリントは偶然向いていた。 野島の作品でも特に魅かれたのは女中を撮ったというF像である。なんとも逞しく野性的で、資産家の家に生まれた野島からすれば異次元の魅力であったろう。今時あんな顔は何処かアジアの秘境でも探すしかないだろう。 黒人ばかり作っていた私は、97年。一年で作家シリーズに転向した。その時、改めて作品を読まずとも制作できる6人の作家を選んだが、その中に、大正時代の早世の画家で詩人、村山槐多がいた。槐多は年上の女性から同性まで、好きとなったら見境がなく、作品には、彼が愛したモデルの女性がしばしば登場する。生活感に溢れるいかにも大正時代のモデルである。私はそんな裸を登場させたくて、友人の紹介で槐多の後ろに立ってもらったのがSさんである。彼女は私の意図を理解し、絵画教室を借りて撮影したさいには、急ごしらえで当時風の髪にしてくれたりした。Sさんとは野島やFの話しをしながら8×10インチや35ミリで撮影したが、ようやくSさんを、本来の目的であるオイルプリント化することになった。彼女は数年前に郷に帰ってしまったというが、なんとか見てもらいたいものである。

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12月  


毎年暮れになると、昨年の私が思いつかなかったことができたか、昨年できなかったことができるようになったか、と考えるのだが、ここにきて、人形ではなく人間の、しかもヌードでオイルプリントによる個展を考えることになるとは思いもしなかった。黒人の人形から始めて、と考えると不思議な気もするが、30年以上の間のことである。何があってもおかしくはない。 私は急にジャンプするようなことはしないので、枝葉を伸ばす様に変化してきただけである。写真好きでもないのに、突然オイルプリントを始めた件だけが突拍子もなかったが、そう思うとあの時のことはシナリオライターが、こいつは写真が嫌いだといっているが、ここでオイルプリントでもさせておかないと、後半の展開がつまらなくなる、と急遽書き足したような感じであった。出演者の私としてもこの展開は無理があると感じており、画が出たらすぐ止めよう、と思っていたことは何度も書いた。例えば植木等は物凄く真面目な人で、映画の撮影中、なんでここで突然大笑いするんだろう、と思いながらシナリオどおり演じていたといっていたが、あれはそれに近い違和感であった。 それにしても、あれだけホントのことなどどうでも良いといっていた私が、最終的にオイルプリントにするにせよ、普通に撮影した物を素直に出品するのであろうか。こういうところは自分ながら信用できない気がする。

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午前中、近くを通るということで、Fさんに直接オイルプリントを取りにきていただいた。来年オイルプリントによる個展をやります。と伝えた。今の所、女性のヌードを中心とした人物像のみを考えている。そうなれば私にとって。人形を被写体としない始めての個展ということになる。長生きはするものである。 個展のDMくらい自分で撮れれば、と思っていたところに出たばかりのオートフォーカスα7000をいただいたのだが、それまではリコーオートハーフを持っていた程度で、まったく写真には興味がなかった。コンピューターにしても、自分を超アナログ人間だと思い込んでいて、蛇蝎の如くに嫌っていたのは何だったのか。最近は自分はこういう人間だ、などと言わないようにしている。転向につぐ転向でこの先も何がどうなるか判ったものではない。 私が作る人物は男性ばかりである。色々な理由があろうが、男女、形こそ似ているが、これほどかけ離れた存在を、同じような調子で、同じ土俵に並べられる気がしないのである。男の場合、私の責任が持てる範囲で、ただすっくと立たせれば画になるのだが、同じ様に女性像を作っても、そういうことじゃないだろ。とまったく届く気がしないのである。そう考えると私の場合、男性は作るもので女性は撮るものという事になりそうである。 2000年、オイルプリントの個展会場で、おかしな物が飛び回っている写真を撮ったことがある。白い物がコンパクトカメラのフラッシュが光る一瞬に、ホップしたり、尾を引いて移動している様子がネガに収まっている。この類いの物は、物凄いスピードで蠢いているので、人間の眼には見えないのかな。と思ったものである。何かをとらえようとすると、それぞれに適切な方法があるということであろう。

 

