こんばんは、ひろみです。
天神のジュンク堂書店で【キャバレー、ダンスホール20世紀の夜】という写真集があったので購入しました。
日本では、かつて社交ダンスは、子供の習い事ではなくて大人の社交場として風俗営業として警察に営業許可証をとりにいかないといけませんでした。
私の社交ダンスのはじまりは、舞踏研究部と呼ばれる大学の社交ダンス(競技ダンス)部でしたが、その時も、ダンスホールは下火でしたが残っていました。(私は、ダンスホールにどっぷりつかってた世代ではなくて、プロになってから、生徒さんなどからたくさんお話を伺いました。)
ダンスのプロになってからも「キャバレーミナミ」や「サパークラブ太宰」でデモンストレーションを踊らせていただいたことがあります。そして、横瀬先生が学生の頃は、競技会が開催されていたこともあるようです。メダルテストは、サザン通り沿いに「マルベニ」というダンスホールで開催されていて、学生時代の私にとって、正直言って【大人の世界だ〜】という感じで、ダンスプロの世界が怖かった覚えがあります。
「キャバレーミナミ」や「サパークラブ太宰」や「マルベニ」は、時代の流れの中で閉店されましたが、生徒さんの中にもその当時始められた方もいらっしゃって、なんと表現したらようかわからないけど、ずっと何かは続いていってるのではないのかなあと思います。
そして、天神ビックバンでジュンク堂書店やイムズや天神コアが建て替えられますが…この地域は、すごく愛着があって、少し寂しい気がしますが、記憶の中や何かに続いていくのでしょうか?
昨日、横瀬先生が、長く生徒さんだった方の元気に一緒に踊ってる夢を見たと言いました。
この方のお店は、天神コアにあって、ジュンク堂書店やイムズや天神コアは、私にとってもお庭のような感じでしたし、大好きなお店がいっぱいあって、好きなお店に行った帰りに、今日はいらっしゃるかなとチラッとお店の中を見て帰ってました。ダンスは不思議で私の場合、生徒と先生の関係であっても、親しい生徒さんとは、友達のような部分もあり、ただ一緒に踊ってただけなのに、何かがわかってしまったりして…多分、生徒さんの方も、感じてる方もいるかな?と思いますが、横瀬先生も、同じで、それぞれの生徒さんにそれぞれの思いがあるのかなあと、ふと思いました。
ダンスホールがなくなっていったように、天神ビックバンで大好きだったお店がなくなっても、思い出や思いや志や何かが…残っていったり続いていったり繋がっていったりするのかなあと思います。