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ダンスとか。

Makhampom

2007-08-19 | ダンスとか
Makhampom, Mahajanok Never Say Die

Bangkok, Studio Makhampom、夜。
野田秀樹の『赤鬼』やネセサリー・ステージの『モバイル』などにも出ていた、Pradit Prasartthong の劇団のアトリエ公演。大きな道の交差点にある小さな劇場で、歩道から一歩建物に入るとすぐ客席(キャパ50人くらい?)、カフェも付いていてちょっとオシャレな雰囲気。週代わりで英語版/タイ語版をやっていて、この日は英語版。海外ツアーのレポートのようなヴィデオが流れてから芝居が始まる。Pradit と もう一人の女優、それとナレーターの三人で、2004年のスマトラ沖地震の津波で家族を失い、後に残された人間が「罪責感」に苛まれて彷徨うという話を、神話と絡め、古典演劇の仮面を随所で使いながら演じる。とにかく狭い空間なので棒立ちの独白が多く、それとシーンの再現部分が組み合わされている。よく意味がつかめないところもあったが、アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』(特にその「恥」についての議論)を思い出し、重ねながら見ていた。実質35分~40分くらいの短い芝居。2004年の現実の出来事と、神話のモチーフをつなげるというのは、アジアの現代演劇では珍しくないとしても、日本人にはやはり新鮮に感じる(でもバンコクで地元の観客に混じって見たからそう感じるのであって、もしこれが東京だったら「タイの現代演劇」というラベルが先に来てしまうから実感は弱まっただろうと思う)。少なくとも、ラーマキエン(ラーマーヤナ)が一種の「普遍」的なモデルとして機能するような共同体に属している、という意識が共有されていなければ、こういう表現は成り立たない。例えば日本の現代演劇で、能や歌舞伎の「様式」を引用することはあっても、神話や歴史の「物語」を、現代の出来事を語る際のモデルとして重ね合わせるなんていうことはちょっと想像しにくい。日本には国民的な「神話」がないのではないか。
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