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私の人形の制作法は、ただひたすら完成を祈る。というスタイルである。そういう意味ではオイルプリントも同様である。オイルプリントはブラシを上下してひたすら叩き、祈り、込めるもの、と考えている。田村写真ではテーブルに椅子であったが、我が家でプリントする時は正座である。私は託児所がわりに幼稚園児の頃から習字塾に通わされたが、正座で筆を使い文字を書く。あのときの心持ちに近い。ローラーでインキングすることも可能であるが、それは手技の味を印刷化してしまうに等しく、取りあえずインクを広範囲に乗せたい時を別にすれば、仕上げに用いるべきではないだろう。それでは、すくなくとも野島康三のようにはならない。ブラシによるインキングが左右に撫で擦る。としたら、祈り、込める。ということにはならなかったろう。過去のネガ、ポジフィルムから、オイルプリント向きと思われる作品を選んでいる。

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何度か書いて来たことのくり返しになってしまうが。 オイルプリントの個展を開催し、個展に限らず、オイルプリントを知ってもらおうと、ことあるごとに出品していた頃。江戸川乱歩の本を作ることになり中断することになった。それまで人形を使い、合成を既に試みてはいたが、主な撮影法はまだ手持ちによる撮影であった。しかし人間大に見せるためには人形を常に最前に配する必用がある。毎ページそれでは本は成り立たない。そこで合成を多用することになった。続いて隔月で4年続いた都営地下鉄のフリーペーパー『中央公論Adagio』である。人物をちなんだ特集場所に配することになったが、都営地下鉄沿線に画になる場所が少なく、人物をただ立たせても表紙にならない、合成のみで対処して行くことになる。そして1カットのために人物像を制作するというスタイルになっていった。非効率も甚だしいが、頭に浮かんだイメージがそのまま画になる面白さがあった。『モダン藝術写真展』で人形を撮影した最新作を旧作のセミヌードと並べた時、もうこのヘンで良いのではないか。これ以上いくとイメージをただ弄んでしまうことになりそうだと感じた。それを瀬戸際で停めていたとしたら、オイルプリントという技法の特性ゆえであろう。グループ展前は終了後、ポーの『黒猫』などすぐ制作を始めるつもりでいたが、まず撮影したのはヌードであった。オーデイションをしたわけでなし、一般女性の服の下からは想像を上回った裸が現れたし、ポーズも粘土のようには思ったようにはならない。しばらく人物撮影に専念してみようと考えている。さらに後回しにしてきたフィルム類のチェックと整理を始めることにした。

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大正時代の写真雑誌の付箋を貼付けたページの中に、目から鱗の記事があったはず。あれからオイルプリント用に選ぶ作品が変わったのではなかったか?いや違うかもしれない。確かめれば良いのである。 本棚はガラス戸や扉が付いた物が全部で8つ。両開きの本棚が3つ並び、その上にさらに本棚が乗っている。問題なのは下の3つである。最初に入手した本箱はグリーンの遮光用カーテンが貼ってあり。もう一つはグリーンのダイヤガラスがはまっている。もう一つは飾り棚がついた物で、これにもグリーンの布を貼った。遮光用だから当然中は見えない。 以前書いたが、その前に本を積んでしまい開かずの本棚になってしまっている。つまり扉が私から本を守り、ただ厚みを足した壁と化しているわけである。どこに何があるか忘れてしまって数年経つ。とりあえず、手が届く本を処分してみたが、ぎっくり腰になりたくない。段ボール箱に詰め、着払いで送れ、という古書店に送ることにした。扉の向こうには、オイルプリント奮闘時代のノートがあるはずである。 私は当時、大正時代のピクトリアリストを倒すくらいの気持ちでやっていた。第一集団からこぼれてきた志の低い奴から一人づつ倒す。などの物語をでっち上げ、本当にこんな方法なのか?一体何をやっているんだ。と我にかえるのを避けていた。 ノートといえば岐阜の製陶工場に勤めていた時のノートもある。工場長から聞いたことを家に帰って写していた。こちらはまったく無駄になってしまったが、人が見ていない所で何をするかで決まるのだ。と様々なことに耐えていた。これらのノートはそんなことを思い出させてくれるのである。

