こんにちは、横瀬です。
スタジオの裏の「三光園」の建物もだいぶ解体されてます。

清川の歴史を語る建物もなくなりつつあります。稲荷橋より。
まだこの話題で引っ張ってますが、清川の歴史についてパート②です。
清川は先日ブログで書きましたが、新柳町の頃は遊郭があり戦後は所謂「赤線」と呼ばれた地域でした。
昭和31年に「売春防止法」が施行され、昭和33年に「赤線」は廃止されました。
そして新柳町の地名はイメージを変えるため(諸説あり)清い川の街、清川という地名になりました。
当時は暗いイメージの地域だったようで、イメージを払拭するため(諸説あり)グランドキャバレー「月世界」がオープンしたそうです。

たびたびこの本を紹介してますが、この本でも「月世界」の所在やどんな建物だったのか掲載は無く!ネットで調べても全く資料がありませんでした。
所在はある資料で確認できました。

ロータリーの通り、遊郭のころの「大門通り」の、現在のFBS福岡放送の裏のあたり、焼肉スタミナ亭の斜め前あたりで、現在はマンションになってます。
そして当時の絵葉書がネット画像にあるのを見つけました。

絵葉書には観光キャバレー博多「月世界」と記載されてます。福岡市清川2…今は清川2丁目です。

絵葉書ですが、こんな建物だったようです。キャバレーミナミ、キャバレー赤坂(写真で確認)もこんなドーム型のホールでした。
昭和レトロな感じでゴージャス感があります。

こんな画像もありました。渚エリさんは昭和30年代~40年代に活躍された歌手のようです。
月世界でのゲストだったようです。「麗しの月世界」では江利チエミさんなどもゲストに来られてたと本に記載してあります。
この頃はダンスホール(キャバレー)全盛期で社交ダンスもとても流行ってました。
音楽はぺレス・プラード楽団のラテンミュージックなどが流行って、マンボが大流行したそうです。
このように清川は遊郭~赤線~キャバレーがある歓楽街と姿を変えていきました。