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ダンスとか。

Marina Abramovic: Seven Easy Pieces (二日目)

2005-11-10 | ダンスとか
NY, Solomon R. Guggenheim Museum.
▼Vito Acconci, Seedbed
マリーナ・アブラモヴィッチが自作を含む過去のパフォーマンス・アート作品を日替わりで「再演」するという企画。二日目はヴィト・アコンチで、彼が72年にソナベント・ギャラリーの床下で延々とマスターベーションし続けたこの作品はよく『苗床』と訳されているもの。しかし今回初めて知ったのはアコンチのコンセプトが「可能な限り多量の種 a maximum of seed」を地下に撒き散らすところにあり(射精=散種。『苗床』という訳ではそこまで想像できなかった)、単なる変態パフォーマンスに終わるものではなかったというか、変態パフォーマンスなのにしっかり意味深にガードされているというか、色々な意味でタチの悪い作品だったということだ。今回のヴァージョンでは、ライトの螺旋通路に囲まれた吹き抜け中央に通路と同じデザインの螺旋状の台が置かれ、その中にアブラモヴィッチが入り、見学者はその台の上に座ってスピーカーから響き渡る喘ぎ声などを聞く仕掛けになっている(17時から0時まで、ただし本当にそこに本人がいるのかは当然確認できない)。アブラモヴィッチは残念ながら生物学的に「散種」不可能という致命的な問題は別にしても、やはりグッゲンハイムのロビーで有名人のこういうイヴェントに観客がたくさん集まって座り込んでじっと耳を澄ましているという事態が圧倒的にグロテスクで、カルト宗教のパロディみたいに見えてしまう。もしかしたらその辺りに、この種のパフォーマンスをあえて時間と場所から切り離し「再演」可能な「作品」として扱うことの狙いがあるのかも知れない。著作権も存在しない自分の「作品」を他人が「再演」することに抗議したアーティストもいたというし、確かにこれは一方でアブラモヴィッチが他を出し抜いてパフォーマンスを私有化しつつ、さらに本人の元の意図を踏みにじって強制的に「美術館入り」させてしまう越権行為と思われるかもしれないが、しかしそのことが同時に、パフォーマンスという「一回的」=「歴史的」な出来事の特権性を勝手に解除しつつ、脱神秘化=脱歴史化され去勢され無意味になった抜け殻みたいなものを美術館という廃墟に恭しく提供あるいはビルトインしてしまうという恐ろしい結果にもなっている。「Seven Easy Pieces」というのもあんまりなタイトルであり、だからこれはアブラモヴィッチが過去にも現在にも等しく毒を盛りつつ「アート」の可能性に疑義を呈する、限界を極めた身振りなのではないか。リーフレットに「About the public ... I do not want the public to feel that they are spending time with the performances, I simply want them to forget about time.」とあるが、最後のところはどうしても「時間を忘れる」ではなくアイロニカルに「時代のことを考えるのを止める」といっているように読めてしまう。これと8月の『バ  ング  ント展』で飴屋法水が生真面目に行っていたアクションとは、行動の形式(あるいは思想の媒体=メディアの形式)への警戒の度合において大きな隔たりがある。飴屋は媒体=メディアとしての身体や、「アート」が政治的たり得るという信念に対して素朴なまでに楽観的としか思えないが、アブラモヴィッチはそんなもので「美術館」から逃げられるとは思っていないのだ。ちなみに初日はブルース・ナウマン『Body Pressure』(74年デュッセルドルフ)、三日目はヴァリー・エクスポート『Action Pants: Genital Panic』(69年ミュンヘン)、四日目はジーナ・ペイン『The Conditioning, first of three phrases in Self-Portrait(s)』(73年パリ)、五日目はヨーゼフ・ボイス『How to Explain Pictures to a Dead Hare』(65年デュッセルドルフ)、六日目はマリーナ・アブラモヴィッチ『Lips of Thomas』(75年インスブリュック)、七日目はアブラモヴィッチの新作『Entering the Other Side』。
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Bright Abyss

2005-11-10 | ダンスとか
James Thie'rre'e, Bright Abyss

2005 Next Wave Festival.
NY, Brookly Academy of Music, Harvey Theater.
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