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海外では、被写体が人形だろうが実物だろうが関係なく、ただ良いか悪いか好きか嫌いかなのだろう。といって喜んでいたのだが。 昔、人の紹介で、ある雑誌の編集長に作品を見てもらったことがある。私は人形を撮影していることは伝わっている、と思い込んでいたので、たいして説明する訳でもなく向かいあっていたが、妙な沈黙が流れた。先方はこの作品がなんだか判らず戸惑っていたのであった。あるグループ展に出品したことがある。出品の条件は古いレンズをつかって撮影された新作である。私は永井荷風を出品したが、昔のネガを引き延ばしたと思った他の出品者からクレームがついた。というように、ことあるごとに説明を要してきた。ところがあまりにもすんなりスルーされてしまうと、例えばロバート・ジョンソンはとっくの昔、女をめぐって毒殺された人物であることを知らないのかな?などと思ってくる。それはそれでなんだか座り心地が悪い。何故なら私がただ写真を撮ったりプリントした人なってしまうからである。よって我慢ができず本日は被写体を作って撮影したと書きそえて画像をアップした。 何かとああだこうだいっているが、やはり人に何が伝わっているか気になるわけである。長年HPにアップし続けたオイルプリントであるが、認知度が急に上がり、通じることにこしたことはない、と改めて思った次第である。

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昨日、海外の古典印画法のフェイスブックのグループがあると訊いて投稿してみた。1カットは『At the crossroads waiting for the devil 』。2002年制作の十字路で悪魔と取引したといわれるブルースマン、ロバート・ジョンソンが十字路で悪魔を待っているところである。 先日亡くなったジャック・ブルースが、クリーム時代、エリック・クラプトンと共にレパートリーとした有名なナンバー『クロスロード』の作者でもある。本人の写真は2カットしか残っていない。もちろん十字路でジョンソンが悪魔と取引した事実はなく、実際は我がマンションの屋上であるし40数センチ程度の人形である。 多くは古典技法の実作者達が集っているのであろうが、海外の人達はイイネを押してくれながら、いったいこれはなんだ?と訊いて来る人は誰もいない。何が写っていようが、まず良いか悪いか、好きか嫌いかなのであろう。イイネ。

本日は晴れのはずが曇ってしまった。午前中、実家にて野暮用を済ませた後、都内某所へ。被写体に水に濡れてもらいながらの屋外撮影は本日が限界であろう。残りは室内にて。“海女モノ”というとまるで昔の新東宝や大映作品のようである。“尼モノ”というのもあったが。

2度程インタビューいただいた枝川公一さんが亡くなられた。最近は車椅子で取材されていると聞いていたが。合掌。

 

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田村写真にて石塚式『オイルプリント』のワークショップが開かれた。家元?としてアドバイスをと参加した。 私自身、02年に京都造形芸術大学のワークショップ、翌年だったか西武百貨店の美術講座でおこなった。いずれも1日目がゼラチン紙制作。これが冷たいばかりで面白くも可笑しくもない。西武百貨店の場合、制作したゼラチン紙の保管ができないので、次回までに自宅で自製してくる宿題としたが、おかげで3人が脱落。ゼラチンを塗布する用紙によって風合は変わる。田村写真のワークショップに参加するような人は、いずれゼラチン紙を自製するであろうが、取りあえず田村写真製作のゼラチン紙を使えるのは何よりである。最初から画面にへばりついたブラシの毛を取りながらという、写真制作とはいい難い作業が味わえる。“石塚式”は諧調が出しやすく、すくなくとも画を出すだけなら小学生でも出る。 私は91年に実験を開始した。ゼラチン紙に重クロム酸アンモニウムを塗布し、露光すると“鳶色” になる。この文字情報だけで焼き付けの度合いを想像するしかなかった。また当然、肝心のブラシで叩くインキングの動画などない。しかし自分がやれるようになると、当時のテキストは、秘密を隠しているわけではなく、文章では表現のしようが無かったことが判るのである。私はそれを踏まえ、2000年にHPを立ち上げ、文字情報と粗雑なモノトーン印刷から制作していた立場から、不足分をできるだけ補ったつもりであったが、先日アップされた私のインキングの動画の説得力は別物であった。 西武百貨店の講座には、田村さんも自製の紫外線露光機を携え参加してくれた。現在社員のHさんも参加していて、それが田村写真入社のきっかけになった。そして本日、若い社員の2人がワークショップに参加の年配の方々にアドバイスしている様子を聴いていて、感慨深いものがあった。 初個展『ブルースする人形展』が82年。私もずいぶん長く制作してきた。独学ゆえ進歩も遅々として進まずではあったが、かってに風に流され私なりの場所に立っている気がする。“石塚式オイルプリント”はその典型であろう。そろそろ人形制作や、人形の撮影方法、合成法など、人に伝えられることがあるのではないか、と考えている。しかし人形の撮影方法はともかく、人形制作は私の場合、作るのはほぼ100パーセント男性である。そんな偏った人間に教わろうという人がいるものだろうか。

