かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠121(スペイン)

2015年12月12日 | 短歌一首鑑賞
馬場あき子の外国詠14(2009年3月)
       【西班牙 4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P68~
       参加者:N・I、T・K、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:T・K
        まとめ:鹿取未放

121 支倉の老いの寝ざめに聖楽の幻聴澄むと誰か伝へし

     (レポート)
 キリスト教禁制下の日本にキリスト教徒として又使節としての役目も果たすことなく帰国した支倉の心中ははかりしれないが作者が「老いの寝ざめに聖楽の幻聴澄む……」と詠まれている事で何かほっとする。遠い昔の事ながら現代に通じる悲しみを感じた。(T・K)


     (当日発言)
★「幻聴澄むと誰か伝へし」は作者の想像。(藤本)
★結句の「か~し」は係り結び。「か」は反語の係助詞で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形。
 「か」は反語だから「幻聴が澄んで聞こえたと誰か伝えただろうか、いや誰もそんなことは伝え
  ていない」という意味になる。意味はそうだけれど、支倉は幻聴をきいたかもしれないなあ、
  きいていてほしいと作者は祈りのように思っているのであろう。(鹿取)
★馬場先生の歌にひかれて大会の後支倉のお墓にお参りした。支倉のお墓を今守っているのがお寺
 さんだというのが面白い。(T・H)


      (まとめ)
 遠藤周作「侍」によると、ローマ法王に会うため支倉はソテロによって便宜上洗礼させられたことになっているが、120、121の二首を読むと、支倉の信仰は不動のものだったというのが馬場の解釈だということが分かる。たとえ洗礼の時点では便宜上であっても、ここで改宗しなかったのは信仰が不動のものになっていたという解釈が自然であろう。
 支倉の晩年、明け方ででもあろうか、ひとり目覚めた時「聖楽の幻聴」が澄んで聞こえたなどとは誰も伝えていないと反語を用いて言い切っているが、言葉とはうらはらに馬場はきっと聞いたに違いないと思っている。それはそうあってほしいという馬場の祈りなのだ。 (鹿取)
 *『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)、『支倉常長』(大泉光一)・
  『支倉常長慶長遣欧使節の真相』(大泉光一)・講談社『日本全史』等を参照した。