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今まで撮影してきたヌードをチェックしている。考えてみたら、谷崎や乱歩で使った他は、人形をオイルプリント化したら見る人が混乱するだろう、とせめて被写体だけは判りやすくしようと風景や人物写真をオイルプリント化した2000年ぐらいである。チェックはネガ、ポジフィルムまで至っていないが、この時点で個展をやれるだけの量は充分にある。先日撮影した分でも数カットは使えるから、たった1カットのために人形を作る、人形を使っての制作とは別な世界である。 人形撮影の場合は人形が完成する頃には構図が決まっているので、わずか数カットで終わってしまう。その点人物撮影は特に被写体が素人なので、ポーズを解いた時に良い感じになったりするので気が抜けない。近いうちに人物でオイルプリントの個展をやろうと考えているが、男性のポートレイトを撮るかどうか決めかねている。普段男ばかり作っているので、撮影するのは逆に作らない女性のみとなるのか。こういう事は例によって考えずにやっていたら自然にそうなっただけの話である。

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田村写真で今週の土曜日にオイルプリントのワークショップが開かれる。なんと“石塚式オイルプリント”と銘打たれている。石塚式といっても私が選択した水彩画用紙を使い、塗布するゼラチンを厚くしただけである。だけではあるが、ここが単に廃れた技法を掘り起こしたにとどまっていないところである。 91年に野島康三のピグメント印画、特にブロムオイルに一目惚れしてしまった私であったが、大正、昭和初期の文献を元に調べてみると、現在の印画紙は硬膜処理されているので、ゼラチンが吸水しにくく、ブロムオイルは出来ない、と思い込んでしまった。そこで一段階さかのぼってオイルプリントをやってみることにした。 昔の処方通りやってみたが、なかなか画が出ず、出たところで諧調の幅がせまく中間調がでない。当時のオイル、ブロムオイリストは諧調を出すため、暗部、中間部、明部の三段階のネガを作り、プレス機による転写をして諧調を出す工夫をしていた。しかし私の性格上、そんな煩雑な作業をしていては集中力が保てない。そこで一度に諧調を出すため、ゼラチン層を厚くしていった。それが功を奏し、諧調が表現できるようになっていった。 オイルプリントが短命に終わった原因は感度が低いため、自然光による密着焼きになる。つまり作品大のネガが必用になり、使用するカメラは大型になる。そこで小型カメラで撮影し、引き延ばした印画紙を使用するブロムオイルにとって替わられていった。しかし現在はデジタルのネガを拡大することにより容易に拡大ネガが得られ、その欠点はクリアしている。ワークショップの参加者は“石塚式”により、大正時代の人々より容易に諧調が出せることであろう。

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数日前、パソコンのキーボードに液体をこぼして不調となり。ブログも書けずキーボードを本日新調し。ノートパソコンも寝床でその液体で何台か駄目にしている。以来寝床用は中古パソコンにしている。 数日にわたったヌード撮影終了。今回はオイルプリント用を前提として撮影した。個展やグループ展への出品は、会場で自作について客観的に考える良い機会である。普段は通過点とばかりに、完成してしまえばまじまじ眺めることなどしない。十年振りの再開ということで、何故オイルプリントなのか改めて考えたし、これからの方向についても考えた。さらに2000年の旧作を見て、オイルプリントに適した作品について考えてもみた。あえてオイルプリントをするからには、そこに何かがあるべきであろう。すくなくともここ数日の撮影は、それを踏まえて撮影した。ではオイルプリントに適した作品とはどういうものか。それはここでは書かない。なぜならオイルプリントについて話し合う相手がまだいないからである。相手に伝わるか伝わらないかを考えずに延々と喋る人がいるが、それは酒場だけで充分であろう。

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